六日目:ヨウカン×うどん
昨日帰ってきたばかりの先輩は、四日間に起きたことを聞くと押し黙った。
先ほど貰ったばかりの手土産はずっしりと重たく、チラリと見えた中にはお菓子や総菜が詰まっていた。警備のバイトを代わってもらった旨をあらかじめ伝えていたようで、カナダのお土産も入っていた。メープルシロップが個人的にはとても楽しみだった。
「実は、早番の奴から昨日の朝に連絡が入っててさ、“見たことのない絵画が警備室の机に置いてあるんだけど、後輩君が持ってきたものか”? って」
「見たことないわけないじゃないですか! だって、あの人が上の絵の具を削ったんですよ?」
「それなんだけどさ、あいつがそんなことをするとは思えないんだよ。伝え忘れてたんだけどさ……あいついい加減な奴で、遅刻の常習犯なんだ」
「嘘ですよ! 四日間毎日、十分前には来てましたよ」
「……いや、あいつは毎日十分遅れて来てた。遅刻してもニコニコしてるなんて、後輩君は立派な人だなって、呑気に俺にメッセージ入れてたくらいだからな」
先輩が見せてくれたスマホの画面には、三日前の日付で早番の彼とそんな会話をした事実が残されていた。
「君は、十分早く現れたあいつと定時で交代した。でもあいつは、十分遅れてきてそれまで待っていた君と交代したと言っている」
定時までの十分と、定時からの十分。その二十分の間、いるはずのない人たちがいたことになっている。
「君たちは、誰と会ってたんだ? ……あと、悪い。絵画が動くってあれ、嘘なんだ。ちょっとした美術館ジョークというか……ちょっとした出来心というか……」
申し訳なかったと両手を合わせて頭を下げる先輩から目をそらす。
もしも絵画が動くという情報が嘘だったとしたなら、なぜ絵画は移動していたのだろうか?
「言霊……」
男性が言っていたことを思い出し、先輩にバイト帰りの話を掻い摘んで話す。ところどころ不鮮明な部分があったが、大まかなことは伝えられたと思う。
目をつぶり黙って話を聞いていた先輩が、眉根を寄せると小さく息を吐いた。
「もしも言霊ってやつが本当だったとして、絵画が動いたって言うのは俺のせいだ。でも、そのあとのことはどうだ? 後に起きたこと全部、“最初に言い出したのは誰”なんだ?」
ヒヤリとしたものが背筋を伝う。
ぬいぐるみだと言ったのは、ウサギだと言ったのは、肖像画だと言ったのは、壁の中に何かあると言ったのは、誰だっただろうか?
「先輩……あの美術館って、T字の通路ってありましたっけ? 丁度横棒の部分の端は、監視カメラの死角になってるんです」
先輩がバッグから、小分けのパックになったヨウカンを取り出すと一つを口に入れ、もう一つをこちらに放り投げた。
ヨウカンを持ち歩いている大学生なんて珍しいなとぼんやり思いながら、包みを開ける。
「そんな通路はない。……なあ君、そのバーまでの道は覚えているか? 行こうと思って行けるか?」
首を振る。細い道を何度も曲がりながら進んだということ以外は、何も覚えていない。
大きな口でヨウカンを齧り、咀嚼する。小豆の甘みが口いっぱいに広がり、久しぶりに食べた懐かしい味に目を細める。
そう言えば、あのバーでは美味しそうな料理が出てきていたが、食べた記憶はない。食べる寸前までで、それ以降は記憶が曖昧だった。お金を払った記憶も、あの場所から帰宅した記憶もない。
もっと言えば、あのお店のマスターとも顔を合わせた記憶はない。料理はいつも、いつの間にか目の前に置かれていた。
後日先輩から、早番の人が言っていた絵画がいつの間にかなくなっていたと聞かされた。
「どんな絵が描かれていたのか、聞いてみても良いですか?」
「いや、もう聞いておいた。あいつが言うには、フランス人形の肖像画だったってさ」
「ウサギのぬいぐるみは……?」
「なかった。肩から上の、ただのフランス人形の肖像画。ツンと澄ました無表情だったってさ」
重苦しく押し黙った二人の間に、冷たい風が吹いた。
ヒンヤリとした北風混じり、かすかに声が聞こえたような気がした。
言霊美術館 佐倉有栖 @Iris_diana
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