【KAC2023④】蓬莱の玉の枝

鐘古こよみ

蓬莱の玉の枝


 きっかけは国語の授業で竹取物語を習ったこと。

 それと、流星群だ。


 言い出したのは例のごとく絵美だった。放課後に誰かを遊びに誘わない日はない、賑やかなことが大好きで、少し寂しがり屋の絵美。


「ねえ知ってる? 学校の裏山、昔は蓬莱ほうらい山って呼ばれてたんだって!」


 竹本君の机の周りでいつものメンバーがだべっている時、少し遅れてやってきた絵美が、開口一番そう言った。

 彼女の脈絡のなさにはみんな慣れているので、ごく自然に受け止める。


「蓬莱山、竹取物語に出てきたよね。くらもちの皇子が玉の枝を取りに行くふりして、実は職人に作らせてたっていう……」

「あのオチ、結構好き」

「そもそも裏山、今はなんて呼ばれてるんだっけ?」

「あんなところに本物の蓬莱山があったらウケるわ」


 みんな好き勝手に喋るから騒々しい。竹本君が眼鏡を押し上げ、絵美を見た。


「それ、誰に聞いたの? 本当だったらちょっと興味あるな」

「えーと、誰かが言ってるのが聞こえたんだよね。こういう話好き?」

「うん、民俗学とか興味あるよ。地名にまつわるそういう話って、何かの事実を下敷きにしていることが多いんだ。富士見だったら、大体は富士山が見えるって理由だし、地獄ってつくところは、温泉地だから煙や熱湯が噴き出していることが理由、とかね。蓬莱山っていうのは、そうだなあ……」


 そこでチャイムが鳴り、話は昼休みに持ち越された。


 竹本君の席は窓際の一番後ろで、日差しが暖かくスペースが広いので、人が集まりやすい。さっきのメンバーがなんとなく顔を揃えたところで、彼は待ち構えていたように話し始めた。


「前に予習したから知ってるんだけど、蓬莱山って元々は、中国の伝説に出てくる山なんだよね。東の海にあって、仙人が住んでいて、不老不死の地。そこから転じて、神聖とされる土地や山も蓬莱と呼ばれることがあって、例えば富士山のことを指して蓬莱山と言う場合もある。台湾の異称なんて説もあるらしいけど」

「じゃ、学校の裏山は昔、神聖な場所だったってこと?」

「それはわからないけど、だとしたら、腑に落ちることがあるんだ」


 一拍置いてみんなの顔を見回し、竹本君は声を潜めた。


「あの山で昔、神隠しがあったって話を、聞いたことないか?」


 みんなは顔を見合わせた。僕は、不安げな表情になった絵美を見る。

 手の甲に何かが触れた。見れば花ちゃんが、切りそろえた前髪の下で眉根を寄せて、竹本君を見ている。その指先が何かを掴みかけてやめたように、僕の手の近くで中途半端に開いていた。


「あ……俺、あるかもー」

 いつも眠たげな雅道が、のんびりと手を挙げた。

「何十年か前に、男の子だっけな。中学生くらいの子が、行方不明になったって」

 それ、あの山の話なん? 訊かれて竹本君は頷いた。

  

「夏休み中の、肝試し大会での出来事だったらしい。そんなに高くない山だし、裾野の方は山というか、林道って感じだろ? 迷うような道もないのに、忽然といなくなって、今も見つかっていないんだって。それで、神隠しだと言われるようになった。神隠しってその名の通り、神聖な場所で起きることが多いと言われているんだ」

「あ、そっか。だから、蓬莱山って呼ばれていたなら、辻褄が合うんだ」


 そういうこと。頷き、竹本君は急にニヤリと笑う。


「今度の土曜、夜中にオリオン座流星群を見に行こうって話だったよな。まだ場所決めてなかったし、せっかくだからあの山で肝だめ……深夜の散歩でもしないか?」

「何それ、すげー面白そーじゃん!」

 雅道が急に元気になり、女子二人は揃って「えーっ」と声を上げた。


「ちょっとぉ、怖いんだけど! わざわざ神隠しとかあった場所でさあ」

「言っとくけど、何十年も前の話だよ。それを言うなら学校前の道路、数年前に死亡交通事故があったよ。そこは普通に毎日通ってるだろ」

「それに、毎年何人も遭難者が出てる山にはみんな、喜んで登るもんなあ」

「あれ、そっか。そう言われると、あんまり怖くないような……」


 竹本君と雅道が妙に目端の利いたことを言い、単純な絵美がさっそく丸め込まれている。隣を見ると、花ちゃんもさっきほど不安げな表情をしていなかった。目が合ったので、僕は「大丈夫だよ」と囁いて頷いてみせた。


「じゃ、決まりだな。親には肝試しじゃなくて、流星群を見るって伝えること」


 夜の零時に学校前集合。保護者として大学生の兄貴を連れて行くから。

 竹本君の言葉に反対する者は、もういなかった。


     *


 真夜中の山は木々の影が黒々とした塊に見えて、昼間とはまるで印象が違う。

 学校前で待ち合わせた僕たちは、竹本君の大学生のお兄さんに殿しんがりを任せて、裏山の裾野を取り巻く林道の入口へと来ていた。

 この辺りは民家が少なく、街灯もまばらだ。元々の目的である流星群の観察にはぴったりだったけれど、昼間に聞いた神隠しの話が頭に残っているのか、みんなどこか緊張した雰囲気を漂わせている。

