流れ星

満つる

 賭けてもいい、ここ数日中には現われるだろうと踏んでいた。インターホンが鳴ったのを聞いて、ああやっぱり、とほくそ笑む。

 PM11:25。

 もちろんそんな顔は微塵も見せない。ドアを開けながら、「またかよ、」とわざとらしく肩をすくめる。

「ごっめーん」

 舌っ足らずな甘い声。目元が赤い。

「ちょっと飲み過ぎじゃないか?」

「……んなことないってば~」

 言ってる側から靴を脱ぐ足元がふらついている。

「危ねぇって」

 ぐらりと傾いだ実結みゆうのからだを腕を回して支えた。

「あ、りがと。しゅー、大好きぃ~」

 肩に預けられる頭。ゆっくりと体温が伝わってくる。同時に匂いも。よその男の酒、煙草。そしてうっすらとコロン。嗅ぎ慣れた匂い。

「いいから。それより早く上がれって」

 抱え込むようにして部屋に招き入れた。


 *


 いつものように、まずはコップ一杯の水。飲み干すのを見届けてからバスタオルを持たせて風呂場に押し込む。じきにシャワーの音がし出した。

 実結がシャワーを浴びている間に部屋をざっと片付ける。次いで、部屋着代わりに用意してあるおれのTシャツとハーフパンツをソファの上に置く。

 今日のあの感じだと食べ物はもう要らなさそうだ。冷蔵庫で冷やしておいたハーブティーをグラスに注いでローテーブルの上に並べる。ふたり分。本当は飲みたい所だけど、今夜の実結では正直、あまり自分に自信が持てない。

 ふ、とため息が零れる。物好きな自分に呆れている。バカだ。苦しいのがほとんどだ。だけど、

 物音がして我に返った。いつの間にか風呂場のドアが開いていた。バスタオルでからだをぐるぐる巻きにした実結がおれ、もといソファに向けて一直線。ぼふっ。弾むソファ。

「ちゃんと拭いたのか?」

「んー。多分?」

 くぐもった声がソファにうつ伏せになったからだの下から聞こえてくる。

「だったらとっとと服着ろって」

「えー? しゅーが着せてよぅ」

「ざけんな。おれを何だと思ってるんだ」

「しゅーはしゅーだってばー」

「言っとくが、これでも男だぞ?」

「しゅーが、お、とこぅ?」

 華奢な背中が小刻みに揺れ始めている。それがだんだん大きくなって、がば、とからだを起こした時には巻いたバスタオルが勢いではだけそうだった。

「バカ、押さえろって」

 とっさに伸ばした腕に、実結のからだが倒れ込んできた。

「う、ううう……」

 まさかとは思うが、吐くのは無しだぞ? 少し焦りながら受け止める。震えるからだが胸の中で呟いた。

「おと、こなんて、きらぁぃ……」


 *


「落ち着いたか?」

 あごの下で実結の頭が小さく頷く。

 しばらくしておれの胸に顔をなすりつけ始めた。すんっ。鼻をすする間隔が徐々に開いていく。そろそろいいだろうと背中を撫ぜる手を止める。

「ありがと」

 ゆっくりと実結が顔を上げた。先が赤くなった鼻、涙の後が残る目尻、への字口。メイクを落としたすっぴん顔でこんな状態でも、こんなにも可愛い実結。

「どういたしまして」

 濡れた髪をそっと撫ぜる。早く乾かさないとと思いながらもすぐに立つ気になれない。

「いっつも修にはお世話になってばかりで」

 照れ臭そうに目を瞬かせている。

「はい。いっつもお世話してやってます」

 おれの言葉にふふ、と実結が小さく笑った。

「ほんとそれ。これで何度目だっけ」

「知るかよ」

「だよねぇ。同じアパートに住んでて同じ大学に通ってるから知り合ったってだけのただの女友達のフラれ履歴なんて覚えてる訳ないよねぇ」

 嘘だ。本当は覚えてる。5回目だ。

 どんなやつだったかだって全員言える。初めて出会った時の相手はサークルの先輩。次が学部の先輩。3人目は合コンで知り合った他大学の同級生で、4人目は友達の友達。そして今回の相手はバイトの同僚。

