其は孤高より墜ちて

 空高く座した太陽から暖かな光が注がれる。


 天井近くまで続く窓がその光を室内へ広く届けた。光は反射し、大理石の床に敷かれた美しい花模様の絨毯じゆうたんを照らす。

 脚や背板に繊細な彫刻が施されたいくつかの椅子。中央に浮かぶのは硝子がらすと宝飾でいろどられた大晶灯シャンデリア


 柔らかな光に照らされて、シゼルは優雅に茶杯ティーカップに口を付ける。大きくて丸い、溶岩の如き真紅の瞳にがったまなじり。すっと通った鼻筋と薄づきにいろどられた唇。

 少女らしい柔らかさと、幾ばくかの硬質さを併せ持つ少女。


 学園の女子生徒から王子様と慕われるその人は、頭を男子生徒に預けてかしずいていた。


「ネサリ、あとどれほど掛かる?」

「あんたがそれ飲み干すくらいには終わるぜ」


 あでやかなシゼルの金糸をくしけずり、楽しげに少年は口笛を吹く。

 そうかと一つ返事をして、また少女はティーカップを傾けた。口の中に広がる香辛料の刺激。後を追って喉奥にほのかな甘みが到達する。

 決戦の前の一服には最適であると、満足げに笑んだ。


「今回のはどこの?」

「確か……黒岸アッサウダ峡谷のものと言っていたよ。ロディもよく探すものだね」

「毎度律儀に飲んでるあんたもあんたと俺は思うけど?」


 頭上から聞こえる辟易へきえきしたような声を笑って流す。

 二人の間に流れる和やかな雰囲気に、一つの音が水を差す。


 部屋の隅。窓から離れた椅子に深く腰掛ける少女が、分厚い本を閉じて冷ややかな目を向けていた。豪奢ごうしやな装飾の施された魔導書の表紙にたおやかな手を置き、小さくため息をつく。


貴方あなたたち緊張感というものがないの? みっともない真似まねさらしたら承知しないわよ」


 鋭い言葉と共にシゼルをにらみつける少女。


「わかっているよ、アルカーシャ。そうならないよう努めるさ」


 柔らかな笑みを浮かべてシゼルが請負う。

 ぴりついた問答の合間にネサリが手を止める。ふわりと空気を含み膨らんでいた髪がしっかりと編み込まれ、どれだけ頭を振っても崩れそうにない。これならば決闘において邪魔になることはないだろう。


 シゼルの準備が終わるのを待ち構えていたように鐘が鳴る。

 外を見れば、闘技場へ幾人かが向かっている。杯を置き、立ち上がる。部屋から出る前に二人に手を振れば、ネサリはにっこりと笑ってかえし、アルカーシャは顔を背けて読書に戻った。


 さつそうと身を翻したシゼルの胸には、学園にただ一つしかない記章が輝いていた。




 

 談話室サロンから出て廊下を進めば、喧噪けんそう耳朶じだを打つ。

 自分たちを待ち望んでいると容易に見当がつく歓声にシゼルのほおが緩む。はやりそうになる鼓動を落ち着かせていると、向かいからシゼルと同じ年頃の少年が歩いてきた。


 緩くくくられた黒髪には白銀のメッシュが入り、銀縁の眼鏡が柔和にゆうわに細められた瞳をいろどる。気難しそうな面持ちの少年。

 名をロデリック。シゼルの従兄いとこであり、今日の対戦相手である。


「やぁロディ。全く、あんな美味なものどこで見つけてくるんだい?」

「いろいろと伝手つてがあるのさ」


 シゼルの疑問に軽く返し、二人は並んで競技場へと向かっていく。

 人のいない通路。とどろく歓声。

 光の扉を潜れば、そこは二人の対決を今か今かと待ち望む人の群れ。


 普段と変わらない歩調で中央へと歩き、肩を並べていた両者が正対する。似通った相貌そうぼうの、似通った表情を浮かべた彼らは、髪型さえ同じであれば鏡合わせのようだった。


「今日も勝つよ」

「今日こそ勝つ」


 互いに緊張などひとつも浮かべずに笑う。


『さぁ、始まりました! 頂上決戦!!

 卒業まで残りわずかとなった今! 常勝無敗の王者シゼル・グランウィルに挑むは、不屈の挑戦者ロデリック・グランウィル!!

 今日こそ挑戦者は王者を食い破るか! それとも王者は無敗のまま卒業を迎えるか!

 戦いの火蓋ひぶたが今落とされるーーーー!!』


 シゼルは泰然とした笑みを浮かべている。







 なにが、起こった?

