不幸の依り代

脳幹 まこと

過ぎ去ってしまった機会への贖罪



 第2回のテーマは「ぬいぐるみ」ですか。


 うーん……


 書くネタがあるにはあるんですが、ここで出すのはちょっと変な内容でして。


 とはいえ、このタイミングで出さないと、本当に墓まで持ってくことになりそうなんで、ここで出しちゃいますか。 


 僕ね、昔、ぬいぐるみを持っていたんです。首に紫色のリボンがついてて、背中はこげ茶色で、お腹が白くて、もこもこの大きい尻尾がついてるモモンガのやつ。

 モモンガのあの平べったいフォルムは、どこに置いても安定して立つんで、ぬいぐるみとしては向いていたんでしょうね。


 で、幼い僕はそれを「リス」と呼んでたんです。

 モモンガだってことに気付いた後も、意固地になってずっと「リス」呼びでした。


 それがね……ぬいぐるみらしく可愛かったんだとは思うんですけど……

 目がどんよりとしてるというか、不気味というか。なんでしょうね、光がないんです。妙に現実的というか、ぬいぐるみというより、剥製……死骸に近い感じなんです。


 そんな印象もあって、ひたすら「謎の存在」って感じにしてました。ままごととか、遊んでても、アイツだけは外から黙ってじっとこちらを見つめている、そんな役回りにしてました。

 でもね、別に嫌ってたわけじゃなかった。むしろその不思議さを気に入ってさえいたと思います。

 今から考えると、安心して一人ままごとに没頭できたのは、外からの観客……リスのおかげだったんでしょうね。



 リスとの関係がおかしくなったのは、小学四年の頃でした。

 突然、あるクラスメートが僕のこと「疫病神」扱いしだしたんです。これといった理由もないのに。

 子供のやっかみなんてそんなもんでしょうけど。

 そして何故か、みんながそれを面白がったんです。近づいただけで逃げられ、鉛筆のクリップを拾ったら「汚れたから要らない」なんて言われる。


 そんなことが……およそ二週間ほど続きました。

 僕は憂鬱な日曜日を過ごしていました。月曜日が嫌で嫌で仕方がなかった。

 親にも相談できず、ままごとをしていました。これが全然面白くない。

 ふと顔を上げると、リスと目が合ったんです。


 瞬間、思いました。

 僕に降りかかる不幸は全部リスのせい。本当の「疫病神」はこいつなんだってね。


 それからは、リスは傍観者から敵役、嫌われ役に変わりました。そして悪を懲らしめるという名目で、毎回ひどい目に遭わせていました。


 実際、僕は結構どん底だったと思います。子供だったら、嫌だなあって思うことは一通りはすべて受けましたね。

 でもね、意外と辛くはなかった。

 仮想敵を作ると人は頑張れるなんて言われてますけど、本当ですね。

 なんたって、全部敵のせいに出来るんですから。

 アイツのせいで僕は不幸なんだ。あれもこれもアイツのせいにしてやれば良いみたいな感じで。



 その流れは反抗期になったら、もっと激化しました。

 具体的には暴言だけでなく暴力も増えたと言いますか。

 ぬいぐるみって柔らかいから、投げても殴っても大丈夫なんですよ。刃物使ってズタズタにするとかしなければね。

 リボンをキツくしてやったり、水に沈めてやったり、色々しました。僕がやられていることの何倍もひどいことをしました。

 暇さえあれば、壊れないように苦しめるすべを考えていました。

 僕の妄想の中では、いつも、アイツの中にはきっとドス黒い綿がつまっているのだと思ってました。


 現実も相も変わらずの日和でした。

 友達になれるかと思ったら、裏切られるか、疎遠になるか、煙たがれる。

 僕は何にも悪くないはずなのに、家に直帰する。そしてその苛立ちをアイツにぶつける。

 その繰り返しだったんですよ。手首を切るかわりに、アイツにぶつけることで正当化していた節はありました。



 大学時代。

 僕の通っていた大学は、他県から来た人もまあまあいたので、人間関係はある程度改善されました。

 大学で出来た友達は、僕の理不尽な(リスにしたことを棚に上げた)昔話を聞いて、一緒になって怒ってくれましたし、アルバイトで知り合った女性と良い感じにもなりました。


 ただ、不幸が完全に消えたわけでもありませんでした。

 高校からの悪縁が続いてしまったのもあるし、ガラの悪い先輩にパチンコや雀荘に連れ込まれたりもしました。

 とはいえ、高校以前と比べれば相当良くなったと思ってますが……



 節目となる出来事は、大学三年に起こりました。


 先述したアルバイト先の女性に手酷く裏切られたのです。

 色恋沙汰は体験したことがなかったので、これが物凄く辛かった。

 そのせいか体調も崩してしまって、親が出勤したと同時に急に熱も上がって、僕はうなされました。


 その時……

 すすり泣く子供の声が聞こえたんです。


 すぐにリスだと思いました。今まで声なんて発したこともないのに、直感でそう思いました。

 聞いた当初は少し嬉しかったです。


 ああ、お前も僕のために泣いてくれるのか、って。


 でもそれは勘違いだったんです。

 良く聞いてみると、

 その声は……くすくすと笑っていたんです。


 僕は恐くなりました。初めて机の上のぬいぐるみのことを、恐いと思いました。

 