 それぞれ懐中電灯を持っているから、道を外れさえしなければ、歩くのに難はない。なのになかなか、先へ進もうとする者が現れなかった。

 僕は暗闇に紛れて、隣に立つ花ちゃんの指先を軽く握る。

 緊張した指先が握り返してきた。


「おい、お前ら。まさかここまで来て、怖気づいてんのか?」

 お兄さんに苦笑気味に言われて、竹本君が足を踏み出す。


「行くよ。ちょっと登ったところに広場があるから、そこで観察をしよう。思ったより暗くて危なそうだから、それより先へは行かない」


 想像以上に不気味だったというのが、本当のところだろう。

 反対も賛成もなく、竹本君に続いてみんながぞろぞろと歩き出した、その時。


「あんたら、何してんの!!」


 場違いに鋭い声が、背後から飛び込んできた。

 全員、肩を揺らして振り返る。

 ちかちかと瞬く街灯の下に、小柄な人影が立っていた。

 白髪頭のお婆さんだ。すぐ近所に住んでいるのか、足元はサンダル履きだ。

 こんばんは、と、竹本君のお兄さんが頭を下げる。


「星を見に行くんですよ。あ、俺が一応成人してて、付き添いですので」

「馬鹿やってるんじゃない、すぐに帰りなさい!」


 拳を握って肩を怒らせ、お婆さんは威嚇するように怒鳴った。


「こんな月のない夜はな、蓬莱の玉の枝が光るぞ! それを見た子は、山の神様に取られるんだ! 悪いことは言わない、その山を登るのはよしなさい!」


 一瞬しんとなり、それから何人かが息を呑んだ。


「蓬莱の、玉の枝?」

 絵美が泣きそうな声で言った。

「この山はやっぱり、蓬莱山ってこと……?」


「そうだ。この山は大昔、蓬莱さまと呼ばれていたんだ」

 お婆さんが街灯の下から一歩も動かないまま、しわがれ声を少し低めた。


「おじいさんから言い伝えを聞いちゃいたが、あたしだって、あんなことになるまでは信じていなかったよ。あの時息子は、変なことを言っていた。山の上の方に、光る玉のついた木が見えるって。肝試しの日でな、親がおばけ役をしなくちゃいけなくて、忙しかった。ろくに話を聞かずに送り出し、終わってみれば、あの子は帰ってこなかった……」


 えっ、と雅道が声を上げ、竹本君が呻いた。もしかして、神隠しの。

 僕は目を見開いて、お婆さんをよく見ようと身を乗り出す。花ちゃんの硬い指先がそれを止めた。僕は振り向き、安心させるように頷いてみせた。

 大丈夫。どこへも行かないよ。


「ねえ、もう帰ろうよ」

 いつも口数の少ない真理恵が涙混じりの声を出し、そこが限界だった。

 絵美が真理恵と手を取り合って林道を駆け降り、雅道と竹本君がそれに続く。

 竹本君のお兄さんは中学生たちを先に通し、自分も足早に元来た道を引き返した。

 

 僕と花ちゃんは手を繋ぎ、その場に残って皆を見送る。

 見下ろすと花ちゃんは、赤い着物に映える白い肌をいっそう白くして、唇を嚙んで、真っ直ぐに前を睨んでいた。

 点滅する街灯の下に立ち尽くす、僕の母さんを。


 あれから何年経ったのだろう。随分歳を取っているから、わからなかった。

 母さん、僕はここにいるよ。

 心で呼びかけたけれど通じるはずもなく、母さんも山をひと睨みして、踵を返す。


「残念だったね」

 話しかけると花ちゃんは、表情を柔らかいものに変えて、ふうとため息をついた。

 この子も、可哀想なのだ。

 僕より先に山にいて、ずっと、友達が欲しいと思っていた。

 ――おにいちゃんはもうできたから、こんどはおねえちゃん。

 そう言う彼女のために、僕は、自分が通っていた中学に花ちゃんを連れて行った。


 花ちゃんが寂しがり屋の絵美を気に入ったから、僕たちは、しばらくこの男女四名の仲良しグループに、ついて回ることにした。

 やがて国語の授業で竹取物語を習い、皆が蓬莱山のことを知った。

 流星群が来るから夜中に見に行こうと、竹本君が言った。


 僕は囁いた。

「学校の裏山、昔は、蓬莱山って呼ばれてたんだって」

 絵美はお喋りだから、そんなことを聞いたらみんなに話すに決まっている。竹本君は絶対に興味を持つだろうと予想できた。

 神隠しの話題が出た時は、警戒されてしまうかと、ちょっと心配だったけれど。


 あのまま林道を進んで広場まで行っていたら、光る蓬莱の玉の枝が、絵美には見えていたことだろう。僕がそうだったように。


「大丈夫。来年もその次も、竹取物語を習う子はいるよ」

 花ちゃんを慰めたくて、僕は言った。

「蓬莱山に興味を持つ子は、いつだっているよ」


 ぞろぞろと遠のく集団の中で誰かが振り向き、山を指さすのが見えた。

 絵美だ。呆けたように立ち止まったのに、みんなは気付かないで進む。


 隣から小さく声がした気がして、僕は花ちゃんを見下ろした。

 黒目がちな眼差しで一点を見つめ、花ちゃんは赤い唇の端をきゅうと上げた。


 おいで。



<了>

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