『な、なんということでしょうか! 私は今自分の目を疑っている!

 絶対王者が陥落した――!!』


 何故なぜ、私は地にい、無様ぶざまに倒れている?

 防御が間に合わず、ロデリックの魔法が直撃した。それ以前に、攻めきれず、最初は優位であったはずのに、徐々に押し返されていった。


 相手の成長を見誤ったから? ――いな

 常勝の慢心かあったから?  ――いな

 明らかに、シゼルの身体に変調があった。


 何気なく行っている呼吸がめられ、回避しようと動かした体は重い。刻んだはずの術式はいともやすく崩れ去り、繰り出した魔法はあとわずかが届かない。


 けほり。せきが一つでる。

 シゼルの脳裏には一つの言葉が浮かんでいた。


佞宮ねいぐうはい……?」

「その改編物だよ」


 佞宮の杯。魔封じの毒。

 世界中を巻き込んだ一度目の大戦で、徒人あだびとたちが奇襲のために用いたとされる魔法薬。使用はおろか、所持していただけで死刑もあり得るという代物。


 シゼルたち魔法使いは皆、体内にんだ魔素を源にして現実を改編する魔法を発動させる。

 佞宮の杯は魔素を貯蔵する体内器官に作用し、放出口を半永久的に封鎖するという、魔法封じの極致。


「さすがだね。でももう遅いかな」


 笑いながら、ロデリックが近づいてくる。決闘前に浮かべていたものと同じ、けれどそこに一欠片ひとかけらあざけりが混じっている。


「なぜ……?」


 佞宮の杯は、今や伝説のもので、流通があるなんて知らない。

 ただ特徴が合っていたからつぶやいただけのものを肯定されて、思考が前に進まない。


「――ふふ、あははは! 気分がいいなぁ」


 にこやかに笑い、優しく手を差し伸べ、嘲笑が声に乗る。ちぐはぐな姿に纏まらない考え。

 シゼルは動かない。動けない。


「目障りだったんだよ、お前。

 僕より後に生まれたくせにさぁ、絶対王者とか呼ばれちゃってさぁ。

 首席も生徒会長も僕なのに、ただ強いだけのお前が一番目立ってるの、おかしいだろ?」


 たたきつけられた憎悪ぞうおに、息が吐き出せなくなる。喉が締まって、すがるようなか細い声しか出ない。


「許されるとでも、」

「思ってないさ。でも、今の君に何ができる? 弱りきって、僕に完膚なきまでにつぶされて。

 あぁ、訴えてみるかい?『惨めに負けたのは毒を盛られたせいです』って。

 あ、でも残念だなぁ。これ、毒が効く頃には成分が検出されないように改編されてるんだ。証拠がないね、どうする?」


 何も言えず、唇をむ。


「じゃ、これはもらっていくね」


 操り人形マリオネットのように、シゼルの意思に反して腕が動く。

 生み出した糸で付着させた物を操る簡単な魔法。

 それに抵抗できないほどに体が重い。


 そうして、シゼルは記章最強の証を自らロデリックに差し出した





「残念だったね「調子が悪かったの?」「君らしくないな「大丈夫?」前はもっと強かったよね」「今日は残念だったね「私でも勝てるかも」「次は頑張ってね」


 驚愕きようがく憐憫れんびん、そして嘲笑。

 今まで向けられたことのない感情が、競技場から自室のある塔に入るまで突き付けられてた。

 ロデリックに痛めつけられた体だけでなく、心まで疲弊している。


「……はぁ」


 何もする気が起きず、シゼルは汗も流さずに寝台に寝転がる。

 ごろりとあおけになれば、飾り気のない自室が目に入る。


 いつか無理矢理むりやりに連れて行かれたネサリの部屋には涼しげな敷物が敷かれ、いくつもの柔らかな座褥クッションが置いてあった。壁には鮮やかな色使いの絵も飾られていた。


