第101話:逆鱗と自称天才軍師の笑み

「まぁ不本意っちゃあそうだが……仕方ねぇ、ちょいと、俺の拳に付き合えよ」


 ここで皇女の剣は、これまでに見せたことのない、波を描くような動きの構えをとる。

 その巨躯故に、ラーズの戦い方は力押しに思われがちだが、実際はそうでもない。

 いや筋力が人並み以上なのは事実だが、それに頼った戦い方ではないというべきか。

 いずれにせよ、彼が重視しているのは、しなやかさと速度である。

 だが此度の動きは、しなやかさこそあれ、速さなど微塵も感じさせないものだった。


「俺の師匠たぁ別の流派の技なんでなぁ……あんまり得意な方じゃあねぇんだが……」


 その僅かな合間にもアジムは攻撃の手を緩めない。


「ゴオォォォ!」


 ラーズは流れるような受け技で、その攻撃を逸らすと、同時に貫手で急所を穿った。

 それは東方の国より伝わる武術……その中でも点穴と呼ばれる特殊な技……。


「グアァッ!?」


 耐え難い激痛に、アジムの顔が歪む。

 指一本の貫手を身体に突き刺す様は、見慣れぬ者にはややグロい……。

 その傷跡からはドス黒い……通常の血とは違った何かが流れ出している。


 ──なるほど、確かに……普通じゃあねぇな……。


 誰の目から見てもわかる、明らかに異質な液体……おそらくこれが竜の血であろう。


「グォォ……コ、コロス!」

「あんまり暴れんじゃあねぇよ……余計に傷口が開くぜ?」


 怒り狂うアジムの猛攻も、緩やかな動きで全て受け流し、的確に点穴を突き続ける。

 いつもの激しい“動”ではなく、“静”のラーズといったところだろうか。

 気がつけば、アジムは身体中の急所から大量の血液を垂れ流すことになっていた。

 血液と共に、その粘性の高い竜の血と思しき液体は、徐々に失われつつある。

 だが同時にこれは、失血死の可能性が高まってきたということでもあった。


 ──こいつぁ、間に合うかどうか……危ねぇとこだな……。


 ラーズは元凶たる堕徒ダートと、それに対峙するレミィの方へと目を向ける。

 だが今はその判断を仰げる状況ではないようだ。

 と、そこで視界の端にジャミルと傍に立つエトスの姿が映り込む。

 ただ祈るように手を合わせ、じっと我が子の方を見つめる母。

 そして、その横で必死に励ますエトスを見たラーズは、笑みを浮かべつつ呟いた。


「いや、ここは期待に応えねぇと……俺たちカッコわりぃぜ……アジム」





 辺りは、先程までの戦場とは違った様相を見せていた。

 変異したアジムに狼狽うろたえるオークたちを、帝国兵士が宥めるという状況……。

 そこから堕徒ダートの出現を経て、両軍の兵士たちは皆警戒体制をとる。


「もうこれ以上、何があってもアタシは驚かないよ……とは、思ってたんだけどねぇ」


 そんな中、リィラは頭を掻きながら難しい表情で中央の出来事を眺めていた。


「どうかなさいましたか? リィラ様」


 いつもの調子で、フェリシアは笑顔のままに問いかける。


「どうもこうも……あの銀髪の坊やは一体何者だい? さっきの動きは、どう見ても達人級マスタークラスじゃないか……」


「はい♪ ラーズ様は、記念すべき100代目の煉闘士ヴァンデール様です」


 こともなげに、驚くような内容が返される。

 リィラは一瞬目が点になったが、無理やり自分を納得させるように何度も頷いた。


「ああ、なんだい……あの、ルゼリアの屈強な戦士どもの頂点かい? 道理で……あんな器用な真似ができるわけだ……じゃ、あの騎士の坊やは……」

「エトス様は……とっても幸運な方です!」


 煉闘士ヴァンデールくだりを聞いたリィラは、続けてエトスのことを話題にあげる。

 と、フェリシアはやや食い気味にエトスの運の良さを強く前面にアピールした。

 いや、他にもいいところは色々あるのだが……。


「……幸運……運がいい……いや、さっきの光の障壁は、運だけでどうにかなるもんじゃないだろう?」

「あれは、エトス様の持っておられる盾の力ですね♪ ブルード様特製の魔導具マジックアイテムです」


 リィラが聞き返すと、間髪を入れず澱みない答えが返ってくる。

 そこは盾の能力という事で決着したようだ。


「なるほど、あのドワーフも只者じゃなかったってわけだね……となれば、その主人あるじたる姫君は……」

 リィラは大きく頷くと、何か言いたそうにしている傍の侍女メイドの方へと視線を送る。

「はい♪ もちろん、レミィ様も只者ではありませんよ♪」


 フェリシアはまるで自分のことかのように、ドヤ顔でそのセリフを口にした。


「そうかい……じゃ、あの姫君の傍に居る化け物のことは……後で聞くことにしようかね」





 戦場の中央で繰り広げられる、獣同士の決闘。

 その傍で火蓋が切られたもう一つの決闘は、問答から始まった。


