第100話:異形と竜の血

 “盾”の帰還をきっかけに、“剣”は少し落ち着きを取り戻した。

 わざわざ自分が相手をせずとも、相方がなんとかしてくれるだろう……。

 そう考えた皇女の剣ラーズは、改めて野獣と化したアジムの方へと向き直る。


「へへっ、おふくろさんの声、聞こえたかい? そんなつまんねぇ力に飲まれてんじゃあねぇよ」

「ガァァァ!」


 その声に、アジムは咆哮と暴力で応えた。

 ドスッと鈍い音をたて、硬く握られた拳がラーズの端正な顔に打ち込まれる。


「……けっ……痛くも痒くもねぇな……」


 常人ならば首ごとし折られかねないほどの一撃を受けて、なお笑みを浮かべる。

 さすがに効いていないというわけではないだろうが、ラーズは余裕の姿勢を崩さない。

 アジムは、今まで相手をしてきた者とは、明らかに違った空気を纏っていた。

 間違いなく自分と同類の……強さと誇りに生きる闘士だとラーズは認めていたのだ。

 だが、不浄な力で穢された今、彼の積み重ねてきたものは失われつつあった。


 ──こんな状態のオメェさんと、やりあっても意味がねぇんだよ……。


 そんな想いが、ラーズの中に芽生える。


「その程度の力に囚われてるようじゃあ、俺の相手にゃあならねぇよ……」


 挑発にも構わず、アジムは両手をハンマーのようにして振り下ろす。

 ここにきて、ようやくラーズが動きを見せた。

 人差し指で軽く逸らすように攻撃を弾くと、剛腕は驚くほど簡単に受け流される。

 と、そのままアジムは地面を叩きつけるように前のめりに突っ伏した。


「グ? グォァァァ!」


 何をされたのか、分からぬままに伏せ状態となったアジムが激昂の雄叫びを上げる。

 何度も地面を叩きつけ、その反動で起き上がると、今度は回し蹴りを放つ。

 だが、ラーズはその場から全く動かず、軽く軸足を払い転倒させた。

 アジムはそのまま側頭部から地面に落ちる形となり、痛みに悶える。

 地に伏す獣と、それを見下す獣……自然界における強者と弱者の構図。

 その優位に立つラーズが、珍しく戦いの最中で饒舌に語る。


「闘争の中、“力”だけじゃあ抗えねぇ相手に対して、編み出された“技”ってぇ知恵……オメェさんは、しっかりとその研鑽を重ねてきた……」

「ウッ……ガァァァ」


 依然として威嚇しながら、アジムはゆっくりと立ちあがろうとする。

 その動きを制するでもなく、ラーズは言葉を続けた。


「そいつを捨てて……借りもんの力だけで捩じ伏せようったって、そうはいかねぇ……それだけで勝てるほど、俺ぁ甘くねぇぜ?」

「ワレ……ハ、ザイギョォォォ!」


 話を聞く素振りすら見せず、アジムは大きく振りかぶって真っ向から拳を突き出す。


「最強は……自分で名乗るものじゃねぇよ……」


 その動きの激しさとは裏腹に、穏やかな表情でラーズは呟いた。

 そして、わざと交差するよう相手の軌道に沿って拳を合わせる。

 いわゆるクロスカウンターが、アジムの顔面に綺麗に入った。





「なんや、あのデカブツ……悠長に話しながら……アジムくんが元どおりなるとでも思てんのか?」


 シニーは、露骨に不機嫌な表情で後ろの方を振り返る。

 その澱んだ目には、醜く肥大したアジムとそれに対峙するラーズの姿が映っていた。

 いろいろと思いどおりにいかない中、一つだけは形になった……。

 切り札を防がれ苛立つシニーにとって、それは正気を保つ拠り所なのだろう。


「何しよ思てんのか知らんけど、サイキョーアジムくんはもう元には戻らんで……あのニルカーラ様の血を、原液で飲んどるんやからなぁ!」

「ニ、ニルカーラって言やぁ、旦那……それは邪竜……」


 勝ち誇るかのように、シニーは大声での邪竜の名を語る。

 と、その名を耳にしたオークの一人が、口を滑らせてしまった。

 刹那、手にしていた禍々しい槍がその頭部を穿たんと放たれる。


「邪竜て、誰のこと言うとんねん、こらぁ! 真竜や! 真の竜や!」

「ひぃぃ!」


 あわや、串刺しとなるすんでの所で、なんとかエトスが割って入った。


「危ないよ、オークの皆さん……ちょっと守りやすいよう後ろに下がってくれるかな?」


 ガキンと音を立て弾かれた槍は、まるで生き物のようにシニーの手元へと還っていく。


「チッ……ほんま、めんどくさいガッキゃのう……だぁるぇに断ってニルカーラ様の神器レガリア弾き返っしょんねん!」


 巻き舌の独特な口調で凄まれるが、こういうやり取りはエトスも慣れたものだ。

 帝国の騎士ともなれば、もっとめんどくさい貴族に絡まれることもある。

 わかりやすい罵詈雑言を口にしてくれている分、返って気が楽とも言える。

 ──こういう情緒不安定でお喋りな奴ってのは、大体……。


「その“真竜様”の血とやらを飲んだだけで……あんなに大きくなるのか……」

「ん? へっへっへ、そや! でも見た目だけやないで? 筋力、敏捷性、耐久力……まぁ、およそ頭つかわんところは、だいたい常人の数十倍まで強化されとるわ!」


 エトスの言葉に、シニーは突然態度を変え、自慢げに語り始めた。

 相手の望む言葉や反応を雰囲気から察し、まるで興味があるかのように振ってみる。

 すると、それだけで不機嫌だった“お偉方”は突然饒舌に語り始める……らしい。

 これはエトスが、騎士になって一番最初に先輩から教わった処世術だった。


 ──やっぱり……効果てき面だな……。


「ふむ……まさか直接竜の血を与えるとは……なかなか強硬手段じゃのう」

「せやなぁ……ま、せやけどクラスニーもジリオンも時間かけ過ぎやねん。魔導具マジックアイテムやら呪印やら手間暇かけとったみたいやけど、あんなん何年かかるやわかったもんやないやろ!?」