 反面、シゼルの部屋には何もない。厚い窓帳カーテンに遮られ、夕陽ゆうひすら差し込まない暗い部屋。机も寝台も備え付けの物。壁紙など貼らず、飾りなどもない。

 学園に与えられたままの寮室。壁に掛けられた袖を通していない制服。



 イルへ・エサリ学園。

 島都の名を冠し、優れた魔導司の育成を目的とした学園。

 ここで生徒たちは初年度に基礎をたたまれ、次年度から卒業までの間評点を基にした順位付けがなされる。

 評点を得る手段は、定期試験や学内研究発表での好成績、薬草採取や害獣討伐などの課外活動、他学園との各種大会における活躍、そして――生徒同士の決闘。


 様々な手段で生徒は評点を勝ち取り高順位を目指すが、実戦に勝る教育はないと、決闘により重きが置かれていた。


 決闘において、勝者は敗者から評点を奪取する。

 故に、勝てば勝つほど、負ければ負けるほど対戦相手との差が開いていく。勝てば相手をろせるが、負けてしまえば自分が搾り取られる諸刃もろはの剣。


 その決闘においてシゼル・グランウィルは無敗を誇っていた・・

 今日までは。


 想定の埒外らちがいから殴られ、観客たちの前で無様ぶざまさらし、最強のあかしを奪われた。



 四年ものあいだ座り続けていた頂点の座から降ろされた悔しさ。

 信頼していた親類ロデリックに裏切られた悲しみ。

 抵抗もろくに出来ないまま醜態をさらしたなさ。

 これから魔法が使えなくなるのかという不安。

  


 それらの感情がシゼルの中で渦巻いていく。

 言葉にならない感情がいくつもいくつも浮かんでくる。

 湧き上がる全ての感情を炉にくべて怒りの炎を燃え上がらせる。

 光を失った瞳にぎらついた火が宿る。

 煮えたぎるような熱が胸を焦がす。


「絶対に、真正面から、ろしてあげるよ。ロデリック」


 貼り付けたような笑みが崩れた。




 具体的にどうやって従兄いところすか考えていると、こつこつと窓をたたく音がした。


 夕暮れ近くになり、赤く染まった空。だいだいじみた光を受けて、白い小鳥がそこに居た。小さなくちばし蜜蝋みつろうで封じられた手紙をくわえ、懸命に窓を開けようとしていた。

 木枠を上げて、手紙を受け取る。手触りの良い紙。ろうに押された印章はアルカーシャのもの。


「まさか……」


 嫌に胸が騒いで、シゼルは慌てて封を開ける。

 中には二枚の紙。

 『無様ぶざまな姿見せるなって言ったでしょ』と書かれた一筆箋と記入済みの離班届。どちらも流麗な文字で書かれてる。見慣れたアルカーシャの字だ。


 予感が当たってしまった。

 舌打ちをこぼして、シゼルは部屋から飛び出す。


 評点によって順位付けされるといっても、学園は個人主義を強いている訳ではない。多くの人間には得意不得意がある。座学は得意だが実技は苦手な者。応用研究は好んでいても社会性に乏しい者。特定の分野にのみ才覚を示す者。

 多種多様な生徒の通う学園では、チームを組むことが推奨されている。

 シゼルもまた、班を組んでいた。班員は『稼働式図書館』アルカーシャと『神出鬼没』ネサリ。


 豊富な知識量と予測不能な援助と妨害、そして圧倒的な力によって構成されていた班。利害の一致によって結びつけられていた三人。シゼルが負け力を失った今、組む利点がないと判断するのは容易に想像が付くことであった。


 少女は廊下を駆ける。

 部屋に入るまでの無気力な彼女はもういない。怒りを宿し、アルカーシャの離脱を撤回させようと校内を走り回る。


 人捜しの魔法は大幅に効力を失っていた。佞宮の杯によって魔法の威力はいちじるしく低下している。以前は校舎程度なら捜索範囲内であったが、大人二人分の背丈の範囲程度しか探せない。

 故に地道に、何度も何度も魔法を発動させてアルカーシャを探す。


 遠巻きにシゼルを見る生徒や教師の姿は目に入らない。

 こそこそと交わされる話し声も耳に入らない。


 金の髪を振り乱して少女は靴を脱ぎ捨てる。上履きを履き替える手間すら惜しい。

 協力しあうための班といえど、一人では解決不能な難題に当たった際に手を貸す程度のもの。私生活に踏み込むことは互いに無くシゼルはアルカーシャがよく居る場所など知らなかった。


