空の音、星の影。

速水ひかた

惑う道に烏が一羽

 波一つ立たぬ湖のほとり

 水際まで迫った森の一角を切り開いて、一つの館が目に飛び込む。


 白亜の煉瓦れんがを積み重ねた壁がそびえ立ち、天を突くほどに塔が鋭く伸びる。いくつもの棟に分かれ、張り出した露台バルコニーを囲う柵には流麗な装飾が施されていた。


 その一角に、窓帳カーテンが閉めきられ、光の一切入らない部屋があった。


「理論上は合っているはず……。循環する水は巡り、橋架ける鳥によってつながる。だから、二つの術式がつながって発動するはずなのに……」


 部屋の中は仄暗ほのぐらく、あかりとなるのは机の上の小さな晶灯ランプのみ。手元だけを照らす青白い光を頼りに、少女はぶつぶつとつぶやきながら、ただひたすらに硬筆ペンを動かしていた。


 がりがりと、机が削れてしまいそうなほどの筆圧。訂正する時間さえ惜しいと、書き損じた紙は机からこぼれ落ち、床の一面が白く埋まっていく。


 こんこん、と扉をたたく音がする。


「邪魔するよ。お前さん、また食事を抜いたんだって? イサークが心配していたよ」


 お盆を片手に、壮年の女が部屋へと足を踏み入れる。足下に散らばる紙を避けながら、女は少女へと声をかけた。


「……すみません、もう少しだけ。イサークさんには、また後で食べますと伝えてください」

「そう言って、次の日まで食べなかったのは誰だろうね?」


 文字をつづる手を止めず、上の空で返答する少女。間髪を入れずに嫌みが放たれるも、うめき声を上げるだけで、振り返ることすらもしない。


 その様子に、女は深く、深くため息をついて、つえを一振りした。


 途端、つえが差し示した空間に魔法陣が表れる。二重の円環に囲まれた螺旋らせん模様。中心から花開くように穴が広がり、またたきの間に大穴が開く。ぽっかり開いた穴の向こうは暗く閉ざされ、向こう側は何一つ見えない。


「……そうだ、お茶菓子が切れていたんだ。ティーナ、買ってきておくれ」


 そして、女は少女を猫の子をつかむように持ち上げて、穴の中に放り投げてしまった。



「えっお師さま!?」







 ひょい、と軽く放り込まれた転移門の先は、夏の日差し照りつける露天であった。暗闇の中のほのかなあかりに慣れた目には強烈すぎる光。余りのまぶしさにティーナの目の前は白く染まる。


 少しして、色を取り戻した視界に飛び込んできたのは、見慣れた石造りの噴水だった。


 休むことなく飛沫しぶきを巻き上げ、水をたたえた水面に写る美しい空。日差しを遮る布は風に揺られ、日陰の中で幾人もが物を売り買いしている。色とりどりの布に、香ばしい匂い。

 やむことのないにぎわいがこの場を満たしていた。



 エーカ区、旧市街だ。

 そう気づいて、ティーナはさぁっと血の気が引いていくのを自覚する。


 フェルフェ島国は三つの島からなる群島である。その中で最も大きなネロレ島の第一都市フィルス・オス。十に分割された区。エーカ区は市の、国の中心地であった。


 人が集まり、物が集まり。

 良い商品もそれはそれはたくさん集まるのだが、それを売るひとには癖のあるものも多い。国の一等地に店を構え、かつ、長く商売を続けるには、一定のこだわりの強さがいるらしい。そしてエーカ区で師が贔屓ひいきにしている茶菓子の店は、その〝一定のこだわり〟を持った店であった。


 一見お断りは当たり前。そもそも店に辿たどり着けない客がほとんど。


 ティーナがその店に行ったのは一度きり。しかも師に連れられてのことだった。

 天井近くまで迫る棚に数え切れないほどの茶葉が並び、下段には多種多様な茶菓子が置かれていた。物見遊山ものみゆさんの田舎者のようにきょろきょろと店内を見渡して、師に叱られた覚えだけが残っている。当然、道など覚えていない。


 そして、おつかいを頼まれた兄姉弟子たちは、二日も帰ってこなかったと聞く。


「ど、どうしよう……」


 途轍とてつもない難題。背に冷や汗が流れたのを感じた。


「ちょっと、邪魔」

「あ、ごっごめんなさい」


 往来激しい転移門の前では途方に暮れることもできない。後からやってきた人のとがった声に、ティーナは慌てて道を空けた。噴水の前から小走りで走り、人の少ない広場の隅に身を寄せる。


