アクスタ、地球飽和

都市と自意識

アクスタ、地球飽和

 祖父母の愛でこの地球を満たすべきだとわたしはかれらの愛犬ペグワンを看取ってそう思った。


 ペグワンはパグだった。まだ言葉のおぼつかない幼少の頃のわたしが、その真っ黒い美しい岩のようなペグワンを指さし「」といったその日にペグワンはペグワンになった。


 祖父母亡きあとわたしたちの家に引き取られてから3年ちょっとでペグワンは老衰で亡くなった。最後までペグワンは愛らしかった。祖父のお茶目さと、祖母の穏やかさを受け継いだかのようなペグワンはわたしたち家族から「まるでおじいちゃんとおばあちゃんの本当のこどもみたいね」と評されていた。


 というわけで、わたしはペグワンと祖父母のアクリルスタンドをつくることにした。


 机の引き出しの奥に溜め込んでいたお年玉を取り出す。これはこのときに使うために取っておいたような、そんな確信があった。


 作り方を調べる。自分でつくろうかと思ったけれど、わたしは公的な企業の生産ラインで生産されたペグワンと祖父母のアクスタを見たかった。


 業者調べます。業者調べました。相場調べます。


「最小で30ロットからですね」


 わたしは即決した。


 小ぶりの段ボール箱が家に届く。学校から帰ったわたしは一目散にそれを開けて、ペグワンを抱きかかえてにっこりと微笑む祖父母がプリントされたアクリルスタンドを手に取り、見た。ちょっと鼻を近づけてみる。新品のにおいだ。


 組み立て、学習机の上に置いた。うむ、とわたしはうなずく。愛によりこの場は満たされた。そんな気がした。


 アクリルスタンドは残り29個。わたしは次に、居間にある家族写真のまえにそれを置いた。


「つくったの?」母が訊く。


「つくったの」わたしは答える。


 わたしは翌日、学校にアクリルスタンドを持って行った。自分の机の中に入れる。めったに開けられなさそうな用具入れに入れる。校庭にある百葉箱にこっそり入れる。美術準備室の数々の資料や道具にまぎれこませる。


 わたしは祖父母とペグワンのアクスタを、裏山のお地蔵さんに供える。大木の根元に埋める。滝壺に放り入れる。環境破壊なんて気にしてはいられない。これは真の草の根活動だ。


 わたしはアルバイトを始める。幹線道路沿いの大型書店で働きはじめる。本棚の裏にアクスタを着実に設置していく。だれもそれに気が付かない。それでいい。


 アルバイトの帰り道にあるガソリンスタンドにも、マクドナルドにもこっそりと設置していく。


 わたしは眠りにつく前に想像する。マクドナルドのテーブルの裏に貼り付けられた祖父母とペグワンがにっこりと微笑み、ひとびとの生活を見守っている姿を。


 アルバイト代を注ぎ込んで追加発注をかける。次々とアクリルスタンドが届く。わたしはわたしの行動範囲内に着実にそれを撒いていく。修学旅行先にも持っていく。ホテルに、鍾乳洞のなかに、こっそり撒いていく。


 初めてできた恋人の部屋にも、こっそりと屋根裏に置いておいた。


 初めての海外旅行先である台湾にも、スーツケースにぎっしりと詰めて持っていった。


 そして気がついたら500年が経っていた。


 地上はアクリルスタンド工場で埋め尽くされ、そして地球の軌道上につくられた巨大な生産ラインが、いま、祖父母とペグワンのアクスタを作り終えるところだった。それは太陽の光を遮り、地球のほとんどに影を落とした。ペグワンの口からはみでた舌とつぶらな瞳が赤道の人々を見下ろしていた。


 祖父母とペグワンの愛を信仰する人々のなかでも特に強い思念波を持つ僧侶3000人が、それを太陽系の外に向けて打ち出す。


 宇宙規模のアクリススタンドは遠い虚空の彼方へと旅立っていった。


 そして10数年後。隕石の迎撃に成功したとの報が入る。


 宇宙望遠鏡に映し出されたのは、摩擦熱でぐちゃぐちゃになっても、上半分は無事で笑顔をわたしたちに向けている祖父母とペグワンの巨大な姿だった。


 わたしはため息を漏らすと、最初に作ったアクリルスタンドを白衣のポケットから取り出す。あまりにも指でなですぎたせいで、大半のプリントが剥げていてほとんどシルエットだけのようになっていた。


 そっと口づける。古いそれは、あまりにも古いそれは、祖父の家のちょっとかびたカーペットのにおいのようでもあり、太陽の光を受けて輝くペグワンの黒いおでこのにおいのようでもあった。わたしは小さく涙をこぼして「くさいなあ」と笑った。

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