 いつ見たとて分厚い本を片手にしているから図書館は真っ先に探した。けれど居なかった。

 校舎内にも居ない。校庭の近辺にも居ない。

 人気ひとけのない東屋あずまやはまだ探していなかった。




 学園の広大な敷地には森が内包されている。舗装はされていないものの、踏みしめられた道があり、行き着く先にはいくつかの東屋あずまやがある。

 そこを目指して茂る枝葉をけていく。


 がさがさと、がさがさと。

 木の葉の擦れる音が、いつからか二重になっていく。


 シゼルの出す音でないものが重なっていく。


「ばぁ!」

「――ネサリ!?」


 眼前に飛び出してきた少年の逆さ顔に、シゼルの体が急停止する。

 ぶりかりかけた寸前に止まった少女を横目に、ネサリは軽業師のようにくるんと一回転して降りてきた。


「こんなとこで何してんの? 陛下へーか

「……アルカーシャを探している」


 たあだ名に一瞬、息が詰まった。

 絶対無敗の王者。学園の頂点に君臨する王様。

 それを揶揄やゆしてのあだ名であったが、冠が失われ軽口をく受け流すことが難しかった。

 苦く顔をゆがめたシゼルに構うことなく、ネサリが頭の後ろで腕を組む。


「へー。離班届でも渡された?」


 図星を突かれ、言葉が止まる。


「そう、だね。だから説得するために彼女を探してる」

「そっかそっか。でもここには居ないぜ」

「知ってるのか!」

「まあね! 多分、温室近くの調合室だろ」


 ネサリの言葉に希望が生まれる。

 全く見当違いの場所を探していたが、今日中には見つかりそうである。

 安堵あんどし、肩の力が抜ける。細く深く息を吐いて、シゼルは身を翻し駆け出す。


「俺も着いていくわ、面白そうだし」


 あぁ、と返事だけ返して調合室を目指す。

 空に夜が覆い始めている。黒とだいだいが混じり合い、薄雲を浮かび上がらせる。


 風は冷たく、視界はおぼつかなくなる。けれど足を止める理由にはならないと、シゼルは羚羊かもしかのように駆けていった。


「なんで負けちゃったわけ?」

「毒を盛られて魔力器官にふさがれた。全く気づかなかったよ」


 併走する彼の疑問に、怒りをにじませて答える。

 それに気づいてか、いないのか。ネサリは気負うことなく言葉を続けた。


どくは?」

「材料が調達できない。できたとしても調合に二年はかかる」

「へぇー、やばいもの盛られたね。お茶か」


 無言でうなずく。


拮抗薬きつこうやくとかは?」

「今のところ発見されていないよ。ついでに言っておくが、魔力増強薬の類も効かない」

「八方ふさがりってわけね。ふた吹き飛ばすとか出来ないの?」

「外科的にふさがっているわけではないから、胸を開いても意味はない。魔力的に吹き飛ばすには精霊ほどの魔力がなければ無理だな」

「まじでどうしようないね!」


 現状、シゼルにはどく方法に心当たりが無い。自身の限られた知識の中に使えそうなものはない。けれど、アルカーシャなら知っているかもしれない。だからこそ、彼女を逃すわけにはいかない。