 ふぅと小さく息をつく。

 普段館にもってばかりのティーナは、あまりの人の多さに少しだけ酔ってしまった。


 門から表れ、消える人の波が途切れることはなく、客引きの声は止まない。家族連れ、下校途中の学生、街を見にきた異国のひと、珍品を仕入れに来た商人。多種多様なひとが会話をし、物を買い、覚え立ての魔法を披露する広場は、見ているだけでもなんだか疲れてしまう。


「……でも、行くしかない、よね」


 悩んだところで時間は有限である。

 いつの間にか握らされていた地図を開く。きっと門に放り込まれたときに渡されたのだろう。師の早業はやわざにはいつだって驚かされる。でも、これがあれば店に辿たどり着けるかもしれない。


 期待を込めて開いた羊皮紙の地図。

 そこにあるのは一本の線と二つの丸。

 丸は中心に一つと中心から外れた右上の部分に一つ。それをつなぐように曲がりくねった線が走っていた。



 くるくると地図を回してみる。

 ――何も変わらない。

 紙を水平にして横からのぞいてみる。

 ――線と丸があるだけ。

 裏返してみる。

 ――何も書かれていない。



「えっうそ……」


 余りにも簡略な地図。普通の店であっても、この地図だけで辿たどくのは難しい。ましてや兄姉弟子でさえ迷う店だ。館に帰れるのは一週間後かもしれないと、ティーナは天を仰いだ。

 空は、まだ青い。





 中心の丸が現在地で、もう一つが目的のお店だということは分かる。


 二つを結ぶ線が示しているだろう小道の前に立つ。不吉に鳴くからすの声を背に、なるようになれと足を踏み出した。交差路もない、ただ一本だけの線。この角では曲がるのか、それとも直進するのか。恐る恐る進むティーナの足取りは重い。


 それでも足を止めることはなく、正しいと思った道を選んで進んでいく。中心地からどんどん離れていき、段々と人通りも少なくなっていく。確信を持てないまま交差点を曲がり、行き止まりに引き返し、見覚えのある標識を三度見つけたとき、すべてを投げ出して泣いてしまいたかった。


「ここ、どこ……?」


 そして、民家で囲まれた細い路地にひとはいない。酔うほどに居たひとだかりも、一つ二つ通りを抜ければ姿を消してしまった。いるのは一羽の烏だけ。かぁかぁと鳴き、後ろをただ着いてくる。小道に入る時にいた烏だろうか。


 気がついたときはティーナも驚き追い払おうとした。しかし、烏はティーナのそばに近寄ることはなく、ただただティーナの後ろに着いてくるだけ。いつしか気にしなくなっていた。


 どこまでも続く石畳の路地に、漆喰しつくいで塗り固められた代わり映えのしない壁。似たような色合いの看板をいくつ数えたことだろう。誰とも行き交うことなく歩く中、孤独と不安に涙がにじんでくる。


 店に着いたとて門へ、館へ帰ることができるだろうか。

 ふと思い立って、歩んで来た道を引き返してみた。一つ角を右に曲がり、次はまっすぐ、その次は左、と全く同じ道順を辿たどったというのに広場に着くことはない。標識との再会も四度目となった。まった涙がこぼれ落ちる。


 きっと、ただ道を歩いているだけではだめなのだ。


 ひと避けか、惑いの道か。そういった類いの魔法がかけられているのだろう。ティーナの知識の中にそれを打ち破るものはない。魔法の片鱗へんりんすらつかめていないのに、対処など夢のまた夢。


 けれど、立ち止まっていたままではいられない。助けてくれるひとはいないのだから。


 此処ここはひとの作った迷宮。きっとどこかに抜け道があるはずと、ティーナは涙を拭い、諦めたくなる自分を叱咤しつたした。


 まずは、空中からの偵察。暗いながらも路地には光が差し込んでいる。ならば、空を飛んで道を見つけられるかもしれない。ほうきを呼びだし飛んでみるも、白壁が併走するように迫ってきた。


 次に占い。なるべく平坦へいたんな石の上に地図を置き、懐中ポケツトの奥底に入っていた水晶にひもをつけ、それを揺らして道を探る。揺れた方向に進んで行くも、行き着く先は行き止まり。果てには水晶が円を描くように回りはじめ、道すら指し示さなくなった。


 次は、声を大きくして反響音から道を探った。

 

