ダブルベッドに死体がひとつ(最終章)

杏奈は殺人事件のあとはじめてダブルベッドで寝た。

・・・もちろん眠れるはずもなかった。

真夜中をすぎても、暗闇の中でますます目がさえて、窓の外の通行人の足音や遠くの車のタイヤのきしむ音などが、耳元ではっきりと聞こえた。

ひと月前に結婚したころは、身も心も彼が大きく包み込んでくれたが、今では守ってくれるひとなど誰ひとりいない。

・・・心細い。

それでも、いつの間にか知らずに眠ったのだろうか、カチャリと玄関の扉を開錠する音で目が覚めた。

侵入者がいくらそっと玄関の扉を開けても、空気の揺れる音が闇の中を伝わって来る。

・・・床を擦る足音がする。

静かに引戸を開けて、暗闇の中を黒い影が寝室に・・・。

黒ずくめの男はベッドの傍らに立ち、こちらをうかがっている。

無限に長い時間のように感じたが、じつはほんの数分数秒のことかもしれない。

・・・心臓が凍りつくような気がした。

男は暗闇の中で微かに銀色に光るナイフを取り出し、胸の上にかざした。

そのナイフの刃先が胸に届く寸前に、・・・男は倒れた。

暗闇の中で、犬と男のすさまじい格闘がはじまったが、・・・それはすぐに終わった。

ベッドから飛び降り、天井灯を点けると、床の上で男を前足で押さえつけ、首の付け根に大きく開けた口でかぶりつく可不可の姿が浮かび上がった

「専務!」

杏奈は思わず叫んだ。

会社の社長の跡取り息子の専務の恐怖におびえた顔が床に押しつけられていた!


所轄署に連行された専務が、取り調べに素直に応じて、山口の妻殺しを自供した。

・・・三十代独身の専務は杏奈に横恋慕してストーカーに化していた。

杏奈が結婚する相手の山口を調べて妻帯者と知った専務は、山口の妻に夫が若い女と秘密の結婚をしていると暴露して巧みに杏奈の部屋におびき出して殺し、凶器と衣類を306号室に隠してから山口を部屋に呼びつけたのが真相だった。

これは、専務の部屋で見つかった山口の妻の携帯電話の交信記録で裏付けられた。

妻の死体を杏奈のマンションの部屋のダブルベッドで妻の死体を見つけた山口は、嫌疑がかかるのを恐れてあわてて逃げ出した上に、マンションの防犯カメラの映像に細工をしたが、結局のところ状況証拠は彼には不利だった。


嫌疑が晴れて釈放された山口を出迎えた弁護士の傍らに、杏奈の姿はなかった・・・。

弁護士によれば、リノベーションの会社を辞めた杏奈は、山口の娘の花凛を連れて故郷の札幌へもどったという。


(了)

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ダブルベッドに死体がひとつ~引きこもり探偵の冒険8~ 藤英二 @fujieiji_2020

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