 説得のための力が入る。


「そういえばさ、陛下はアルカーシャ説得のための算段ってついてる?」

「あぁ、一応」

「だったら、こうしてみたら?」


 併走しながらネサリが口を耳元に寄せる。こそこそとささやかれたそれにシゼルは首をかしげる。


「そんなことで説得されるか? あの子が?」

「されるされる。明日の昼飯賭けてもいいぜ」


 ネサリは笑って太鼓判を押すが、シゼルはそう上手うまくいくとは思えなかった。

 しかし、ネサリはアルカーシャの居場所に心当たりがあり、シゼルにはなかった。なら一案として脳裏にとどめておいて損は無いと、少女は判断した。



 太陽は水平線の下に沈み、昼の名残なごりわずかに残った時分。

 熱を保持したままの温室の扉を開ける。襲い来る湿気に眉をひそめたシゼルとネサリ。


 葉に綿毛を咲かせたものから幹が蒼白あおじろく光るものまで様々な薬草を栽培している温室。そこには目もくれず、躊躇ためらいなく調合室の扉を開け放す。


 中に居るのは、ネサリの予想通りの人物。

 光を取り込むために全ての壁が硝子がらすになった温室と異なり、四方を煉瓦れんがに覆われ光の一筋も入らない部屋の中。


 煮える大釜に二つ三つ薬草と鉱物を加え、身丈ほどの棒で中身をかきまぜる少女が立っていた。座学試験において他の追随を許さない才媛さいえん

 熱気を浴びてなお汗一つ流さない彼女こそ学内を走り回って探したアルカーシャである。


「何の用? 敗者と話なんてしたくないんだけど」


 銀糸の少女は振り向かない。

 全身から拒絶の意を放って、言葉だけが突き刺さる。


 入口に突っ立ていたシゼルは、言葉を返すことなくアルカーシャに近づいていく。

 石片を蹴飛ばして、石畳を踏み締めて。

 わざとらしい足音が、アルカーシャの米神に青筋を立たせる。


「あのさぁ!」

「ごめん、でも聞いてほしい」

「――!?」


 勢いよく振り返ったアルカーシャに、シゼルは彼女の瞳に自身が映り込むほどに近づく。

 一歩間違えれば触れてしまいそうなその距離に、アルカーシャは虚を突かれ、怒りの表情が抜け落ちる。


 面倒臭い、煩わしいという表情を隠しもしなかった彼女が、きょとんとして、そして顔を真っ赤にして口を開こうとする。

 怒号でも飛びそうな雰囲気はしかし、意気込むシゼルによって阻まれる。


挽回ばんかいの機会が欲しいんだ」


 ネサリの助言通りに・・・・・・・・・アルカーシャの手を握る。近づけた顔はそのままに、才女の視界を強制的に狭くする。


 まんまるに見開かれた瞳に映り込む自分は滑稽で、だからこそ仕損じることのないように顔を引き締めた。


 アルカーシャは幾度も口を開閉させて、声も出ない。ほおは赤く染まり、怒りに言葉もないのだとシゼルは理解したが、説得の機会を逃すこともできない。


「今の私は、一人ではロデリックに勝てない」


「魔力が封じられて普段の一割も出力できない状態じゃ、他の生徒にすら勝てないだろう」


「でも、君がいてくれたら大丈夫な気がするんだ」


「お願いだ」


「力を貸してくれないか?」


 畳み掛けるように言葉を終わらせて、アルカーシャの返答を待つ。

 わずかだったほおの赤みが、目元にまで迫る。怒ってはいるのだろうが、何故なぜか怒号は飛んでこない。不思議に思って首をかしげる。


「わ……」

「わ?」

「――分かったわよ! でも次も醜態みせたらただじゃおかないわよ!!」

「本当かい!? ありがとう!!」


 うれしくなって笑えば、アルカーシャがぷいっと顔を背ける。耳まで赤くなっているが、怒ってはいなかったのだろうか。

 後ろで腰を丸めて笑っているネサリに気づいたアルカーシャがきっとにらけている。


「で、どうするの? どうやって勝つつもり?」

「思い浮かんでないんだ。アルカーシャ、良い案ないか?」


 かぶりを振って体勢を立て直したアルカーシャに、澄ました顔で豪速球を投げたシゼル。収まってきていたはずのネサリの笑い声はまたぜた。

 額に手を当て頭痛がすると言いたげに顔をゆがめ、落ちた銀髪を乱雑にげる。


「力を貸してって、ほんとそういうことね……。ネサリ! いい加減笑ってないであんたも案を出しなさい!

 シゼル、あんたもよ」


 鍋の火を消して、床に散らばった素材たちを端に避け、真っ白な紙を敷く。


「私たちはもう最高学年、卒業まであと少ししか無いわ。ロデリックへの挑戦回数も同じ。

 確認だけど、ただ勝つだけじゃないわよね?」


 紙の上に座り込んで硬筆ペンを動かしていくアルカーシャ。


「そう、だね。出来たらみんなの前で雪辱を果たしたいな」


 そう、とうなずいて少女は、紙に大きく魔術競演会という字を書き丸で囲む。


 魔術競演大会。それは年度の終わる間近、一年で学んだ集大成をさらけ出す催事イベント

 堅牢けんろう、破壊、壮麗、叙情、奇術。

 五つの部門に分けられ、個人、チームを問わず競い合う大会。


「確か堅牢けんろう部門で優勝してたよな?」

「魔力量で押し切っただけだよ。今は無理だ」


 ネサリに水を向けられ、数年前を思い返す。

 そびつ分厚い壁。ただただ堅さだけを求めて膨大な魔力を注ぎ込んで作り上げた水晶の如き壁。


 他の出場者が攻撃魔法の吸収や反射、魔導回路の効率を求めて基本の術式にいくつも手を加えていたというのに、シゼルは天与の才だけで他を圧倒した。自分一人だけが立ち尽くした過去が脳裏に浮かぶ。

 文句の一つも出ない結果ではあったものの、若気の至りだと苦く笑った。


「単純な術式で工夫が見られないって言われていたものね。……あれはあれでかっこよかったのに」

「え、なになに?」

「なんでもないわよ!!」


 視線をらして力無くただ口角を上げただけのシゼルの横顔を見て、ぽつりとつぶやいたアルカーシャ。そのつぶやきに素早く反応した少年と反発的な少女の小競り合いを見て、置いて行かれたシゼルがぽかんと口を開けている。

