第99話:雷撃と忠誠の盾

 豪胆族の族長……アジムの父は、数ヶ月前に部族間の抗争で命を落としていた。

 現状、その跡を継いだアジムこそが豪胆族の族長なのである。

 だが彼は、その事実を受け入れることができていなかった。

 故に、彼は名乗りを上げるときにもこう言った。


 ──「ブルトガルド決死隊……豪胆族が族長の息子、アジム」


 そう……彼の中には未だ、先代の大きな背中が立ちはだかっていたのだ。

 成り行きの世襲で受け継いだ、族長という地位。

 実力主義のオーク社会においては、異例とも言える処置であろう。

 この継承を良しとしない者も部族内には居たが、アジムは力でそれを捩じ伏せる。

 皮肉にも、そのことが自分の存在を認めさせるきっかけとなった。

 だが、他ならぬアジム自身が、このことに納得していなかった。


 ──いな! あの偉大な父を越えるには未だ至らず!


 ただ力を見せつけるだけでは意味がないのだ。

 今、豪胆族に……オークという種に足りていないのは知恵……。

 後継者として相応しい、文武に秀でた者であると示さねばならない。


「我! 豪胆族の最強を証明せん! 故、此処に果てること無し!」

「ええやないか……その夢、ワイが叶えたるわ! ──目覚めよ竜因、弱者に力、愚者に知恵、亡者に命、仇なす者に絶望を──」


 アジムを見つめるシニーの目が、徐々に黒く染まっていく。

 そして、恭しい詠唱と共に、両の手を大袈裟に開き胸を張る。

 と、先ほどまで猛攻を繰り出していたアジムが倒れ伏すようにして苦しみ始めた。


なヌ! コれ……ハ……グ嗚呼あぁアァ!!!」

「おい!? どしたい、アジム! 面しれぇのはこっからだろうがよ!」


 禍々しいオーラがアジムの全身を覆い尽くす。

 突然の出来事に、ラーズは対戦相手の元へと歩み寄る。

 刹那、その巨体を吹き飛ばすほどの強烈な掌打がアジムから放たれた。

 先ほどまでとはまるで目つきの違う、凶暴さを剥き出しにした表情……。

 およそ知性ある生き物からかけ離れた、獣の如き形相でラーズを威嚇する。


「ワレ、ハ、サイキョウ……」


 オークにしては小柄だったその体は、大きく肥大し筋肉も異常に膨張している。

 その巨躯は、ラーズに勝るとも劣らぬほどの大きさにまで達していた。


「せやせや……自分最強や言うてたもんなぁ? ほな、そんなデカブツに手こずってる場合ちゃうやろ、早よいてまえや!」


 不意に受けた強烈な掌打に、ラーズは僅かばかり後ずさる。

 先ほどまでの拳とは桁違いの威力……。

 ラーズの表情からは、いつもの飄々とした笑みが消えていた。

 だが、その理由は、アジムの力に驚いたからではない……。


「誰だよ……面しれぇところで邪魔ぁしやがった奴はよう?」


 炎を宿した冷たい視線が、ゆっくりと周囲に向けられる。

 その目は対戦相手であるアジムを全く見ていない。


「なにごとだい? ハーフオークの子が大きくなったかと思えば、あの銀髪の坊や……ボーッと辺りを眺めて……」

「あ、これはダメなやつなのじゃ……」


 レミィは、アルバーナで貴族相手に怒りを爆発させたラーズの姿を思い出していた。


 ──あれは、ちょっと怖かったからのう……。


 畏怖すべき存在である竜が、恐怖を語る……ラーズの怒り。

 レミィの知る限り、ラーズの逆鱗に触れる者には3つのパターンがあった。

 まず一つは、ラーズ自身が認めた仲間に、害をなす者……。

 もう一つは、権力を傘に、身分の低いものを罵り見下す者……。

 そして最後の一つが、互いに誇りをかけた神聖な闘争を邪魔する者……である。


「嗚呼……か、カシラぁ―!」

「やかましわ自分ら! 見てみぃ、あのデカブツ……サイキョーアジム君見て、戦意喪失しとるやろが!」


 変わり果てたアジムの姿に、周囲のオークたちは皆悲痛な声をあげた。

 一方で、シニーは悪びれもせず、満足げな笑みを浮かべながら中央を見やる。

 ふと、そこに佇む、銀髪褐色の獣と目が合った。


「……テメェか……」

「ヒッ……! な、なんやねん! 誰にメンチきっとんじゃゴラァ! よそ見しとる暇あんのかい!」


 シニーの罵声に合わせるように、もう一匹の獣……アジムがラーズに襲いかかった。


「ゴアァァァ!」


 自分を無視して、周囲に目を向けるラーズの姿勢に腹を立てたのだろうか……。

 肥大化した剛腕を振り翳し、狂ったように何度も殴りつける。

 そこに、先ほどまでの洗練された技の冴は見られない。

 攻撃と呼ぶにはあまりに稚拙な、ただの暴力。

 ラーズは、それを避けることも防ぐこともせず、ただ、その身で受ける。

 貫くような視線を、シニーに向けたまま……。


 ──そっちは選んでいないはずなのじゃが……このままでは殲滅コースなのじゃ……。


 相手が如何に卑劣な手段を用いたにせよ、決闘の相手はアジムである。

 ここで、ラーズが別の対象に手を出したとあっては……いろいろと都合が悪い。

 いや、そもそも殲滅は望むところではない。

 見るに見かねたレミィが動こうとしたその時、思いもよらぬ方向から声が上がった。


「何やってんだい! アジム! あんたはそんな弱い子じゃないだろ!」





