【KAC20231】書店員は見た!

宇部 松清

第1話

 私の名前は遠藤芽理衣めりい。『WALL BOOKS』という小さな書店のアルバイト店員だ。市内の大学に通う二十一歳である。キラキラネームなのには触れないで欲しい。私が悪いんじゃない。


 本は昔から好きだった。

 本好きなら誰もが一度は「書店員になりたい!」と思うものだ。御多分に漏れず、私もそう思った。何ならアルバイトじゃなくて、正社員を志した。でもまずは、現場を知ることが重要だ。そう思って、この本屋で働き始めたのである。


 実際に働いてみてわかったのは、確かに本好きにとっては最高の環境ではあるものの、繁忙期にはガチのマジで心が折れそうになるほど忙しいというか、折れるのは心というより、腰の骨なんじゃないのかな、ってことだった。思った以上に力仕事である。えっ、これ正社員とかマジで無理。


 人気作の新刊を待ち望む気持ちと、出たら出たで明日は戦争だと怯える気持ちがない交ぜになる。正直、働き始めた頃は、何度も辞めようと思った。本が好きという理由だけで続けられるような仕事ではない。


 だけど、最近は、ちょっとだけ楽しみがあったりする。気になるお客さんがいるのだ。いわゆる、『推し客』というやつである。毎日来てくれるわけじゃないけど、それだけに「今日は会えるかな?」とワクワクするし、会えた時はもう「ッシャァ――ァァァ!」と脳内で奇声を発し、トリプルアクセルからのダブルルッツ、トリプルサルコウを決めたくらいの気持ちになる。こんなのもうメダル確定でしょ。スケート靴なんて履いたこともないけど。


 はぁ、と大きなため息をついてエプロンを装着し、バックヤードから出る。ここから出たら、その瞬間から私はここの店員だ。誰にというわけでもなく、そして例え近くにお客様がいなくても「いらっしゃいませ」と言わなくてはならない。それが店のルールである。きっちり守るのは社員くらいではあるけど、店長に見られたらネチネチ小言を言われるのだ。


「いらっしゃいま――」

「困った……」

「せぇ――ェェェイッ!?」


 ッシャァ――ァァァ! 決まった――! 遠藤選手! トリプルアクセルからのダブルルッツ! ダブルトウループ! トリプルサルコウ!!


 脳内の私が、ズザァ! と着氷する。テレマークまで完璧だ。あれ? フィギュアってテレマークするんだっけ? まぁいいや。


 そんな脳内でフィギュアしてる場合ではないのである。

 今日は例の『推し客』がご来店しているのだ! よっしゃぁ! 今日の私、勝ち確ゥ! 


「これかな? いや、それともこっち……?」


 スラっと背の高い、真面目系イケメンである。ぴかぴかの銀縁眼鏡もご馳走さまです。恐らく大学生だろう。なんか賢そうだし。いや、眼鏡君ってだけで賢いって決めつけるのは早計か。私の弟なんて眼鏡かけてるけど馬鹿だもんな。


 私の推し客①、いつもはハードカバーの小説コーナーにいる黒髪眼鏡君である。①ということからもわかるように、私の推し客は他にもいる。それはまた来店の際に紹介させていただくとして、まずはこちらのお客様だ。


 何やら料理本コーナーでせわしなく左右に動きながら、『初心者』だの『簡単』だのと書かれているレシピ本をどんどん手に取っている。ハハン、成る程。さては彼、今年一人暮らしを始めた大学生ね。けれど、季節は既に秋。新生活の始まりと共に自炊に目覚めたのならば、普通は春に買いに来るはずだ。なのに、いまになって初心者向けの料理本を探しているということは――、


 ピコーン!

 

 わかりました!

 パターンA、手料理をふるまいたい恋人の存在です! 出来たな!? 出来たんですな? そんな相手がァ?! コングラチュレーション!


 安心してほしい。

 私はあくまでも推しを愛でたいだけの店員。彼とお近づきになりたいとか、そういう気持ちは微塵もない。愛でたい。とにかくイケメンを愛でたい。店員と客の立場だから課金することは出来ないのが悔しいところではあるが。


 ハァハァ、こ、これは店員として「何かお困りですか?」くらいの接触はした方が良い感じなんでしょうか?! どうなんですか、店長っ!? 駄目だ! 店長、いつものクレーマーババァに捕まってやがる! お客様ァ! そちらのビニール、勝手に破かないでいただけますゥ?!


