僕の好きな本屋さん

メイルストロム

本屋のお姉さんと僕


 ──それは誰かを愛する事の素晴らしさを綴ったものかも知れないし、愛憎の籠もった呪いのようなお話かも知れない。

 人の醜さを隠すことなく綴った劇薬に等しい物語もあれば、底抜けに明るく愉しい夢物語もあります。

 寂しい王に殺されないようにと、千夜を語る物語も存在しました。


 動機はなんであれ、産み出された物語の数は宇宙そらに浮かぶ星の数にも迫る事でしょう。


「──故に、その中から貴方が手にした物語は出会うべくして出会ったものだと私は思うのです」


 穏やかな春風の吹く季節、僕はいつものように町に唯一ある本屋へ訪れていた。そこで店主のお姉さん──リブラさんからこんな風に話を聞くのが僕の密かな楽しみになっている。

 リブラさんは代々本屋を営んでいるらしくて、僕のお爺ちゃんが子供の頃からこの本屋はあるらしい。

 そしてその店主は必ず独特な意匠を凝らした西洋服に身を包み、浮世離れした美貌をもつ長身の乙女だと言うのだった。

 ……そんなものだから、子供の間では七不思議的な扱いを受けている。はずかしい話、僕もその噂にやられた口だ。

 仲間内で突撃した際、実際にお姉さんを目にした僕達はその背丈と怪しげな雰囲気にやられて逃げた。けど鈍臭い僕は靴紐を踏んでしまい、盛大にすっ転んだ挙げ句お姉さんに手当されたのである。

 そこで訪れた理由を聞かれ、素直に吐いた僕を彼女は笑った。

 ……で、その笑顔にやられた僕は本を買うフリをしてお姉さんに会いに行くようになってしまったというわけだ。けど、ただ会いに行くんじゃアレだからと、本来の目的を隠すために適当な本を買うようになっていた。

 だから本当は読むつもりなんて無かったのだけど、本を選ぶたびに話してくれるお姉さんの解説や紹介が面白くて気づけば本を読むのが好きになっていたのだ。そうしていつからか、お姉さんと雑談するくらいには仲良くなれた。

 それはすごく嬉しいんだけど……なんというか、お姉さんのお話は難しいことが多くてよくわからないことがほとんどだったりするのは内緒である。


「ねぇ、リブラお姉さん」

「なんでしょうか」

「リブラお姉さんは一体どれ程の本を読んできたの?」

「1億2986万4880冊程ですね。どれも皆、見所のある作品でした」


 これはまたとんでもない数字だ。というかそれ、一体どんなペースで読み続ければ達成出来るんだろう……?


「──一つ、お聞きしたいのですが」

「……いいけど、難しい質問はやめてね」

「然程難しくありませんよ。

 ただ、君がここをどんな風に思っているのか聞きたかったのです」 


 たしかに難しくはないけど、これはどう答えるのが正解なのだろう。いや、そもそも正解なんてないのだろうけど……だめだ、考えれば考えるほど迷いが強くなっていく。


「……リブラお姉さん、どうしてそんなことを聞くの?」

 

 時間稼ぎにしては稚拙なものだと理解はしているけど、それくらいしか今の僕に切れるカードがない。情けないと思いながらお姉さんの方へ向くと、彼女は口元を手で隠しながら微笑を漏らしていた。


「笑うなんて酷いや」

「すみません、君の言動があまりにも可愛くて。

 そして君の質問に対する答えですが、単純に興味が湧いたのです」

「……からかってるの?」

「いいえ? だって君くらいの年代の子は外で遊んだりするのが殆どでしょう。それに今の時代、紙媒体の本を読む子供自体が珍しいです。加えて通販サイトではなくこんな小さな書店に足を運ぶなんて大人でもそうはいませんから……興味を持たないほうがおかしいと思います」


 そう言って、お姉さんはあの日と同じように優しい笑顔を見せてくれた。僕が恋に落ちるきっかけとなった、あの笑顔を──


「それで──君はここを。この本屋をどう思っているのでしょうか?」

「……好き」


 悪戯っぽい笑みで話すお姉さんは魅力的だった。彼女は今まで見てきたどんな人よりも綺麗で、頭も良くて一緒にいて嬉しくなる。誰にも言えない、僕の好きな人。


「好き……?」

「へっ……? あ! うん! その、いろんな本があるしお姉さんの解説も聞けるから好きな場所なんだ!」


 不思議そうに見つめ返してくるお姉さんを見て、心の声が漏れ出ていた事に気づいた僕は顔から火が出る思いだった。

 まさかうっかり心の声を漏らしてしまうなんて誰が想像出来るだろう。それもよりによって、想いを寄せている相手の目の前で!


「ふふっ……面白い答えをありがとうございます。

 ですが──君が好きなのはなのではありませんか?」


 完全に見透かされてる──そう感じた瞬間にもう僕は何も言えなくなっていた。それにここで否定したところでもう意味はないだろうし、ムキになって否定すれば照れ隠しと取られかねない。いやまぁ事実そうなのだけれど、これ以上恥の上塗りをするような真似はしたくなかった。


「──もし、君が大人になっても変わらずに私へ好意を抱いていたのなら……また来てくださいね」


 そう言ってお姉さんは、半ばパニック状態の僕にまた微笑んだのだ。






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