ヨル

メイルストロム

宵に溶けゆ


 ──心の整理をつけたいのなら、真夜中をお勧め致します──



 ……その理由を、師匠は教えてくれなかった。

 悩み続ける私に対してそれ以上の言葉はくれなかったし、慰めるような事も背中を押してくれるような真似もしてくれない。


 だが悲しきかな、それでも期待してしまうのが人間というもの。慰めてくれとも話を聞いてくれとも言えぬチキンな私は、普段なら出さないくらいの大きな溜息をついたりして師匠の気を引こうとした。


 ……それでも師匠はなんの反応も示さず、黙々と西洋人形ビスク・ドールを作り続けている。なんだかそれが無性に悔しくて、私はそれからもしばらく構ってアピールを続けてしまったのだ。


「ヨル、貴女はいつまでそうしているつもりですか?」

「……すんません、師匠。ちょっと出てきます」

「お気をつけて」


 玄関を開けるとヒヤリとした風が頬を撫でる。

 ……当たり前だろう。時刻は既に深夜一時を超えているのだ。春先とはいえこの時間帯にもなればそれなりに冷える。ハイカットブーツを履いた手前、自室に戻るのも面倒臭いので玄関脇のポールハンガーにかけられていた師匠のジャケットを羽織り外へ出た。


 ──向かう先は未定。


 ただ心の赴くままに、私の頭が冷えるまで歩き続けようと思った。それに時間が時間なのだ。開いている店はそう多くないし基本は夜の店だから騒がしくてたまらない。ある程度落ち着ける場所と言えばファミレスかネットカフェを利用すれば良いのだろうが、ここからは結構な距離があるのだ。

 ……それに恥ずかしい話、今の私の財布事情的にもそれらを利用するのは厳しい。

 なのでまぁ、私の足は自然と近所の公園へと向かっていく事になる。


「ほんっと、どうしたもんかなぁ……」


 所々塗装の剥げたブランコに揺られながら独り言ちるが当然反応はない。皆が眠りにつく時間帯に出歩いているのだから当然なのだけれど。


 普通、田舎の夜は満天の星空が見えたりして心が安らぐことが多い。しかし残念なことにもう、私はこの素晴らしい夜空も見慣れてしまった。

 昔ならあの星座を意匠に組み込もうとか、あの無秩序にも見える恒星からインスピレーションを受けていたのに今はもう何も感じない。


 ……そう自覚した途端、言葉にし難い悔しさと悲しさが胸に去来した。


 昔はあんなに世界が輝いていて、人形を作るのが楽しくて楽しくてたまらなかった。

 それなのに今はどうだ? 人形を作るのが楽しくない、とまではいかないが以前ほどの熱量がない。そしてきっと師匠もそれに気づいている。だから最近は素っ気ない態度を取られてしまっているのだろう。

 折角この界隈で伝説の人形師と噂されるリブラの弟子となれたのに、いつからこんな事になってしまった?


 ……人形作りの道を歩んで十年──私ももう今年で27になる。このまま人形製造師の道を進むか、ドロップアウトして人並みの人生とやらを手にするか。


 そんな二択が常に頭の片隅で渦巻くようになってからか?


 それとも別の原因か?


 ──わからない。


 ────わからない。


 ──────わからない。


 ──……なぜ私は人形師になりたいのだろう?



 自問自答を繰り返すが答えは同じ。どう切り口を変えようが答えは変わらず、どうして人形師を目指すのかという疑問だけが残る。

 人形師として食っていけるのはほんのひと握り……そんな事は知っていた。

 ……けれど何処かで慢心していたのだろう。

 私はリブラの弟子だ、いつか有名になって食っていけるだろうと考えていたのだ。

 今にして思えば、なんと浅はかで卑しい考えだったのだろう。


 だがそんな自信を持つのはもう、無理。

 そんな事は微塵も思えないし、有名になれる自信も当然ない。師匠の造る人形にはどうしたって届かないし、いくら真似て作ったところであの魅力は宿らないんだから。

 結局、私の作品は所詮師匠の劣化複製品でしかない。


 ──ならもう、私は不要だ。

 帰ったら師匠に土下座をして出ていこう。


「……ん?」


 悴んだ手をジャケットのポケットに入れた時、指先になにか触れる感触があった。取り出してみるとそれはタバコとジッポライターであり、どちらもそこそこ使い込まれていた。

 師匠が煙草を吹かしているところを見たことは無いけれど、こんな安煙草ですら様になるような気がするのはなぜだろうか?


 ……辞めるんだし、最後に一本くらいはいいだろう。箱の底を軽く叩いて一本取り出そうとすると──


「──なんだこれ?」


 煙草だと思っていたのは丸めた紙であり、それは師匠から私へ宛てられた手紙。

 その内容は飾りっ気のないシンプルなもので、私の心の深く柔らかいところを遠慮なくぶち抜いてくれた。


 ……結局、師匠は私に時間を渡したかったのだろう。渡すというより、与えるという方が正しいか。だからあんな態度……いや、よく考えれてみれば普段どおりか? それに私が覚えている限り、師匠の表情はあれ以外見たことがない。優しく微笑んでるように見えるけど細めた目だけが全く笑ってないあの微笑を常にしているのだ。

 年齢は教えてくれないし、そのくせ27の私よりもずっと瑞々しくて若い肌質と髪質をしている。こうなるとよもや師匠自身が人形なのではないかと疑いたくもなる。


「んなこと言ったら破門されんのかなぁ……」


 ボヤいてちょっとしたら自然に笑いが漏れた。

 こんなくだらない事を口にしたのはすごく久しぶりな気がする。


 ──その途端、胸中に渦巻いていた漠然とした不安がすうっと姿を消していった。


 何一つとして根本的解決はしていないけれど、気持ち心が軽くなったというか……少しは前を向けるような気がするのだ。

 ただほっつき歩く時間を変えただけで、通るルートも景色も何もかも変わっていないのに、なんだか不思議な気持ちだ。




 ──……深夜の散歩というのも、悪くはないのかも知れない。




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ヨル メイルストロム @siranui999

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