はじまりは本屋から
芦原瑞祥
運命! 圧倒的運命!
「恋に落ちちゃったの!」
幼馴染みのユンちゃんが、居酒屋の安酒を燃料にして暴走機関車のように語るのを、私は「へー」とさめた相づちで聞いていた。
相手は通勤電車で一緒になる、シュッとした顔立ちの眼鏡リーマンらしい。どうして中身も知らない男にそこまで入れ込めるのかね、とやんわり嫌味を言ったところ、ユンちゃんは「知らないわけじゃないもん」と反論しはじめた。
「こっそり彼のTwitterアカウントを特定して、過去ツイートをすべてさかのぼって趣味とか行動パターン、交友関係をチェックしたもん! あ、彼、もちろん独身だったよ」
「あんたの行動にドン引きして、独身かどうかなんて気にしてなかったわ」
「彼、すっごい読書家なのよ。電車でもいつも本読んでるし。だから、彼と自然に親しくなれる演出を考えたの。名付けて『はじまりは本屋から』作戦!」
ユンちゃんの語った作戦とはこうだ。
彼の推し作家の新刊発売日に本屋で待機、彼が本を取ろうした瞬間、ユンちゃんも同じ本に手を伸ばす。触れあう指先に感じる運命。「あっ、ごめんなさい」「あなたもこの作家、お好きなんですか?」「ええ。ぜひ感想を語り合いたいです!」で、めでたく連絡先交換。
私は「あんた馬鹿?」と言いたくなるのを酒で押し流して、当たり障りのないコメントをした。
「普通、他の人が取ろうとしてるものに手を伸ばさないでしょ。新刊台の本は複数冊積んであるんだし。空気読めない女だと思われちゃうよ」
ユンちゃんはしばらく考えたあと、修正案を出してきた。
「前もってその本を買い占めて、残り一冊にしておくの。それなら、ラストワン欲しさに手を伸ばしちゃったって言い訳できるでしょ。で、『好きな作家さんの新刊欲しさに強引なことをしたけど、我に返って恥ずかしがる同じ趣味の女性』として出会う。完璧!」
それ絶対書店員さんにバレバレで恥ずかしいやつ、と私は思ったけれど、「そっか。頑張ってね」とだけ言って、その日はユンちゃんと別れた。
一ヶ月後、ユンちゃんは本当に「はじまりは本屋から」作戦を実行し、計画通りに眼鏡リーマンとお近づきになった。最近では毎日のようにLINEのやり取りをしており、「こんなに気が合う女性は初めてだよ」と彼に言われたとか。
そりゃそうだろう、と私は苦笑する。
だってユンちゃんは彼が読んだ本はほぼ目を通し、彼のTwitterにあがっている感想もチェックした上で、「あの本あたしも読んだ!」「このシーンがたまらないのよね」と、彼にとって「すごく好みが合う」「話が通じる」女性を演じ続けているのだから。
「でもねー、LINEでずっと本の話したり、会社帰りに食事したりはするんだけど、休日デートには至らないのよ。うーん、『運命』が足りないのかなぁ」
「やっぱ既婚者なんじゃない?」
「ううん。Twitterにあがってた写真から家を特定して土日に見張ってたけど、ほとんど家から出てこなかったもん。ご飯時になるとコンビニとか牛丼屋に行ってたから、一人暮らし確定だし」
家特定して見張るとか、ひくわー。私が絶句していると、ユンちゃんはまた妙なことを言い出した。
「あたし、小説家になる!」
因果関係のわからない宣言に、私は「は?」と言ったきりフリーズしてしまった。
「彼、新人賞受賞作は大体チェックしてるから、あたしがデビューしたら当然受賞作を読むでしょ、そしたら『なんて感性の合う素晴らしい作家なんだ!』って惚れ込むはずよ。で、彼がサイン会に行くと、なんと推し作家があたしなの! 運命! 圧倒的運命!」
いやいやいやいや、一体何人の小説家志望者が七転び八起きどころか三十二転びくらいしながらも賞に応募し続けていると思っているんだ。そんなポッと出の、しかも小説を書かなきゃ生きていけないとか、物語が好きでたまらないってタイプの人間でなく、「好きな男を振り向かせるために」小説書いた人間が受賞したら、血涙どころか穴という穴から血を流して憤死するでしょ。
そうは思いつつも私はあえて突っ込まず、「どうやったら受賞できるような小説が書けるかな」というユンちゃんに、「写経っていって、上手な小説家の作品を書き写すことで、テンポとか構成とかいろいろ身につくらしいよ」ともっともらしいことを言って逃げたのだった。
