第98話:決闘と秘奥義の価値

 吹雪も治まり、徐々に昇り始めた陽の光が、僅かながら辺りを照らし始める。

 その陽を受けてか……あるいは二人が放つ闘争の熱気にあてられてか……。

 寒さで戦線を離脱していたオークたちは、次第に元気を取り戻しつつあった。

 だが、暴れ出すようなことはなく、帝国兵士と共に中央の戦いを、ただ見守るのみ。

 アジムが打てばオークたちが、ラーズが耐えれば帝国兵士たちが、各々歓声を上げる。

 そこには、ルゼリアの闘神祭を彷彿とする大きな盛り上がりが見られた。

 拳と拳がぶつかり合い、肉を打つ音が周囲に響き渡る。


「破ーッ!」

「そんなもんじゃあねぇだろ? 全部出し切ってくれよ!?」


 視界が揺らぐ中、足首の激痛に耐えながら、アジムは連撃を繰り出した。

 ラーズはそれを避けるでもなく、片手で捌きながら相手に発破をかける。

 煽っているわけでも、馬鹿にしているわけでもない。

 それは、相手が一流の闘士であると認めているが故に出てきた、裏表のない言葉。


「複雑な表情だね、姫君……どうしたんだい?」

「ぐぬぬ……なんか悔しいのじゃ……」


 眉を顰めたまま、二人の戦いを見届けるレミィに対しリィラが問いかける。

 どうやら、ラーズがそこそこ本気で楽しんでいる様子を見て、羨ましく思えたらしい。


わらわと組み手をしている時より、楽しそうなのじゃ」

「ちょっと、言ってることがよくわからないねぇ……」


 レミィの接近戦における実力を知らないリィラは、その言葉の意味を計りかねていた。

 そもそも、あんな大男と組み手をする小柄な皇女の姿が思い浮かばない。


 ──まだまだ、未知の部分があるようだね……この姫君には。


 聖竜の皇女に計り知れない可能性を感じたリィラは、ニヤリと口角を上げる。

 と、次の瞬間、いつものポーチから、あの光が放たれた。


「おっと……姫君、また、光ってるようだねぇ?」

「ぬ? また、しばし待つのじゃ」


 中央の戦いを横目に、そっと予言書のページを開く。

 ある意味大勢たいせいが決したこの状況で、そこに書かれていたのは……。



 ■124、一対一の決闘へと持ち込んだ君は……

 A:今後の交流を踏まえ“盾”に帰還を命じた。 →39へ行け

 B:残党の反乱を憂い“剣”に殲滅を命じた。 →70へ行け



 ──ここで、殲滅とか好戦的すぎるじゃろ……。


 この選択肢は、どういう基準から、予言書に記されているのだろうか?

 レミィの中で新たな疑問が浮上する。

 閑話休題それはさておき……。

 ここまで双方の被害を抑えてきた中、殲滅の選択はあり得ないだろう。

 だが、今回はもう一つの選択肢に記された内容も不可解なものだった。


「これは……この段階で、エトスを呼び戻せということかえ?」

「なんの話だい?」


 無意識のまま口に出していたその言葉に、リィラが反応する。

 少し慌てたレミィは、お手玉のように予言書を宙に踊らせた。


「いや、なんでもないのじゃ……ちょっと報告書をまとめねばならんでのう」

「おや、そうなのかい? 大国の皇女ともなると……いろいろと大変だねぇ」


 苦しい言い訳で誤魔化しつつ、予言書の少し先に目を通す。

 殲滅……という文字がある以上、そちらを選ぶことは元より考えていない。

 選択肢としては“盾”に帰還を命じる一択である。

 だが現状、単独行動をしているエトスと連絡を取る手段に心当たりがない。


 ──どうやって、そのことを本人に伝えるかじゃのう……。


 指を挟み、少しだけ未来を覗き見しつつ、レミィは解決策を思案する。

 と、そこに記されていた内容から、思わぬ可能性が見えてきた。


 ──はや? ……彼奴そんなこともできるのかえ?





 レミィたちのいる戦場から少し離れた場所……未だ吹雪の治まらない針葉樹林。

 悪天候の中、エトスはジャミルと共に、目的地である村を目指していた。


「さーて……結構歩きましたけどジャミルさん、大丈夫ですか?」

「ハァ……甘く見ないで……私は、この……北の地で……ハァ……育った現地民だよ」


 視界が悪く、足元も不安定で、進行にはかなり厳しい状況と言える。

 だが、エトスはこれといって疲れた様子も見せず、振り向きざまに声をかける。

 対するジャミルは、強がっているものの疲労困憊といった様子だった。


「あー……でも、あれです……俺ちょっと疲れちゃったんで……休んでもいいですか?」

「……えっ? でも、あんた……」

「いやいやいや……全身鎧って重いんですよ……腰も……あー痛ててて」


 極めて下手くそな演技で、腰が痛むような仕草を見せる。


 ──ほんっと、こいつムカつく……いろいろデキすぎててさ……。


 エトスのような男性が、皇女宮に務める上で最も重宝される能力はなにか?