 少女のせきばらいで、場が戻る。


「と、とにかく! 競演会に出てシゼルが健在であることを喧伝けんでんするの! いい!?」

「はーい。じゃ、とりあえず一人じゃ無理なんだし、俺たちが補助すればいいんじゃない?」


 ネサリの案を皮切りに、いくつもの言葉が飛び出していく。


「それだけじゃ他と変わらないわよ」

「では、神話を基にした歌劇は? 魔力消費の少ないものならいくつか使えると思う」

「今から演技の練習はきつくない?」

「演技じゃなくって演奏ならどうにかならない? ある程度は弾けるでしょう?」

「弾いてる人間と魔法使う人間が別々なのは駄目じゃん。無声詠唱できないって」

「それなら――」


 議論百出。真白い紙は黒く染まり、夜は深く更けていく。

 唯一空を写す天窓からは真円の月がのぞく。



「四季を題材にした演舞ということでいいな……?」

「異議な~し」

「ここが妥当なところね……」


 空腹を押して白熱した議論がようやく終わりを迎える。

 大小様々な文字で書き込まれた紙。演舞の内容についても議論中に話していたが、それも一体何処どこにあるのやら。

 軽くまとめてから帰るとシゼルが居残りを宣言して、二人はふらつきながら調合室を後にした。


 草木も眠る夜半過ぎ。

 子守歌とばかりに鳴く鳥も夢の中。

 月明かりに導かれて、会話もないまま二人は歩んでいく。


「……私たち、二年も班を組んでたのに一度も相談とか作戦会議とかしたことなかったのね」


 ぽつりと、言葉が落ちる。

 胸中をさらけ出すような、けれど気負わず自然体な声。


 シゼルを筆頭とした班は、役割分担がはっきりとしすぎていた。互いに連携などしなくても、対戦相手を蹴散らせていた。決闘以外で班を頼ることも無かった。

 他の班は生活面も含めて協力しているというのに。


 良く言えば自立心の高い、言ってしまえば協調性の無い班。

 時間も忘れるほどに話し合えてうれしかったと、アルカーシャは晴れやかにほおを緩ませる。


「話さなくったって最強でいられたもんな〜」

「ね」


 後頭部で手を組んで、軽やかな足取りでネサリが進んでいく。

 かさりと風が木の葉を揺らす音が鮮明に聞こえる。


「私、シゼルの強くてかっこいいところが好き。だから、負けた彼女を見て失望した」


 歩調を早めて前を行くアルカーシャの顔は見えない。


「でも、案外普通のひとって分かって、自分と同じ人間なんだって理解した」


 そう言って振り返る少女は花こぼれるようにんでいた。 


「……そーな」


 月の光を背に受けた少年の顔は見えない。

 軽く吐き出した音だけが少女に届く。 



「感性も行動も、側から見るよりよっぽど普通で――」

 つまんねぇよな。



 二人の間を強い風が駆けた。

 乱れた髪をアルカーシャがどうにかまとめようとしている。


「何か言った?」

「いいや何でも」


 後ろから駆けてくるシゼルの声が聞こえる。

 いつもと変わらぬ笑みをネサリは浮かべたまま、二人並んで班長を待った。


 軽い睡眠を取った翌朝から、三人はひとときも離れずに競演会に向けて練習を重ねていた。

 演舞の流れを決めて、演出を決めて、動きを決めて。


 舞を体にたたみ、滑らかに魔法を発動させられるように。

 卒業に必要な単位はもう全て取り終えている。だから、朝から晩まで。時には次の朝まで顔をつきあわせ、意見の相違にぶつかりあい、時に歩み寄り、時に喧嘩けんかし、いっそうの高みを目指した。


 机上の空論を現実に、浮ついた思考を地に付け、猪武者いのししむしゃが技巧を手に入れ。

 満足のいく形になったのは、競演会を次の日に控えた朝だった。



 寝不足の重いまぶたを擦り、ネサリは大きな欠伸あくびを一つする。

 談話室を空けていたのは十日ほど。けれど、これまでにない濃密な練習生活を終えた彼には一月にも思えた期間だった。


 淡く優しい朝の光を浴びていれば、アルカーシャが扉を開ける。ぱちりと目が合って、彼女は流れるように定位置に座り、あまりにもいつも通りな姿に乾いた声が出た。それすら無視して書の世界に耽溺たんできする少女。


 かちこちと、時計の針音が響く。

 短針が十数と回った頃、また扉が開く。

 隙間から部屋に入ってきたのは、下まぶたに薄紫を宿してどこか暗い顔をしたシゼルだった。


「二人共もう来てたのか。早いな」

「そう? ま、今日シゼルちょっと遅かったしね」

「そうだな……。なんというか、少し寝付けなくてな」


 目の下のくまもくすんだ肌も普段は見られないもので、わだかまりを感じる。

 ふーんとネサリが流せば、会話もそこで止まる。


 椅子の背板にもたれかかってシゼルを横目で観察する。小さな小さな風たまてのひらの上に作り出しては消し、風を水に、水を炎に変えては消していた。二つ三つのたまを器用に頭上に投げては受け取り曲芸師のようである。