それから一年後、ユンちゃんはファイナルフロンティア新人賞を受賞し、小説家デビューした。
私も受賞作を読んだが、付け焼き刃とは思えないほど斬新なアイデアとこなれた文体、はっとするような表現で、文句なしに素晴らしい小説だった。
忘れていたけれど、ユンちゃんは昔からノリと勢いだけで生きているものの、そのノリと勢いで常人には為し得ない能力を発揮する子だった。
「で、彼、ユンちゃんの小説読んだの?」
そう訊ねると、受賞祝いに私がプレゼントした高いワインをコップで一気飲みして、ユンちゃんが吠えはじめた。
「それがさ! あたしが『この小説、すっごく感性が合うよね』って水を向けたのに彼ったら、『ちょっと前にデビューした青井葵の作品の方が好きだな』って言うのよ! 彼の好きな小説を写経しまくってメチャクチャ好み通りに書いたのに、どこの馬の骨とも知れない青井葵とやらの方がいいなんて! あー腹立つ!」
彼がTwitterにアップしていた読了本写真の背景に、青井葵の本が写り込んでいたとかで、ユンちゃんは完全にその作家を仮想敵、いや恋敵と見做していた。かわいそうだな、青井葵先生。
「決めた! あたし、直本賞を目指す! 青井葵に目にモノ見せて、彼が二度とよそ見しないようにしてやる!」
高いワインを飲み干したユンちゃんが高らかに宣言するのを、私はもはや「こいつならやってくれる」みたいな期待の眼差しで見上げていた。
さらに一年後。ユンちゃんは直本賞の候補になった。
そして今、私はユンちゃんの「待ち会」に参加させてもらっている。「あたしがすべてを手に入れる瞬間を見ていてほしいから」とユンちゃんが招待してくれたのだ。
いつも無敵であるかのように振る舞っているユンちゃんも、さすがに今日は表情が硬い。編集さんはユンちゃんの緊張を解きほぐそうとしているが、彼女のあれは緊張ではない。同じくノミネートされている青井葵への強烈なライバル意識だ。
ここまで昇りつめればさすがのユンちゃんも、小説家としてのプロ意識に目覚めるかと思った。が、いまだに「直本賞受賞のニュースをテレビで観て、驚いた彼があたしに運命を感じてくれるため」というのがユンちゃんの行動原理だった。
ユンちゃんの携帯電話が鳴る。その場にいた全員が、固唾を呑んで見守った。
「はい……はい。ありがとうございます。では」
電話を切ったユンちゃんが、ガッツポーズをする。
その場にいた全員が立ち上がって歓声をあげた。私も興奮のあまり雄叫びのような声を出してしまった。やりやがった! ユンちゃん、やりやがった!
鳴り止まない拍手に見送られて会場へ向かうユンちゃんの背中に、私は「頑張れよ」と念を送った。
そう、ユンちゃんの「勝負」は、これからなのだ。
あとに残った人たちが銘々ネット中継やニュースを確認し始める。
「あ、直本賞、今回はW受賞なんだ」
私もパソコン画面を見させてもらうと、ホワイトボードに貼り出された受賞者の名前は、ユンちゃんともう一人――彼女のライバル、青井葵だった。
舞台上でユンちゃんが青井葵と取っ組み合いのケンカを始めたらどうしよう、と私が本気で心配しながらネット中継を食い入るように見つめていると、式典が始まった。まずは茶川賞・直本賞受賞者全員が金屏風の前に並んでの撮影だ。
名前をコールされて受賞者が舞台にあがる。意気揚々と歩いてきたユンちゃんの次に出てきた男性を見て、私は言葉を失った。
青井葵とは、彼女がさんざん写真を見せてくれたイケメン眼鏡リーマンその人だったのだ。なんたる運命。
情報について行けずに私がポカンとしていると、受賞者挨拶が始まった。
ユンちゃんがマイクを手に取り、正面ではなく舞台袖を向く。会場がどよめく中、彼女は高らかに言った。
「青井葵さん! この作品は、あなたのために書きました。……結婚してください!」
この回の直本賞は「プロポーズ受賞」として語り草になり、二人の受賞作は普段本を読まない層にも売れに売れた。
ユンちゃんが「はじまりは本屋から」作戦を決行した書店の新刊台は、恋が成就するパワースポットとしてだけでなく、「ここに新刊を置いてもらうと作家として大成する」ジンクスの場所として、あやかりたい人たちで今も賑わっている。
はじまりは本屋から 芦原瑞祥 @zuishou
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