 皆の視線の先、少し離れた小高い丘の上から声を上げる、人間の女性。

 そのすぐ傍には、帝国の徽章が印された白い鎧を身に纏う騎士が控えている。


「姐さん! ご無事だったべかぁ!?」

「あ、姐さぁん! カシラが……カシラがぁ……」


 姐さんと呼ばれた、その女性……ジャミルは、浮き足だったオークたちに檄を飛ばす。


「あんたたちも! こんなことで狼狽うろたえてんじゃないよ! それでも豪胆族の戦士かい!?」


 そのまま丘を滑るようにくだると、オークたちの元へと駆け寄っていく。

 慌ててエトスも、それに続いた。


「……なんや……あの女、まだ生きとったんかい……」


 興味なさげに目線を逸らしながら小声で呟く。

 その声が聞こえているのかいないのか、ジャミルは鋭い眼光をシニーに向けた。


「騙されるんじゃないよ、あんたたち! そこのクソエルフ……そいつは、裏切り者だよ! 私を敵国に売り渡そうとしたんだからね!」


 そして、人差し指を突きつけるように向けて糾弾する。


「え!? まさか……シニーの旦那……」


 ──……今更……しょうもないこと言うてくれるやないか……。


「旦那……どういうことだで!? 旦那は、俺たち豪胆族を最強へと導いてくれるって……」


 そのジャミルの言葉に、動揺を隠せないオークたち。


「ははは、なに言うとんねん……自分ら……」


 シニーは、薄ら笑いを浮かべながら、芝居がかった身振りで振り返る。

 刹那……。


「なんでワイがオドレらみたいな、劣等種族導いたらなあかんのじゃ!」

 堕徒ダートの殺意が牙を剥く。


 ──……潮時や……もうええやろ……。


 高く翳したシニーの手に、よこしまオーラが集束し始める。

 と、不気味に脈打つ漆黒の槍が、そこに形作られていく。


「死にさらせぇゴミ虫どもがぁ! ──千徂・澱雷せんぞ・でんらい!──」


 口汚い言葉で周囲を威圧しながら、そのいびつな槍の穂先を天へと掲げた。

 それは、光を放つ紫の雷……その対局とでも表現すべきか……。

 闇を放つ黒の雷が、シニーの周囲にいるオークたち、そしてジャミルを穿たんとする。

 雷撃は、あらゆる攻撃手段の中でも、非常に防ぎにくいものに分類される。

 属性ダメージであるが故、実体がないのもそうだが、なにより発生が極めて速い。

 物理的な手段で防ぐことはもちろん、回避すること自体が難しいのだ。


 ──心配せんでも、息子も近いうちにそっち逝きょるわ……。


 母の無惨な死を前に、怒り狂うアジムの姿を想像し、シニーは歪んだ笑みを浮かべる。

 だが彼は、この場に居る最悪の相性の相手を見落としていた。


「そうはいくかよ! ──堅城鉄壁──!」





 エトスはジャミルと共に、伝えられた指示どおりレミィの元へと向かった。

 目的地の変更を受けて、最初は反発があるかと思っていたのだが……。


 ──あんたたちの主人あるじがそう言ってるんだろ? だったらいいよ……。


 意外にも、ジャミルはすんなりと受け入れてくれた。

 アイディスに手を引かれ、何も見えない影の中を歩くこと半刻ほど。

 あっという間に、帝国軍とオーク軍が交戦する最前線付近にまで辿り着いた。

 影から這い上がり、周囲の状況を改めて確認する。

 と、そこで目にしたものは、今まさに異形の者へと変異していくアジムの姿だった。

 矢も盾もたまらず、ジャミルは感情のままに我が子を叱咤激励する。


 ──いやぁ……母は強し、だなぁ……。


 すっかり気圧けおされたエトスは、レミィに帰還を告げるタイミングすら逃してしまった。

 だが、逆にそのおかげで、全体をしっかりと俯瞰するだけの余裕が持てた。

 今、エトスの傍に居るのは、このいくさの鍵となる人物……。

 二つの勢力の関係性を悪化させるために人質とされた、敵将アジムの母ジャミルだ。

 彼女が、こうして存在をアピールすれば、当然命が狙われることもあるだろう。

 ──下手なことを証言されては、都合が悪い

 そう考える者がいることは、予想がついていた。

 だからこそ、この役目には皇女の盾エトスが任命されたのだ。

 ならば主人レミィの期待には、必ず応えなければならない……。


 ──あのエルフ……何を……え!? 槍? いや、範囲攻撃か!


 そう判断したエトスは、すぐさまジャミルの前に立ち塞がり、盾を構える。

 そして、迷うことなく、周囲のオークたちも含めて守るよう光の障壁を展開した。


「なんや? この光!?」


 如何な攻撃も……たとえそれが物理であろうと魔法であろうと防ぎ切る、鉄壁の守り。

 もちろん相手が堕徒ダートであっても、その事実は揺るがない。

 それが『──堅城鉄壁──』……。


「……おぃおぃおぃおぃ! なんやねん、なんやねん! イラつくのぉ! なんで死んでへんのじゃ!」

「当たってないからだよ……全く、危ねぇなぁ……味方ごとやるとかイカれてるだろ?」


 シニーの放った黒い雷撃は、その厚い障壁と熱い忠誠心によって完全に無効化される。

 それは、まさに一瞬の出来事だった。

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