僕は本屋が嫌いだ。
福山典雅
僕は本屋が嫌いだ
僕は本屋が嫌いだ。
その時僕は十八歳で、大学に入りたての世間知らずな子供だった。
一人暮らしを始めた事で、実家暮らしと言う暖かくも保護的な環境から、見せかけの自由と言う節度のない暮らしにすっかり酔っていた。
それはまるでサン=テグジュペリの「星の王子様」みたいに気ままだった。
そんな僕は本屋と出会う。
本屋は自分勝手で自由で奔放だった。僕の趣味などまるでお構いなしに勝手気ままに好きな事をする。その振る舞いは夏目漱石の「ぼっちゃん」みたいに意固地で、太宰治の「人間失格」みたいにとめどもなく、森鴎外の「舞姫」みたいに絶望的だった。
それでも当時の僕は本屋を嫌いになれなかった。
いや、僕は本屋があまりに眩しく、新たな価値観を常に発見出来て、気が付けば夢中で好きになっていった。
多少理解出来ない事があっても、本屋のする事には一定の理由が必ずあるのだと自分に言い聞かせ、カフカの「虫」の様にひたすら耐え忍んでいたのだ。
やがて幾つかの季節を本屋と過ごし、僕は大学二年になっていた。
僕らは夏を迎えた。大学二年の夏ほど気楽なモノはない。僕は多くの同級生達が里帰りという一大イベントをこなすのを横目に見ながら、マーク・トウェインの「トムソーヤの冒険」みたいに、何か新しい発見を本屋と共に探していた。
そんな時に本屋は僕を誘い、この夏を陽気で派手に、そして忘れられないモノに変えようと言う。本屋はいつも何か新しい企画を僕に提案して来る。だから僕と本屋はひと夏の冒険を行なう事になった。それはJ・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」みたいな無茶な旅だったかもしれない。
だけど僕らはそう簡単にうまくは行かない。僕は本屋の打ち出す様々な新たな感性に、ちょっとした嫉妬心を芽生えさせて卑屈になって行った。幼過ぎる僕の感性は、本屋の心の美しさを理解出来ない。そんなナイーブで一人よがりで、無知な存在が僕だった。
ある時、自分勝手なはずの本屋は、珍しくも真面目な顔で僕に言った。
「ねぇ、君はスコット・フィツジェラルドの『華麗なるギャッビー』みたいに生きようとしているけど、レイモンド・カバァーの『ビギナーズ』みたいな価値観で生きた方がよくない? 君は自分を誤魔化して生きているよ」
その言葉を聞いて、僕はぐっと息を飲む。
当時の僕にはその意図がまるで理解出来なかった。そのうえ他人の振舞いに対し、我慢したり批判をする事はあるけど、いざ自分の事を言われると、何故か無性に腹が立つ、僕はそんな情けない低レベルなプライドに支配されていた。
本屋が僕の何を知っていると言うのだ。僕は自己中心的過ぎる自尊心を守るだけの小さな男だ。だからダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」みたいな抗いようのない失望感を、強く本屋に感じてしまった。僕は何もわかっていなかった。
そうして僕は本屋と言う名字の女の子と別れた。
僕は大学三年の今でも本屋が嫌いだ。僕を誰よりも深く理解し、忠告をしてくれた唯一の存在で、いまだに彼女の幻影を追ってしまう自分を認めたくない。
※お詫び、本屋はルビを打ち忘れましたが、「もとや」さんと読みます、あしからず。
僕は本屋が嫌いだ。 福山典雅 @matoifujino
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