 言わずもがな、それは優れた洞察力と相手への共感力である。

 皇女宮では、専属侍女メイドフェリシアを筆頭に女性が主として活躍している。

 そんな中で、男性陣がしっかりと存在感を示すためには、この二つの力が欠かせない。

 今、相手がどんな気持ちで、何を求めているのか。

 表情や仕草、ちょっとした言葉尻などの少ない情報から、それを読み解いていく……。

 これだけで、円滑なコミュニケーションを図ることができるのだ。

 そういう意味では、レミィと過ごした数ヶ月で、エトスのそれは格段に伸びていた。

 凍りついていた女傑の心を、ほぼ完全に溶かす程度には。


「まぁ、しょうがないね……あんたがそう言うんなら、ちょっと休もうか」


 野暮な答えは口にせず、ジャミルは“エトスの希望”に同意する。

 二人がそんなやりとりをしているうちに、天候も穏やかになりつつあった。


「お? やった! 少しマシになってきましたよ」


 僅かに射してきた陽の光に、エトスは影の境界が明らかになっていくのを確認する。

 と、そこに湧き上がる、拭いきれない違和感……。


「あれ? なんで俺の影こんな……なんか細……くない?」


 自分の影にしては妙にスリムで、動きにもズレがある。

 そして何より……。


「……いや……この影……目があるような……」

「じゃーん! 影の斥候、アイディスちゃん参上!」


 エトスの声に被せるように、影の中から飛び出してきたのは褐色肌の少年!

 ……ではなく、ダークエルフの少女、アイディスだった。


「うわっ! びっくりした! びっくりした! 何やってんのお前!?」

「な、なんだいこの子!?」

「あははは! 騎士サマもお姉サマも、驚いた?」


 二人の驚く姿に満足したのか、アイディスは満面の笑みを浮かべつつ影から這い出る。

 と、少し真面目な表情に切り替えて、レミィから託された言葉を二人に伝えた。


「さて、皇女サマからの伝言だよ。『母君をお連れして、一旦帰還するのじゃ』だって」





 エトスが、アイディスと邂逅する少し前……。


「じゃ、行ってくるね、皇女サマ」

「うむ、頼んだのじゃ」


 レミィに見送られ、ダークエルフの少女……アイディスは影の中へと消えていく。

 笑顔で手を振りながら、地の底へと沈み行くその様は、なんとも不可思議な光景だ。


「……あれは、ダークエルフの秘奥義……だねぇ」

「ぬ? 確か、そんなことを言っておったような気もするのじゃ」


 あまりに希少レアな能力の発露を目の当たりにしたリィラは、驚いた様子で確認する。

 対するレミィは、そこに腕組みのまま軽い返事を返した。


「角娘さんから、話は聞いていたけど……まさか、こうして目の前で見られるとは……長生きはするもんだねぇ」

「はや? そんなに珍しいものなのかえ?」


 すでにアイディスの活躍を知るレミィからすれば、今更といったところだろう。

 だが、それを知らないリィラから見れば、これは驚いて然るべき出来事なのだ。


「“影渡り”はダークエルフの中でもごく一部の者にしか伝わってない、まさに秘奥義でね、それはそれは希少レアな妖術なのさ……それこそ、斥候役として右に出るものはいないだろうねぇ」

「はやぁ……わらわも認識を改めるのじゃ……」


 元より、その影渡りについて詳しい情報をもっていたわけではない。

 その上で、レミィは伝令役としてアイディスを指名した。

 だが、無責任に無理難題を押し付けようとしていたわけでもない。

 予言書に記されていた『“影”を通じて呼び戻した』という記述……。

 それをヒントに、レミィはダメ元でアイディスに声をかけたのだ。



 ──「どこにいるのか正確な場所はわからんのじゃが、エトスを見つけられるかえ?」


 そこに返されたのは、あまりにもあっさりとした回答だった。


 ──「うん、見つけられるよ? 騎士サマは、なんか優しい色だから、わかりやすいし」


 何を言っているかはさっぱりだったが、見つけられると言う自信はあるようだ。

 おそらくアイディスには、何か別の世界が見えているのだろう。

 まだまだ見習い従士のアイディスの姿が、レミィにはなんとも頼もしく映った。



「今度はなんだい姫君? 嬉しそうな顔をして……」

「ぬ? いや、わらわは、本当に臣下に恵まれているのじゃなと……思ってのう」





 レミィが運命の選択に迫られていたその間も、ラーズとアジムの激闘は続いていた。

 多くの者が中央の決闘に集中しており、周囲の瑣末なことには目を向けていない。

 こんな時こそ、軍師たる者は全体を見据え、あらゆる状況に対処すべきなのだが……。


「……一方的やないか……なんや? アイツ大して強なかったんか? お山の大将か?」


 シニーはあまりに局所的な面しか見ていなかった。

 帝国の闘士にまるで歯が立たないアジムを、吐き捨てるように罵る。


「そ、そんなことねぇべ! カシラは豪胆族最強の戦士だ!」


 あまりの言われように、周囲に居たオークが反射的に意見する。

 それに対し、シニーは怒りも露わに相手の胸ぐらを掴み、罵詈雑言を浴びせかけた。


「それがお山の大将や言うとんじゃゴラァ! 誰に向こて口ごたえしとんねん、下等生物がぁ!」


 もはやオーク軍の軍師としての体裁や責務など、どうでもいいのだろう。


「はは……もうええわ……しゃぁない、ワイがちょっと手ぇ貸したるわ……」


 そのまま掴んでいた手を離すと、自重気味な薄笑いと共にボソボソと独言る。


「アジムには……もう少し大きなお山の大将になってもらわんとなぁ!」


 そして、一転。

 エルフの優美さなど欠片も感じられない歪んだ笑みを浮かべながら、叫び声を上げた。

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