 その次は、周辺の魔素濃度を探って濃い方を目指そうとした。


 それでもだめだったから、目印を置きながらすべての道を辿たどった。


 思いつくことはすべて試した。両手で足りぬほどの方法を試した。けれども、ティーナは店に辿り着くことも、広場に戻ることもできないでいた。


 日はだんだんと落ちてきた。


 路地の頭上。切り取られた空も夕陽ゆうひに照らされていく。


 一体何時間ここにいるのだろう。時計も持たずに放り出された身では、時間すら分からない。こんなこと、している暇はないのに。

 思いつくものをすべて試しても、上手くいかない。


 この状況が、ティーナ自身の研究と被った。何種類もの術式を描いて、描いて、描いて。使えそうなものだけを試して。それでもできなくて。研究に使う材料はタダではない。時間もお金も浪費していくばかりで、成果は出ない。

 重なった焦りが、描く術式を誤らせる。


「しまっ――!」


 術式の過誤は暴発を生む。


 気づいた時にはすでに遅く、行き場を失った魔素が鎌風となってティーナを襲う。細かな疾風が肌を裂き、血を滴らせる。無理矢理、上空へらせたものの、手や腕には小さな切り傷が数多あまたできてしまった。


 魔法の暴発なんて、よくあること。術式の研究をしているのだから、日常茶飯事にちじようさはんじではある。けれど、着の身着のまま放り出され、道に迷い、どうしようもなく夜を迎えようとするティーナにとって、心を折るには充分であった。


 地べたに座り込んで、壁に身を預ける。石の冷たさが、火照ほてった身体にちょうど良かった。ごつごつとした石は歩き踏みしめるためのもので、座るものではない。固くて、不揃ふぞろいで。


 こんなところに座っていないで、立って、道を探すべきだと分かっているのに。ティーナの身体は徐々に傾きを増して、ついにはころんと寝そべってしまった。腕も足も投げ出して、ほおが冷たい石につぶれる。歩き疲れた身体は、いまにも眠ろうとする。


 すると、烏がティーナの近くに降りてきた。翼を広げ、顔をのぞき込む姿はまるで、


「心配してくれるの? ……優しいね」


 ただ後ろを着いてくるだけ。先導することもなければ、道を邪魔することもない。ただ、いるだけ。


 それでも、一緒に居てくれたのだと、ふと今気づいた。

 自分ひとりだと思い込んでいたけれど、烏はずっとそばにいた。不吉に思って追い払おうとしても飛び去ることはなく、一定の距離を置いて傍にいてくれた。頼ってもいいのだと、言っているようだと、勝手に思った。向き合うように身体を起こせば、烏がうなずいたように思えた。


 だから、その文言もんごんがティーナの口から滑り落ちた。


「烏や烏、教えておくれ

 ――エンハシュエリスの店は何処どこ?」



 簡易契約術式。


 対価と条件を提示し、相手が対価を受け取れば契約成立となる魔法。簡易と名がつくだけあって、簡単なことしかできない。

 条件を釣り上げて相手を服従させることもできず、対価を釣り上げられ命を失うこともない。口約束より少し強い程度の拘束。


 けれど言葉の通じない異種族の間で、手早くかつ確実に交渉のできる魔法。


 今回の対価は髪留め、条件は道案内。するりと髪を解いて、手にしたそれを宙へと放る。

 きらきらと街灯の明かりを受けて、飾りは輝く。烏は、それをつかんでいた。


 ――契約成立だ。


 髪飾りをくわえて飛ぶ烏に、腕を差し出し止まやまってもらう。


 烏のくちばしが指す方向に進んでいけば、先ほどまで同じような場所をぐるぐる回っていた感覚から抜け出して、見たことのない道へと進んでいった。


 足は止まることなく進んでいく。先に進んでいるという事実に気分が高揚する。停滞していないことがうれしかった。


 そうして辿たどり着いた、エンハシュエリス。

 金属の枝が絡みつく看板、白い壁に映える漆黒の扉。

 見覚えのある外観に安堵あんどした。


「ありがとう、君のおかげで助かったよ」


 これで契約は終わり。魔法を閉じれば、烏は腕から飛び立った。くるくると頭上で回旋する姿が夕日に照らされる。翼を大きく広げ、優雅に飛び去っていく姿。


「あぁ!」


 その姿に、これまでの烏に、妙案が浮かんだ。


 術式要素の解釈を間違えていたかもしれない。水は恵みであり災厄であり、鳥は大空をけ停滞を許さない。良い意味だけではないし、悪い意味だけでもない。要素は、象徴は、物事は、見方を変えれば全く違う側面を見せるのだと、知っていても理解しわかつていなかった。


 これなら、うまくいくかもしれない。

 あぁ早く試したい。

 術式を組んで、素材に落とし込んで、あぁ、なんてわくわくするのだろう。

 弾むような気持ちで、ティーナは店の扉を開けた。





「お師さま! 聞いてください、いい案が浮かんだんです!」

「おや、ずいぶん元気になったね。まぁいい、お茶でも飲みながら聞かせておくれ」

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