「で? ワレ、そのチンチクリンの体で、このなっがい槍と、どないやり合お思てんねん?」


 シニーは、対峙するレミィの方に向かって煽るように言葉を投げかけてきた。

 言われてみれば確かにそのとおり……。

 背が低い分手足は短く、長物を相手にするには不利としか言いようのない体格である。


「ふむ……どうやり合おうかと考えていたところなのじゃ」


 レミィは、なんとなく構えながら、それに答える。

 これといった流派があるわけではないのだが、いつものレミィがとる構え。

 軽く腰を落とし猫足立ち、両手は開いたままで、腕を八の字にして少し前後にずらす。

 誰かに習ったわけではないが、なんとなく……これが一番しっくりくるらしい。


「おうおう……呑気なこと言うとる……のう!」


 やけに落ち着き払った少女の態度に、苛立ちを覚えたのか。

 シニーはセリフの途中で、手にした槍をレミィの顔にめがけて突き立てようとする。

 残念ながら、その不意打ちはすんでの所で躱された。

 まさに薄皮一枚、傍目には当たったようにも見えるほどギリギリの回避だ。


「へぇ、避けよったか……なんとか反応できとるみたいやけど、ほなこれでどやぁ!」


 主たる腕に装備した槍と、肩口から生えた大きな腕の鋏。

 4本の腕で繰り出す、槍と鋏の連続攻撃がレミィに襲いかかる。

 だが、そんな怒涛の攻撃も、一向に当たる気配がない。

 それもそのはず、シニーの槍捌きを見てレミィが抱いた感想は……。


 ──いや、遅いのじゃ……。


 この一言に尽きる。

 高速で相手を穿つ突き技といえば、ラーズの『──閃錐せんすい──』はまさにそうだ。

 過去にレミィが“シャシャー”という擬音で表現した、その技。

 幾度となく目にしてきた、ラーズのそれと比べると、どうしても見劣りしてしまう。


「オラオラオラ! どないしてん! 逃げんので精一杯せぇいっぱいかぁ!?」


 当人が自信満々に放っているだけに痛々しい。

 シニーには“速すぎてギリギリでしか避けられないでいる”ように映っているのだろう。

 だが、実際は“余裕があるので最低限の動きだけで避けている”という状態だ。


 ──言ってやったほうが良いのかのう?


 段々と、いたたまれなくなってきたレミィは、声をかけるべきかどうか思案する。

 気持ちよさそうに、右に左に攻撃を続ける異形の化け物。

 その堕徒ダートの姿に、周囲の兵士たちは皆、やや浮き足立っていた。


「ぬ……兵士たちに被害が出んようにせねばのう……」


 周囲の状況に気がついたレミィが、ふと無意識に呟いた。


「なんやぁ!? 一般兵なんぞ使い捨てのゴミやろがぁ!?」


 そこに、この戦場で最も空気の読めない男が、決して言ってはならない言葉を重ねた。

 ある意味、レミィの逆鱗である。


「……痴れ者が……」


 不用意に突き出してきた槍を左手で掴み、そのまま目一杯引き寄せる。


「ちょ!? 待てや!」


 想定外の力に体勢を崩したシニーは、その体を前のめりに突っ伏す形となり……。


「ゴミは……貴様じゃ……」


 天をも貫かんばかりの勢いで撃ち込んだ、レミィの強烈な一撃が顎に突き刺さる。

 バキバキバキッと、戦場の誰もが聞き取れるほど大きな……何かが折れ、砕ける音。


「ッゴァアアア!!!」


 それと同時に、シニーの絶叫が周囲に響き渡る。

 異形と化したその巨体と4本の腕を振り乱し、七転八倒悶絶である。


「アッ……アオッア……ンアァァオア!」


 下顎は砕かれ、その肉食獣のような牙もほとんどが折れて失われていた。

 何事かを叫ぼうとするも、言葉にならない。


 ──クソがぁ! なんや今の一撃……さっきの不意打ちのんとは桁違いやないか!?


 シニーは脳内で、我が身に降りかかった災厄を呪い、不平不満をぶちまける。


「兵を疲弊させ、国力を削ぎ、ただ卑劣な奸計で、戦場をかき乱すだけの愚かな軍師殿……せめて最期ぐらいは、潔く散るがよいのじゃ……」

「ウオア……アァァ……ウオァアー!」


 命乞いをするかのように、シニーは首を左右に振りながら呻き声をあげる。

 だが、レミィにその声は届かない。

 刹那、地面を砕きかねない勢いで強く踏み締めると、空中に舞い上がり前転……。

 そのまま、踵を首に叩きつけるように振り下ろす。

 ドスっと重たい音を響かせ、その一撃は周囲の大地を大きく揺るがした。


「オォ! オォォ……」

「その身に刻め……これが真の竜の力じゃ」


 殴打であるが故、かろうじて首は繋がっているが、シニーの意識はそこで途絶えた。

 だが……。


 ──アホ共が……束の間の勝利に酔うとけや……。


 自称崇高なる天才軍師は、薄れゆく意識の中、砕けた顎で笑みを浮かべた。

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