 今までのシゼルには必要のなかった繊細さ。それをこの十日でものにし始めていた。

 それに喉の詰まったような心地がする。



 薄雲の浮かんでいた空が段々と暗くなっていく。雲は厚く、遠くから雨音が聞こえ始める。

 窓を打つ雨粒が徐々に大きさを増していく。



 高らかに扉がたたかれた。

 班に付与された談話室に、班員以外が入ろうとすることなどほとんどない。

 凝った装丁の本を読んでいたアルカーシャも、のんべんだらりと過ごしていたネサリも、瞬きの間に身を起こしつえに手を伸ばして、扉を見やる。


「どうぞ」


 たまにぎつぶしたシゼルが入室を促す。

 入ってきたのは、ロデリックだった。きらりと眼鏡を光らせ、きっちりと制服を着込んだ少年。かつりと音を立てて三人の聖域に踏み入ってくる。


「久しぶりだね、シゼル。元気だった?」

「おかげさまで。どうかしたかい?」


 表面上は和やかに、けれど水面下では見えない火花が二人の間で散らされる。


「いやぁ、少し先生からのことづてがあってね」


 促されもしないのに、ロデリックは椅子に腰掛ける。

 ネサリもアルカーシャも険しい顔を隠しはしない。アルカーシャに至っては、一言でも揚げ足をとれる発言を漏らそうものなら首を狙うと言わんばかりの気配を醸している。


「全く、使いっ走りとはつらい物だよ。生徒の皆も何でも屋とばかりに生徒会に言ってくるんだから」


 なぁと同意を求めるロデリック。無言を突き通す三人に対して少年は白々しい笑みを向ける。


「御託はいいよ、要件はなんだい?」


 険のある声を出すシゼルに、ロデリックがにこやかな笑みを浮かべる。


「明日の競演会なんだが、急遽きゅうきょバルシアル様がお越しになるそうだ。それに伴って、本番の前に君のチームと僕の班で特別試合エキシビションを行おうということになってね。問題ないだろう?」

「……ああ、何も問題はないさ」


 問題しかなかった。けれど、それを正直に言うことなど見栄みえが許さない。

 自分を卑怯ひきような手で負かした相手に弱みを見せるなど出来やしない。

 それはよかったと笑うロデリックにアルカーシャはみする。続く彼の言葉が、何を目的とした提案なのかをよく示していた。


「まぐれじゃないと、皆に知ってもらわないとね」



 扉が大きな音を立てて閉まる。

 緊張が解けて、誰からともなくため息が出る。


「班対抗か〜〜〜〜」


 天井を仰ぐネサリに、どこからか取り出した模造紙を広げていくアルカーシャ。

 これまでであれば、シゼルが主力となり相手の大部分を引き付け、その間にネサリが遊撃に出る。二人の補助や全体の把握などはアルカーシャが務めるという体制が整っていた。


 しかし今は主力が主力たり得ない。

 小細工は出来たとしても、それで学園首席と渡り合えるわけがない。


 だから、作戦を立てる必要がある。

 ネサリがアルカーシャのもとに駆け寄り、自らも硬筆ペンを持って、書き殴ろうとしたところで、もう一人の動きに気がつく。


 振り返った先には椅子の上でうずくまったままのシゼル。

 ロデリックを見送った後から微動だにしていない。


「シゼル! 落ち込んでる暇ないって、こっちに早く来てよ」


 呼んでもこない。顔を上げさえしない。

 固まったままの姿。

 悪意にさらされ続けて動く気力もないのだろう。


 敵の前で気丈な姿を見せただけ大した物ものなのだろう。

 行動に理解は示せても、ネサリの中でふつふつと怒りが湧いてくる。

 ずっと、ずっと。ネサリの理想から離れた姿ばかりを見せられて、猛烈に腹が立って。ネサリの体は大きな音を立てて机をたたいていた。爆音と振動にアルカーシャが目を見張る。