 一日中、親が帰ってくるまでずっと続きました。



 それから、僕はリスを不幸の依り代として扱うのを止めました。


 僕なりに大切に扱いました。

 なでてやったり、動物にするみたいに手入れしてやったり、リボンを豪華にしてみたり。

 そのおかげか、不幸の度合いは和らいだ気がしました。まあ、どん底から落ちたら、後は這い上がるだけ、ってやつかもしれませんが……


 友人は変わらず僕のために怒ってくれました。友人の奢りで居酒屋に立ち寄って、べろんべろんになるまで酒を呑みました。

 それから、同じ友人に紹介された人とも意気が合って、恋人関係になりました。(こう振り返ると、この友人には感謝しかないですね)

 とにかく、前向きに生きようと心がけるようにしました。

 仮に自分が「疫病神」であったとしても、前向きに生きてはいけないという決まりはないですからね。


 そんな日々のなか、僕はいつしか気付きました……リスは僕を不幸にしていたのではなく、僕の望みを叶えていただけなのだと。

 つまり、今までの僕は不幸になりたがっていたのです。


 きっかけこそ理不尽なやっかみであったとしても、そんなものは一時的な流行風邪であって、貴重な学生時代をすべて台なしにするほどのものではなかった。

 ですが、僕にとっては必要だったのです。

 理不尽のせいにしてしまえば、自分の怠慢も苦悩も全部棚上げに出来ますからね。

 ただ自分を汚らわしい「疫病神」にするのは嫌だった。だから、リスを依り代としたのです。


 そんな学びを自覚してからは、物事が上手く進むようになったと思います。


 就活も卒研発表も無事に終わって、一段落がついたと思った時に、

 僕はリスに向かって思いの丈を伝えました。


 今まで無理を押し付けてしまったこと。

 悪者にしてしまったこと。

 本当に悪かったのは僕であったこと。


 すべてを打ち明けたら、僕はリスのその不気味な目も含め、すべてが愛おしく感じました。



 上京となって、僕はリスを実家に置いておくことに決めました。

 きっぱりと新生活を迎えたかったし、彼女と一緒に暮らすことになっていたためです。男がぬいぐるみなんてという先入観もありました。

 捨てるつもりはなく、帰省の際にでも顔を合わせられればと思ったのです。


 その頃、ちょうど祖父が米寿を迎えていました。

 何かを贈る予定はなかったのですが……「これを僕の代わりだと思って」と餞別に渡しました。


「いいのかい? 子供のころ、仲良くしてたもんなあ」


 祖父はそんなことを言いながら、にこにこしてました。

 孫からプレゼントをもらうのって、それが何であれ、きっと嬉しいんでしょうね。


 正直な話「孫からの贈り物なら、おいそれとは捨てられないだろう」という打算もありました。

 それに、家族に渡すプレゼントとして、苦楽をともにしたぬいぐるみを渡すというのは悪くないじゃないですか。


 僕は意気揚々と、不幸から逃れた新しい生活へとこぎ出したのです。



 ……


 …………


 ………………



 祖父はその二ヶ月後に病気で亡くなりました。

 健康そのものだったあの人が。

 ゲートボールの町内大会で優勝したばかりのあの人が。

「鉄人」とまでからかいまじり呼ばれてたあの人が。

 入院すら出来ないまま、あっさりと。



 葬式が終わって、リスを引き取ろうと思ったんですけど、実家にもありませんでした。家族に聞いても「あらそういえば」みたいな感じで、どこにもいませんでした。



 あと。 



 遺品整理の時にね、祖父の日記があったんですよ。

 一番近くにいた祖母含めて、家族も全然見たことがないって、ちょっと話題になったんです。

 年齢順に回し読みすることになって、僕の番が来ました。

 

 内容は、まあ、普通の日記だったんです。


 生前の祖父らしい、穏やかで明るい内容でした。

 僕の成長だったり、老人会の催しだったり、読んでるこちらもほっこりするような気持ちになって。

 それが……どうして、こんなことに、と悲しくもなり。

 ぺらぺらとめくる日記が終わらないで欲しいと思いながら、僕は祖父の生前を振り返っていました。


 その終わりのページに、こう書いてあったんです。



【どこからか 子どものわらいこえ】



 それを見て、

 そうか、僕は許されなかったんだ、って思いました。

 まあそれだけのことをしたわけですからね。見通しが甘かったって事なんだと思います。


 きっと、僕の不幸は祖父が代わりに被ったのでしょうね。

 文字どおり「不幸があった」ということです。


 今も特段不幸はないですよ。上手く生きられています。

 彼女とも近々結婚を予定してますし。

 幸せだと思ってます。



 ただ、僕が許されることもないでしょうね。


 だから、願いごとなんてないんですけど、でも、もし強いてあげるのだったら、

 僕が地獄におちる時、その道中でアイツにもう一度だけ会いたいです。

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