「なんで毎回、うまくいかないかなぁ」

 すん。また小さく鼻を鳴らしている。

「全部、相手から気持ち伝えてきてくれて、それで付き合い始めるのに、そんなに経たないうちに全員にお断りされちゃうって、ほんとなんでなんだろ。私そんなに恋人に向いてないのかなあ」

 それは違う。1人目はともかく、2人目以降は、相手が実結に手を出してきそうだと実結の話から判断した時点で、おれが裏から手を回しているからだ。やり口は相手によるけど、同じ大学のやつじゃない時はおれが直接会いに行く。それであっさり片がつく。もちろん実結には秘密。

「大学入るまで誰ともお付き合いなんてしたことなかったから、『好きです』って言ってもらうだけでもう嬉しいじゃない? それがイケメンだったり優しかったりオシャレ男子だったらなおさら。だから付き合ってみるのに、割といい感じになってきたっぽいって思うとすぐフラれるって、それってどう思う?」

「分かんないな。見た目とイメージが違うとか?」

「あ、それかなあ。言われたことあるの。『そんなひととは思わなかった』って。どんな意味か怖くて聞けなかったけど」

 多分それはおれみたいなやつが突然、そいつの前に現われたからだろう。実結にはそんな言い方しかできなかっただけで。

「もう気にすんな。終わったこといつまでも考えてたって仕方ないだろ」

「そうだよね。うん。そう、そう。だって私には修がいるんだもの」

 まだ赤い目を細めてくしゃっと笑う実結。

 バカだな、と思う。あっさり実結を諦めた男たちのことだ。皆、バカでありがたいと心から思う。

「まぁ、いっかぁ。修がいればそれで。だってフラれて泣いて帰ってきたってこうやって慰めてもらえるし、一晩中相談にも乗ってもらえるし。コスメやメイクの話もできるし、ヘアアレンジだってしてもらえるし」

 指を一本一本折りながら、自分に言い聞かせるようにして話す実結。その姿があまりにいじらしい。

「ヘアアレンジと言えば、またおまえに似合いそうなの見つけたぞ?」

「え? ほんと? あ、でも、たまには私にも修の髪、いじらせてよ?」

「おれのはいいから。それよりいいかげん乾かさないと」

 今、実結に髪なんて触らせたらそれこそ我慢できる気がしない。慌てて立ち上がる。

「ドライヤー持ってくるから、その間にさっさと服、着てろ」

 言い捨てて風呂場へ。風呂場の鏡の前でパンと顔をひと叩き。自制心を保つ為に、自分に活を入れた。プラス深呼吸。3回。

 ドライヤーを手に戻る。

「ほら、とっとと金、じゃなくって、頭、出せや」

 ブフォー。コンセントを繋ぎ、吹き出す温風を銃口みたいに実結に向ける。くすぐったそうな顔をして実結が笑う。

「はーい。おねがーい」

 両手を挙げて、おれの胸元にからだをすり寄せてきた。

「猫か? おまえは」

「にゃー」

 甘い声。上目遣い。ダメだ。堪えるために指を髪の中に突っ込み、力任せにかき混ぜる。

「にゃあ、痛いにゃあ」

「酔いが冷めてちょうどいいだろ」

「しゅーが意地悪にゃー」

 ……真面目に相手をしていたら身が持たないとようやく気が付いた。そこから先は黙ってドライヤーをかけることに専念した。


 *


「ほんと修って髪の扱い、うまいよね」

 乾いた自分の髪にさらさらと指を通しながら、実結が気持ち良さそうな顔をしておれを見上げた。

「それにいつ見ても修の髪、めっちゃ整っててきれい。女子より完璧なボブ」

「そりゃ姉貴が美容師だからな」

「それだけじゃないよ。メイクもすっごく上手だし、おしゃれだし」

「そんなに褒めたって、これ以上はもう何もできないぞ?」

 すっかり落ち着いた実結は、おれの横でハーブティーを飲んでいる。2杯目。

「えー? そういうつもりじゃないってば。あ、そうだ、この前、修がバイト先に顔、出してくれたじゃない? そうしたら後から聞かれたんだ。『あのひとモデルさんですか?』って。だから『そうでーす』って言っちゃった」

