孤独のいけにえ

浅里絋太

第1話

 夜空は満月をいただき、つめたい風が街をわたる宵のことだ。


 アメリカンショートヘアのシンシアは体毛を逆立て、ヒゲを引きつらせて身震いした。


 ――魔性の者が狩りをする。


 それを感じとったからだ。


「どうしたの? シンシア。怖がってるの? さみしいんだね」


 と、飼い主の少年が優しく触れてくる。


 シンシアは自分がその標的ではないことに安堵し、少年の手に顔を擦りよせた。






 バーのカウンターで、ウイスキーグラスを片手に店内を眺めている美青年がいた。


 ネイビーブルーのスーツに髪はオールバック。いつでもスーツ会社のCM撮影ができそうなほどの、すこぶる好男子だ。


 その青年――北村は、今夜の犠牲者を物色していた。


 好みの女を連れ出して、もてあそぶ。いくらでももてあそぶ。動画でも撮っておどせば、泣き寝入りに終わる。かんたんなことだ。睡眠薬を飲ませる量も熟知している。多すぎると倒れてしまうし、少なすぎると効果がない。


 そのとき、となりの席に若い女性が座った。


 彼女は注文したピーチフィズを飲みながら、年配のマスターと仕事の話をしていた。どうやら2回目くらいの客のようだ。彼女の横顔と、情の深そうな目つきが北村を惹きつけた。


 彼女はスマートフォンの画面をマスターに見せ、


「これなんですけど」


 するとマスターはグラスを磨きながら、


「すごいですね。これ、全部あなたの作られたぬいぐるみ?」


「ええ、もちろんです」


「ぬいぐるみ作家さんというのは、この店が14年前にはじまって以来のお客様です。光栄ですよ」


「そうなんですね。まあ、なかなか珍しいですよね。昔から、こういう細かいことが好きなんです。でも、ときどき、さみしくなっちゃうんですよ。たまにこうして、外にでもこないと」


 北村はそのやりとりを見ていた。


 今夜の標的が決まった。


 北村はトイレにいく風に立ちあがった。


 そのとき、名刺入れを床に落としていった。


 戻ってきたとき彼女はいった。


「あの、さきほど、これ、落としましたよ……」


「あ、これは申しわけありません。ありがとうございます。よろしければ、お礼にひとつ、おごらせていただいてもよいでしょうか?」




 北村はよろめく彼女をささえ、通りに出た。すこし雨のにおいがした。


「大丈夫ですか? さしでがましいようですが、おたくの近くまでお送りしましょう」


「すみません、わたし、こんなに酔ってしまって」


「いえ、きっと、おつかれなんでしょう。ハハ。ぬいぐるみというのも、作るときはよほど集中力を使いそうですからね」


 そんな風に、とびっきりさわやかに、かつ誠意のこもった輝かしい笑顔でいった。



 北村は孤独だった。だれかを抱きしめたい。自分のものにしたい。自由にしたい。逆らえないようにしたい。すぐにでもそうしなければ、バラバラになってしまいそうだった。



 北村はタクシーをつかまえ、彼女のいう住所に向かった。


 そこは都内のそこそこきれいな独身向けのアパートだった。1階のオートロックの前で、


「本当に、大丈夫ですか? お部屋まで、お連れしたほうがよさそうですね。ご迷惑でなければ……。本当に、心配なんです」


「あの、わたし」


「玄関まで、お送りしますよ。ここまできたので」




 やがて北村は彼女の部屋に入った。


 部屋の電気をつけると、窓のへりやタンスのうえに、さまざまなぬいぐるみが並んでいた。


 少年少女、老若男女、ほんとうにさまざまな人をモチーフにした、3頭身ほどのかわいらしいぬいぐるみたちだ。


 北村はそれらを鼻で嗤い、彼女をベッドに突き飛ばし、スマートフォンを取りだすと、動画撮影モードにした。


 彼女は声をあげた。


「なにするの!?」


「アンタ。甘すぎだよ。無防備だねェ」


 おびえる彼女を傍目に、すこし離れた机のうえにスマートフォンをほどよい角度で固定した。このときのために、スマートフォン用のスタンドも用意していたのだ。


 それから彼女に歩みより、拳を振りあげた。


「殴られたくなかったら、脱げ」


 と、思いっきりドスをきかせた声で脅しつける。


 彼女はおびえた目で、すすり泣きながら、おずおずと服を脱ぎはじめる。


 北村は全裸になった彼女を満足そうに見て、彼女の胸に手をのばす。


 そのとき、彼女が薄ら笑いを浮かべているのに気がついた。


「オマエ、なにを笑う?」


「ふふふッ」


「だまれ。気でもふれたか」


 そういって、北村は右手を振って彼女の頬を殴ろうとした。


 しかし、右手は空中で止まり、まったく動かなくなった。


「ふふふふ……。ひとは、だれしも、ひとりでかってに、気がふれているわね。ひとりで。あははッ……」


 彼女の目が黄金色に輝く。


 彼女の顔が迫ってきて、その桃色の、ぬれたくちびるが近づいてきた。


 北村は身動きがとれない中、そのくちびるを感じた。


 反転し、彼女がのしかかってきた。


 彼女の冷たい体は、次第にぬくもりに変わっていった。


 北村は最後のときまで、彼女の黄金色の瞳を見ていた。


「ほら、見てごらんなさい」


 そういって、彼女は手鏡を見せてきた。


 そこには、スーツ姿の青年のぬいぐるみが映っていた。




 彼女――夢魔はそのぬいぐるみをコレクションのひとつとして窓に並べ、立ちあがった。


「アァ、人間の精の、まことに甘いこと」


 どこかから、猫の鳴き声が聴こえてきた。


 夢魔は黒い窓を透かして、みずからの裸身にかさなった満月を見て、口横をなめた。


 どれほど飲んでも、かわきがいやされたためしがない。


 夢魔は夜のしずくから生まれ、あらゆる生命とおなじように、宇宙のおわりまで永劫に孤独なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独のいけにえ 浅里絋太 @kou_sh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