Encore: Arctic Monkeys - My Propeller

 皆様、大変長らくお待たせしました。およそ2か月ぶりとなる投稿になりますが、変わらずお過ごしでしょうか……?


 出会いと別れの春、一期一会に一喜一憂するのも束の間。何らかの形で追って近況報告をしていきたいと思っておりますが、自身の生活環境に色々と大きな変化が訪れた僕は、人生の新たな局面に順応することへの苦労からか、心身共に体調を崩し、暫く筆を休めることを余儀なくされていたんですね。いやあ、申し訳ない。


 果たして、今まで僕はどのような語りでこのエッセイを綴ってきたのか。馨しいコーヒーの湯気が立ち昇るマグカップとパソコンを目の前に、少しずつ感覚を取り戻してきておりますが、脳内を泳ぐように駆け巡っていた言の葉を衝動に駆られるがまま書き巡らせていた以前ほど、流暢に伝えたいことが喉元を通り過ぎてくれないというブランクの影響を実感しております。異国で長く生活していると、帰国した際に母国語が上手く話せなくなったり、ボキャブラリーが衰えたりすることもあるというのは有名な話ですから、ある意味で自然の摂理かもしれませんね。


 そんなこんなで久々にお届けしますは、2002年のイギリス・シェフィールドより今なお世界中にファンベースを拡大し続け、喉頭炎の影響も物ともせず昨年のGlastonbury Festivalにおけるヘッドライナーを務め上げたカリスマ・Alex Turner率いるモンスターバンド――Arctic Monkeysの傑作『My Propeller』です!


 『My Propeller』が収録された2009年リリースの3rdアルバム『Humbug』といえば、前回(第94回)、Queens of the Stone Ageのフロントマンとしてスポットライトを当てたJoshua Michael Hommeが、前年のロックフェスで共演したことをきっかけにプロデューサーとして参加していることでも知られておりまして、前作より継承されてきたガレージ、パンクのがっちりとしたサウンドとは一線を画し、ストーナー(デザート)、サーフ、アンビエント的要素が一体化した一癖ある一枚でして……。


 自称世界一のArctic Monkeysファンである僕が彼らの作品を一から語り始めようとすると、おそらくこのページは今まで投稿してきた各話の合計文字数を超過する勢いになるかと思いますので、断腸の思いで割愛します(笑)。


 以前にArctic Monkeysを紹介した際(第29回参照)、『When The Sun Goes Down』の歌詞を解説する中で彼らの出身をシェフィールドのニープセンド地区だと説明しました。そして、今や世界的地位を確立した若き巨星が産声を上げたのも、ニープセンドに位置するYellow Arch Studiosと呼ばれるレコーディングスタジオで、下積み時代、バンドはよくこの場所でリハーサルを行っていました。


 『Brick By Brick』の精神で一歩ずつ着実に人気を拡大していったArctic Monkeysですが、当時のUKチャート史上最速での売り上げを叩きだしたとされるデビュー・アルバム『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』が成功裏に終わった一方で、米国市場での反応は聊か控えめでした。対岸の批評家連中に言わせれば「成程確かに計り知れない可能性を秘めた若者が発掘されたようだが、結局のところ、イギリスのマスコミが過剰なキャンペーンを張り出しては音もなく消えていったバンドを、一体我々は幾度と目にしてきただろうか」と、穿った見方で静観する姿勢を崩さなかったのです。


 しかし、デビュー・アルバムのリリースから半年足らずの2006年6月、挨拶代わりの5曲入りEP『Who the Fuck Are Arctic Monkeys?』を手土産に、北米ツアーへと乗り出したArctic Monkeysによる本物の輝きを目の当たりにした一般聴衆及び批評家による評価は一変。見事な「掌返し」が炸裂し、翌年に2ndアルバム『Favourite Worst Nightmare』がリリースされれば、本国イギリスでの初登場一位は勿論のこと、アメリカ含め、オーストラリア、カナダ、アイルランド、フランス、日本、メキシコ、ニュージーランドなどの各国でTop 10入りを果たすなど、活躍の場を広げていきました……!