 今日、別れてきた5人目に会いに行った時のことだな。

「そういう嘘、付くなよ」

「嘘じゃないでしょ。ほんとにやったことあるじゃない。お姉さんのカットモデルとか、どこだっけ、何とかってブランドのルックに出たりとか」

「あれは姉貴の知り合いだったから声かけられたってだけで」

「にしたって、今も色々と誘われてるけど断ってるんでしょ?」

「だって、全部、女の服でだぞ? そりゃ髪も長いしメイクもするし、元々どっちの服も好きで着てるけどさ、だからってレディース・モデル・オンリーって」

 実結がくすくすと笑い出す。

「だからね、格好とタイミングによっては女友達だと思われてることあるんだよね。修のこと。って言うか、私も修に対してどっちとかって考えたことがあんまりないの」

「まあ、そうだろうな。別に男でも女でもどっちに思われたって構わないけど」

 なんとなくため息が出た。

「だって、生まれて初めて付き合った男のひとに振られて泣きながら帰ってきたら、男にも女にも見える不思議なひとがアパートの前の道路に寝そべってるんだもん。なんかもうびっくりしちゃって。それこそ涙も止まるくらい」

「だから言っただろ。あれは流星群見るんで、首が痛くならないようにと思ってだな」

「覚えてるって。ただ、それが修との出会いだったんだから。地球に落ちてきた宇宙人かもって、ほんのちょびっとだけだけど思った」

 ああ、男以前に人間とも思われてなかったのかよ。そう思ったらもはやため息すら出なくなる。

「だからね、修は私にとって、特別なの。出会いも特別なら、同じアパートに住んでるからいつだって会えるのも特別、こうやっていつも助けてくれるのも特別で、何でも話せるのも特別。男でも女でもないみたいな所も特別。誰ともお付き合いがうまくいかないせいで、もしかしたら私、男のひとのこと少し苦手になってきてるのかもしれないけど、それでも修のことだけは大丈夫、特別だから。挙げていけばきりがないくらい全部が特別」

 おれからしたら実結の方が特別だった。涙を流した可愛い女の子が流れ星みたいに夜空の前に突然現われたのだから。あの晩、おれの目と心は一晩中ちかちかと瞬き続けていた。今でも実結といるとどんな時でもおれの心は光り出す。もちろんこの今も。

「特別なんだから、きっと誰より特別なんだから、修、お願い。ずっと側にいてよね?」

「お、おお?」

 まあ、あれだ。この先、実結に誰かが言い寄ってきて付き合うことになったとしても、全部ぶち壊してやればいいだけだ。今まで破壊率100パーセントだったんだ、これからだってきっと大丈夫。何せ実結の側にずっといられるならどんな情報だって入手は容易い。

「あ、そうだ。すっかり忘れてた」

 突然、実結がバッグの中をがさごそと探り始めた。と思ったら何か差し出してくる。何かと思って見ると、ビールが二本。星が瞬く絵柄のラベル。色違い。

「今日、彼、あ、違う、もう元彼になるのか、に会う前にコンビニに寄ったの。そしたらこれ偶然見つけて。見た瞬間、修の顔がパッと浮かんだから、それですぐに買っちゃった」

 えへへ、といたずらっ子みたいな顔して笑ってる。

「今日も色々とありがとう。こんなことになると思って買った訳じゃないんだけど、とにかくお疲れ様です。私はお酒は今はもういいから、よかったら修、二本とも飲んで?」

 ……ちょっと待て。今のこのおれに酒を勧める、だと? 

 おれは思わず天を仰いだ。まぶたの下で流れ星がきらりと光ったような気がした。











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