Ch.9 未確認生命体と連続失踪事件

都市伝説

Ep.118 運命の導き手(予告編)

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読者の皆様方

平素より『雇われ探偵マツリカ』をご愛読くださいまして、誠にありがとうございます。

これから連載を予定しているCh.9以降のストーリーですが、その前に本作は一月程度の休載期間を設けさせていただきます。

最新話まで追いついていないという読者様、更新ペースが早くて付いていくのが難しいという読者様などへの配慮を意図しておりますので、何卒ご了承くださいませ。

連載再開は年内を予定しておりますが、変更等ある場合は近況ノートにてご報告させていただきます。また、再開時には本エピソード冒頭部分の休載報告及びタイトルにおける「予告編」の文言を削除します(追伸、連載再開は2月中を予定しております)。

定期的なストーリー更新を楽しみにしていただいている方には大変申し訳ございませんが、今後とも物語は過去のチャプターで明かされた内容に沿って展開されていきます。主人公の生い立ち、各登場人物、世界観、その他諸々、今一度過去のエピソードを読み返してくださると今後の展開を把握する上での一助となるかもしれません。よろしくお願いします。

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「堅慎止めて! 助けてぇえええ!!!」


「心美! そっちは危な──」


 鬼気迫る形相で助けを求める彼女の声が、清々しいほど透き通った冬空へと溶け消えた直後。真っ白なベッドシーツに顔を埋めた時のように間の抜けた音を立て、辺りに玉塵ぎょくじんを巻き上げた。あまりの惨状を前に顔面を手で覆って目を背けてしまった俺は恐る恐る、指の隙間から彼女の無事を確認する。


「だ、大丈夫か……?」


「これが大丈夫に見えるのかしら……。」


 制御の利かない両足を引き摺って地面に埋まった上体を起こし、不機嫌そうに抗議の視線を送ってくるのは、全身に細かな風花を散らして歪な雪だるまと化している愛しの恋人だ。


 昨今、国内外問わず声高に叫ばれている地球温暖化の影響なのか、驚くほど呆気なく過ぎ去ってしまった秋の余韻に浸る間もなくやってきた氷点下に、今年も残すところ後僅か。互いに20歳の節目へ幕を閉じる誕生日も間近に控えたこの季節に、俺はとある理由から、心美を連れて福島県某所のゲレンデを訪れていた。



 §



「商店街の福引で一等賞を当てた、ですって!?」


「ああ。何でも、今年からリニューアルオープンした国内最大級のビッグゲレンデに直結してるペンションのペア宿泊券らしい……。」


 背筋を伸ばしてソファに身体を預け、片手で器用に本のページを捲りながら、反対の手で上品にティーカップを口元へと運ぶ心美は、俺の報告を聞いて驚嘆の声を上げた。


 遡ること数週間前──俺は普段通り、夕飯の食材を買い足すべく事務所から程近い商店街まで足を延ばしていた。というのも丁度その頃、商店街では地域全体を挙げた特売と、豪華景品目白押しの福引キャンペーンを開催していたのだ。今年の春に体験した事件の反省から、本当は心美も連れていきたかったが、スウェーデンでの騒動が災いしてさらに名が売れてしまった彼女を人混みに晒す訳にもいかず、足早に買い物を済ませていた矢先の出来事だった。


 結果的に、その判断は大正解だった。若い男が肩から買い物袋をげ、イベントの目玉景品を引き当てた様子は通行人から好奇の目を惹くのに十分で、大当たりを祝うハンドベルの音と主催者の声に反応し、順番待ちをしていた長蛇の列から落胆や嫉妬の視線が突き刺さるのを実感するや、居た堪れなくなった俺はそのまま、脱兎の如く帰路に就いた。


「俺は二等のロボット掃除機が欲しかったんだけどな。このだだっ広い事務所を定期的に掃除するのは楽じゃないんだ……。」


「何よ。最近は私も手伝ってるじゃない。それに、ここ暫く仕事ばかりの毎日で退屈だったでしょ。息抜きするには丁度良い機会だと思わない?」


 確かに心美の言う通り、日本に帰国してからの数か月間というもの、茉莉花探偵事務所は失われた信頼を取り戻すべく大量の依頼を達成してきた。そうして着実に実績を積み重ねてきた結果、依頼の数や規模が右肩上がりとなっていく好循環が生まれたものの、長らく休まず働いてきたことで我が事務所の誇る名探偵様はへそを曲げてしまったらしい。


 となれば必然、休むことも仕事のうちだというのはあながち出鱈目でもないだろう。それに、俺も口にはしないだけで、大好きな心美とふたりきりで過ごす時間が減っていくことに不満がない訳もなかった。とはいえ──。


「そもそも、心美はウィンタースポーツなんてやったことあるのか?」


「素早い身の熟しで襲い来る危険を躱しながら己が感覚を研ぎ澄ませ、一瞬の間隙を縫って標的に氷のつぶてを喰らわせる……。」


「それって、要は雪合戦のことだよな。」


 我ながら野暮ったいツッコミによってリビングにもたらされた冷たい沈黙が、彼女に雪遊びの経験がないことを容赦なく暴き立てていた。


「ええ、そうよ! 青春時代、貴方を除いて私に一緒に遊ぶような友達が居なかったことなんて、堅慎が一番良く知っているはずでしょ!?」


「お、怒るなよ。俺が悪かったって……。」


 膨れっ面で不満を漏らす心美を宥めながら買い物袋をキッチンへ運び、中身を丁寧に冷蔵庫へ詰めていると、ソファから立ち上がった心美が、持っていた空のカップをシンクですすぎながら尋ねた。