「しかし……竜の血は、定命の者にとっては猛毒にもなる諸刃の剣じゃ……一時的な能力上昇は見込めても、永くは持たんのではないかえ?」

「あほか、せやから最初から“使い捨て”なんや」


 ──で、余計なことまで語っちゃうんだよなぁ……。


 自己陶酔しきったシニーは、その声の主が変わっていたことに気づいていなかった。

 ご機嫌で語る軍師の傍に、突如現れた軍服姿の小さな人影……。

 そう、そこに立っていたのはレミィだった。


「そこまで聞ければ十分なのじゃ」

「……って、自分……いつの間にゴアァ!?」


 槍を振るうには難しい、超至近距離からのボディブローが鳩尾みぞおちに突き刺さる。

 不意打ちにも近い、その強烈な一撃で、シニーは意識を失いかけた。


「エトス……対象の護衛から戦線の維持まで、見事な立ち回りだったのじゃ……今の腹芸も含めてのう」


 合間にレミィは、機転を効かせた臣下の対応を賞賛する。

 その一言に、エトスは満面の笑みを浮かべながら、サムズアップで応えた。


「ラーズ! 其奴の変異は体内に入り込んだ竜の血が原因なのじゃ……死なない程度に血抜きして、なんとかするのじゃ!」


 そして、続け様にラーズに向けても指示を飛ばす。

 あまりに雑で、どうしようもない指示を……。


「……無理難題言ってくれるじゃあねぇですか……姫さんよう」


 不敵な笑みを浮かべつつ、ラーズはその指示に呆れ気味の反応を見せる。

 だが、“できない”とは口にしない。


「ワレ! ワレハァァァ!」

「ってことでよう……わりぃな、ちょっとここからぁ手荒になっちまうぜ?」


 かつて、ラーズが手荒ではなかったことなどレミィの記憶にはないが……。

 頼れる皇女の剣は主人あるじの期待に応えるため、新たな技を披露する。

 それは、今までの戦い方とは一線を画す、まるで舞のような動きの技だった。





「ちょっと、姫君! そんな前に出て……何してんだい!?」


 ほんの一瞬目を離した隙に、総大将たる皇女殿下レミィが、敵陣に突撃していた。

 一介の騎士や部隊長レベルの人材ではない、大国の次期皇位継承者が、である。

 これには、さすがのリィラも焦りが隠せなかった。


「いやいや、これは予想外だよ……どうしたもんかねぇ?」

「いえ、おそらく……心配はないかと」


 慌ただしく、右往左往するリィラに対し、フェリシアがいつもの調子で語りかける。


「角娘さん……なんで、そんなに落ち着いてるんだい?」


 その、あまりの冷静な対応に、疑問を口にせずにはいられない。

 だが当の専属侍女メイドは、いつもの笑みで、こう答える。


「レミィ様が、あのような卑劣な方に、負けるとは思えませんので」

「そ……そうなのかい?」

「はい♪ すぐに、お戻りになりますよ」


 フェリシアは、まるでそれが日常の出来事であるかのように振る舞う。

 自信に満ちたその回答に、リィラは押され気味で納得せざるを得なかった。





「おえぇぇぇっ……くっそがぁぁ……やってくれるやないかぁこんガキがぁ!」


 胃の中の全てを吐き終えたシニーが、憤怒の形相でレミィの方へと向き直った。


「ワレ舐めとったらあかんぞゴルァ……調子乗り腐りゃあがってクソチビがぁ、ええかげんさらせ!」


 いつにも増して口汚い言葉でレミィに罵声を浴びせる。

 その叫びに合わせ、シニーの体は徐々に黒い外皮に覆われていった。

 肩口からは鋏状の手をした大きな腕が一対、足には強靭な猛禽類の爪が生えている。

 顔は肉食獣の牙を持った山羊のようで、もはやエルフであった原型を留めていない。

 まさに、異形の存在といったところだろうか。


「いてもたるわ! ワイは……“藍の使徒”シニー! 真なる竜神ニルカーラ様に仕える最も崇高なる堕徒ダートじゃ!」


 さらに癖の強い名乗りを上げ、胸元の不気味な紋様を怪しい藍色の光りに染める。

 ようやくその本性を曝け出した堕徒ダートの前に、レミィは仁王立つ。

 そして、左手に装着していた指輪を外すと、ラーズに倣って名乗りをあげる。


「聖竜イリスレイドの娘、神聖帝国グリスガルドが第一皇女……レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルド、いざ尋常に勝負なのじゃ!」


 久しぶりに戦闘態勢をとったレミィの足元が、ズシリと沈み込んだ。

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