 そして今回紹介したいのは、イギリスの音楽史に残るデビュー・アルバムの大成功をフォローアップするという最難関ミッションを軽々と乗り越えて見せただけでなく、アルバム毎に作風を刷新し、聴衆を飽きさせない音楽と世界線を独自に確立するというバンドの手法が露見し、Arctic Monkeysへの期待値が最高潮に高まっていた矢先、またしても初登場一位を獲得してみせた『Humbug』より、マイ・フェイバリット・ソング『My Propeller』です!


 メインストリームにおけるバンドの地位を飛躍的に向上させた出世作『AM』や、一昨年にリリースされた最新アルバム『The Car』といった個性豊かな後継作品を紹介できないのは心苦しいのですが、ここで皆様の音楽魂にArctic Monkeysの存在を焼きつけて、他作品にも興味を持っていただけるよう努めることとしましょう。それでは、どうぞ――。


[Verse1(2:28~)]

「有りっ丈の力を振り絞って、俺を救ってくれないか」

「ヒリついた衝動を御しきれないんだ」

「やがて君も同じ運命を辿ることになる、ゆっくりとな」

「ベタつく鍵に油を差してくれ」


[Chorus(3:14~)]

「気休めでも良いから」

「俺のプロペラを動かしてくれ」


 アルバム全体のサウンド面の特徴は冒頭触れた通りですが、フロントマンのAlex Turnerによるボーカルとライティングの変化は、取り分け音楽に精通していない方でも一目――いえ、一聴瞭然。それまでの作品で明かされてきた熱狂的でアップビートなAlexの圧倒的歌唱力ですが、この『Humbug』というアルバムにおいては、よりスローでハスキーなアプローチになったと指摘されています。彼の作詞もまた、前回の題材だった『When The Sun Goes Down』における「売春への風刺」のようなリアリズムから距離を置き、複雑なメタファーを用いた曖昧なアナロジーに傾倒した内容となっております……。


 故に当該楽曲の歌詞の解釈も一様に定まらず、特に『My Propeller』は歌詞本体もそれほど長くないので内容に掴みどころも少なく、十人十色の読み解き方があるかと思います。しかしまあ、往々にして歌詞の解釈にこれといった正解は存在しませんし、ありがたいことに、多くの作詞家は我々一般聴衆による自由な考え方を尊重してくれています。なので僕は堂々と肩の力を抜いて、いつも通り、あくまで勝手な推論を基に歌詞と向き合っていく所存です(笑)。


[Verse2(2:28~)]

「必要悪というやつさ」

「慌てる必要などないが」

「ハクトウワシの嘴を借りれば」

「ああ、束の間の相乗効果だな」


[Chorus(3:14~)]

「気休めでも良いから」

「明日に向かって沈もう」

「慰めてくれないか」

「俺のプロペラを動かしてくれ」


[Outro(3:33~)]

「俺のプロペラは動かない」(×3)

「自力じゃどうにもならないんだよ」(×3)

「いつになったら助けにきてくれるんだ?」(×3)

「俺のプロペラは……」


 以上です。曲の構成も歌詞の内容も極めてシンプルで、だからこそ解釈が非常に難しいですね……。一つずつ整理していきましょうか。


 まず、楽曲中に登場する主人公格と思しき人物(?)は一人だけです。曲は終始、この人物の独白によって進行します。クエスチョンマークを添えた理由は、あるいはこの人物が人ではなく、タイトルにもあるプロペラもまた比喩ではない可能性があるためですが、この線は薄いかなあと個人的に思います。ので、以下はこの主人公を独りの男性(Alex)と仮定して考えます。


 この男性は助けを求めている状況にあり、何かに追い詰められている様子。「動かなくなったプロペラ」を抱えて生き、それを動かすことができるよう願っている。しかし、自力ではもはや解決のしようがないことを悟っているのでしょう……。