「そういう堅慎はどうなのよ。」


「俺か? 確か中学生の時、学校行事で一度だけスキー場に行ったことがあったっけな。その時俺がやったのはスノーボードだったけど……。」


 忘却の彼方にある忌まわしき学生時代の記憶を継ぎ接ぎしてみても、いまいち実感は湧いてこない。だが、こういうものは自転車の乗り方を一度覚えたら忘れないのと同様に、感覚として身体が覚えているものだと信じたい。



 §



 そうした俺の希望的観測は見事に的中し、初級者向けの広大な緩斜面で何度か練習を重ねたら、すぐに問題なく滑ることができた。一方、初めてのゲレンデに胸を高鳴らせて興奮を抑え切れていなかった心美については、生来の運動神経から、あっという間に滑れるようになるだろうという俺の楽観的な予測は外れてしまったようだ。


「酷いわよ! 手は離さないでって言ったのに!」


「わ、悪かったよ。怪我はないか?」


 鼻先や頬をほんのりと赤く染め、粉雪を被ったニット帽と紫外線防止加工が施されたゴーグルに覆い隠された彼女の表情は、傍から見ればほとんど分からない。だからこそ好都合なのだ。シーズン開始間もなく来訪者の多いこの時期、自然と顔を隠して一般客に紛れることができ、かつ長袖のウェアで全身を覆い、グローブで指先までをカバーして全身を紫外線から守ることのできるゲレンデは、まさに心美のために用意された遊び場であるといっても過言ではない。


 実際、朝早くより滑り始め、太陽の傾き加減からもうじき正午を迎えようかというのに、七転び八起きでは済まないほど雪山を縦横無尽に転げ回った心美は実に楽しそうだった。


「私は大丈夫よ。それに、ちょっとずつだけど要領を掴んできたわ。」


「お、マジか……?」


「見てて。」


 わざわざ言われなくとも、俺の視線は一面の皚々がいがいたる雪景色よりも澄み切った彼女の純白に奪われたままだ。すると、心美はボードに両足を固定されたままゆっくりと立ち上がり、目の前の緩やかな傾斜を何の躊躇もなく、およそ原付バイクと変わらぬ速度で大胆に滑り抜けていった。


 前言撤回、やはり心美の物覚えの速さは目を見張るものがある。所詮は少し齧った程度に過ぎない俺の教えがあったところで、普通は半日にも満たない練習で滑れるようになるほどスノーボードは甘くない。


「流石は心美だな。って、あれ──」


 相変わらず文武兼備な心美の才能に白い溜息を零すと、どうした事か、突如として何の障害もない斜面の終盤で彼女は不自然に転倒してしまった。何らかのアクシデントか、はたまた途中で怪我でもしてしまったのか。いずれにせよ、今は辺りに誰も居ないものの、いつ急に後続の一般客がやってくるか分からない。衝突事故を避けるためにも、急いで彼女を助けに向かわなければと頭で考えている頃には、疾うに身体が動いていた。


「お、おい心美! 無事か!?」


「ええ、堅慎。私は何とも……。ただ、この子が──」


 その場にうずくまって動こうとしない心美のもとへと急いだ俺の心配は、一先ず杞憂だった。そして、少しだけ焦ったような声色で告げる心美の腕に抱えられていたのは、一羽の白兎だった。


「なっ、これは酷い……。」


 全身を白い体毛に覆われ、まるで精巧な人形のように丸く紅い瞳が美しい小さな兎は、恐らく心美と同じアルビノの類だろう。身体中の色素が薄いからこそ、瞳の奥の血管に伝う血液の色が強調されて紅く光るのが何よりの証拠だ。しかし、今はその偶然に驚いている場合ではない。なぜなら、心美の両腕に抱かれた兎の体毛が、まだ温かく乾き切っていない血に塗れていたからだ。


「可哀想に……。きっと身体が雪と同化してしまった所為で轢かれてしまったんだわ。」


 現に、心美は辺りに散った血痕に気が付いたことで咄嗟に衝突を免れたが、周辺の景色に夢中となっている他の客が足元の白兎の存在を予期できないのも無理はない。誰を責めることもできない事故だからこそ、遣る瀬ない思いに胸が騒いだ。


「この子、何とかして助けてあげられないかしら。」


「ああ。だが、そうは言ってもな……。」


 俺も心美と同じ気持ちだ。とはいえ、頼れそうなのはゲレンデに併設された救護室だが、衛生管理には特に気を配る必要のある場所へ野生動物を連れていくなど、冗談では済まされないだろう。


「だからって、このまま放っておく訳にもいかないか……。よし、取り敢えず急いでコースを降りよう。」


「そうね。堅慎、この子をお願い。」


 多量の出血による影響から弱り果て、紅い瞳から命の灯が失われていくのと同時に呼吸が細くなっていく野兎を見捨てられる非情さなど持ち合わせていない。心美から受け渡された小さな命を大切に抱き留めた俺は、決して転ばぬよう慎重に先を急いだ。

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雇われ探偵マツリカ yokamite @Phantasmagoria01

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