 クレーマーババァとの対応に追われている店長をスルーして、再び当推し①に視線を向ける。すると彼は、あわあわと絶望的な顔をして呟くのだ。


「このままだと萩ちゃんのご飯が三食オムライスになっちゃう!」

 

 そんなことあるか――いっ!


 そんな三食オムライスになることある!?

 だとしても!

 だとしても!

 仮にマジでオムライスしか作れないんだとしても卵を乗せないでチキンライスとして出すとかさ!? そういうアレンジ(アレンジなのかな)くらいは出来るじゃん? 機転利かせろ! お客様の眼鏡は伊達なんですか?! 実はそんなに賢いキャラでもないの?! それはそれで可愛いけど! ていうか、独り言デカくない?! 脳内の声、だだ漏れ過ぎじゃない?! 


 落ち着け、落ち着くのよメリー。

 推しが少々残念イケメンの香りがして来たけど、落ち着いて。私はいつだってMERRY陽気に生きて来たじゃない。そう生きるのよって両親が名前に込めてくれたの。だったら陽子で良かったのでは?


 セルフツッコミで息も絶え絶えである。

 まさか当推しがこんなポンコツだったとは思わなかった。いや、それも含めて可愛すぎる。成る程これがギャップ萌え……。


 これ以上の摂取は危険と判断し、小休憩のため、彼に背中を向けてふうふうと荒い呼吸をしながら売り場の整理をしていると、


「――っと、すみません」


 と、推し①の声が聞こえた。

 あらやだ、衝突事故?! そんな周囲に人がいるのも気付けないほど真剣に選んでいたのね。私がもっと気を付けて交通整理していればこんな悲しい事故は起こらなかったのに――って!


「あれ、萩ちゃん?」

「うお、夜宵じゃん。お前何してんの」


 推し客②――!

 たまに来て漫画雑誌を立ち読みしていって下さるチャラ男系茶髪君――!


 待って待って待って。

 待って何これ。

 何この奇跡!

 知り合いなの?! あなた達!?


 トリプルルッツからのダブルルッツ! トリプルトウループからの! イーナーバーウーア――!!! 決まった! 見えたァ! 表彰台ぃぃぃ!


 何?! 今日何?! 私誕生日?! それとも命日?! ここが私の墓場になるってわけ?! 教えておじいさん! 教えてアルムのもみの木よ!


 などと私が悶えている間にも、なんやかんやと当推し達は親し気に会話をしている。まさか地獄のようなこの職場が天国になるとは。あれ、お迎えが来てる? 川の向こうにいるのはおばあちゃん……?


「萩ちゃん、料理するの……?」

「えっ、あ、いや、その。だって、夜宵だけにはさせらんねぇだろ。俺だってちょっとくらいはさ」


 びゃあああああああああああ!

 待って待って待って待って。

 何?! させらんねぇだろって何!? 俺だってちょっとくらいはって何?! これ一緒に住んでません?! 住んでるが故の発言ではありませんこと!? 


「あっ、その顔はアレだな、萩ちゃん包丁も持ったことないのに大丈夫? とか考えてるだろ! 違うぞ?! 俺だって調理実習の時には玉ねぎの皮だって剥いたし、きゅうりをあの、スパスパするやつでスパスパしたことあるしな?!」


 んふ――――――――!!

 

 こっちもこっちで残念イケメン臭がとんでもねぇ――!! 何よ、きゅうりをスパスパするやつって! スライサーだよ! 名前出て来なかったの?! いまたまたま本持ってて両手塞がってるからアレだけど、これ絶対何も持ってなかったらジェスチャー付きで説明したでしょこの子! 可愛い!


 その後、彼らは大量に持っていたレシピ本を一つ一つ吟味しながら棚に戻して、厳選した一冊ずつを大事に抱えてレジへと向かって行った。


 それを指を咥えて見ている私ではない。


 スピードスケート選手もかくやといった素早さでレジに向かい、『休止中』のプレートを薙ぎ払う。


「お客様ァ! こおっちらのレジへどうぞぉ!」


 いつもの三倍の声量が出たが気にしない。「遠藤さん、そんな声出るの……?」と店長が目を丸くしているが気にしない。出ます。有事の際には出ます。いまがその時ってわけ。


 手も繋ぎかねんくらいの仲良しさで並んで退店する二人を、最敬礼で見送った私は、実家にいる弟に思いを馳せた。


 初陽はつひ、あんたがBL尊いBL尊い言うの、お姉ちゃん正直全然わからなかったけど、いまなら全然わかる。今度実家帰ったら、アンタが強く推してた幼馴染みの両片想いのやつ、借りてくね。

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