 唯一手掛かりとなりそうなのは、二番の歌詞に登場する「ハクトウワシ」という鳥の名前ですね。どうやら、ハクトウワシはその特別な求愛行動に関する生態で知られていて、自身の度胸と勇気、つがいに対する真心を証明するべく、まずは空高く舞い上がり、それから互いの鉤爪を結び合わせ、地上に向かって幾度となく回転しながら減速することなく落下します。繋がれた鉤爪を離すのは地上との衝突を免れるギリギリの瞬間で、目測を見誤ったり運が悪かったりすると、そのまま激突して命を落としてしまうことも……。


 喧嘩で力試しをしたり、身体のパーツの大きさや美しさを競い合ったりして番を魅了するという自然の摂理、弱肉強食とはおよそ一線を画した、精神的な、ある種人間的な繋がりを求めるハクトウワシの推定離婚率は5%を下回るそうで、基本的に番となった彼らは一生涯を連れ添うといいます。素敵ですね。


 地上に向かって回転しながら番に真実の愛と勇気を示すという、このハクトウワシの求愛行動をプロペラに見立てているという説はあるのかもしれません。そして「俺のプロペラは動かない」というのは、主人公の男性が「俺にそんな勇気はない」という弱気な姿勢を見せていることの暗喩だとも換言できますね……。


 一部では、プロペラは勝手に回るものではなく、鍵を差し、ガソリンを注いで初めて機能するものだということから「ベタつく鍵に油を差して」というフレーズを性的なメタファーだと推理して、愛欲に溺れた男女の物語だという説も囁かれます。しかし、ここはイギリスの国民的価値観と僕の日本人的価値観の相違にも依るかと思いますが、精神的な繋がりを重視するハクトウワシの比喩と、本能的な「ヒリついた衝動」任せな肉欲を根拠とする男女観は必ずしも一致せず、妥当な解釈とは思えませんでしたのでここでは不採用です。


 結論として、この歌詞は主人公の男性が破局や挫折など、何らかの要因によって傷心している中、一人では動かせない自身のプロペラを動かしてくれるような、精神的な繋がりを感じることのできる相手を求めているという内容ではないかと、僕は考えました。それでも、全てのフレーズを拾い上げて矛盾なく成立する結論ではないので、より説得力のある推論、あるいは「私はこう考えました」という感想でもよいので、皆様のご意見も是非聞いてみたいところではありますね……!


 今回はここまで。改めまして、本エッセイの更新が暫くストップしてしまって申し訳ございませんでした。心機一転、文章を書くことのリハビリも兼ねて少しずつ以前の更新ペースを取り戻していこうかと思いますので、これからも僕の一人音楽座談会まで足を運んでくださると幸いです!



 †††



 ※本作における改行後の連続する「」内は主に作品タイトルとなっている楽曲の歌詞の一部分又はその翻訳です。今回はArctic Monkeys - My Propellerから引用しております。


 ※本作品は、著作権法32条1項に依拠して公正な慣行のもと批評に必要な範囲で「引用」するという形で楽曲の歌詞を一部和訳しております。文化庁は引用における注意事項として、他人の著作物を引用する必然性があること、かぎ括弧をつけるなどして自分の著作物と引用部分とが区別されていること、自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること、出所の明示がなされていることの4要件を提示しておりますが、本作品はいずれの要件も充足していると執筆者は考えております。


 ※カクヨム運営様からも「カクヨム上で他者が権利を有する創作物の引用をすることは可能ですが、その場合は、著作権の引用の要件に従って行ってください。また、外国語の翻訳は書き方にもよりますが、引用にならないと存じます。」という旨の回答によってお墨付きを得たものと解釈しております。


 ※ただし、歌詞原文の全てを掲載することは引用の範疇を越えると思われますので、読者の皆様は紹介する楽曲の歌詞をお手元の端末などで表示しながら、執筆者による独自の解釈を楽しんでいただけると幸いです。

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洋楽好きと繋がりたい【短編集】 yokamite @Phantasmagoria01

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