 勢いのまま立ち上がる。ぼうぜんとした顔で自分を見る少女アルカーシャと、外界を拒絶したかのように反応を見せない少女シゼル


「……俺、自分の調整してくるわ。ここにいたって仕方ないし」

「ちょっとネサリ!?」


 少年は、粗暴な立ち振る舞いで荷物を担ぎ、大仰に扉を閉めていった。


「えっあーもう!! あの馬鹿連れ戻してくるから、シゼル、あんたは作戦考えておいて!」


 扉とシゼルとの間で視線を行き来させていたアルカーシャも、扉の向こうへ消えていく。

 伽藍がらん堂にひとりシゼルが残された。





 薄曇りの空の下。二組ふたくみの生徒が顔を突き合わせる。

 一方を率いるは下剋上げこくじようを果たした元挑戦者ロデリック

 もう一方は無残にも冠を奪われた元王者シゼル。つい先日も戦った彼らが、今度は班を率いていて雌雄を決する。


 白熱な展開が容易に想像が付く試合に観客が湧く。

 新たな王者の蹂躙じゆうりんを楽しみにしたものが半分、元王者の復権を望むものが半分。両者をそびつ壁としての視察が極わずか。


 競技場の座椅子は埋め尽くされ、学園に所属する大半が集まっていた。

 熱の入った実況を楽しげに聞いて、ロデリックは一歩前に出る。


「じゃあ、今日はよろしくね。シゼル」

「……あぁ」


 かすれた声。自信のなさをどうにか隠した表情。

 勝つのが当たり前だと、負けることなど考えたことないという表情しか浮かべていなかったシゼルの、見たことのない一面。


 天高く飛ぶ竜の翼を捥ぎ、地に落としたような。

 海をべる巨鯨を釣り上げ、そのまま弱らせるような。

 ロデリックの背を駆け上がる背徳感にほくそ笑む。


『さあ、みなさんお待ちかねの特別試合エキシビションマッチ

 記憶に新しい王者の敗北、負けを知った彼女は仲間を引き連れ雪辱戦!

 王冠を奪ったロデリックはその座を守り切れるか、初めての防衛戦!

 さあさ、試合の始まりだーーーー!!』


 実況の合図とともに飛び出してきたのは少年剣士。

 振りかかる剣を受け止めて、班員に指示を飛ばす。


「君が来るとは驚きだ。なぜそちらに?」


 ロデリックは、自身が特別試合を告げた後にネサリが部屋を飛び出したことを知っている。シゼルに愛想を尽かしたのだろうと、安易に思っていた。しかし、ネサリはここにいる。疑問を直接的にぶつければ、少年は嫌そうに口を開いた。


「……まあ、最後の義理だな」


 瞳はうつろで、視線は遠くに投げられている。

 いくつものため息が消え、足運びにもやる気は見られなかった。


「ははっ、それは大変だね」


 だるげに剣を振るう未熟な剣士。


 一合、二合と切り結べば、筋の良さに気がついた。

 少し指導をしたら伸びるかもしれない。


 ネサリの脳裏にいくつかの未来図が描かれる。

 シゼルに見切りをつけたのなら、彼は無所属だ。卒業まであとわずかとはいえ、囲うことに利点はあっても欠点はない。


「旗の奪取はお前たちに任せる!」


 二手に分かれた手配にそう告げて、ロデリックはネサリに向き直る。

 丁寧に相手をして、格の違いを刻みつけ、教えを請うように促してやろうと思った。



 

 ロデリックが決闘外にかまけている間に班員は指示通りシゼルたちの旗を奪おうと動いていた。

 団体戦において、勝利条件は三つ。班長の降伏、班員全員の失神、そして相手の旗の奪取。

 円形の競技場において、対称点同士に置かれた旗。


 奪取に向かえば、当然旗を守る者に阻まれる。

 アルカーシャとシゼルによって生み出されたいばらの海は班員たちの足を取り、歩みを遅らせる。鋭い棘と不安定な足場。勢い勇んで踏み込んだ彼らは茨に絡みとられる。


 立ち止まった彼らの頭上からまた茨を落とし、わなの範囲を広げて行く。

 とはいえ、ただ移動を阻害しているだけ。

 わなの合間をくぐけて徐々に旗のもとに近づいていく。



 ネサリの打ち込む剣をいくつか受けた後。 

 ロデリックの剣が淡く輝く。

 刹那、魔法をまとわせた剣が空を裂く速さでネサリに迫る。間一髪で避けるも、ほおから流れる血が一筋。懸命に避ける少年に、追撃を放つロデリック。


 受け流し、跳ね返し、それでも剣は追いかける。

 苦痛にゆがんだ顔。何合も打ち合いしびれた彼の手から剣がこぼちる。

 止めとばかりにロデリックは喉元に突き立てた。


「さ、降参しなよ」

「……あ~ぁ。まぁ、付け焼き刃でこれなら上等か」


 高圧的に告げると、へらりとネサリが笑う。

 意図しない行動にロデリックの眉間みけんじわが寄る。


「これなら時間稼ぎにも充分だろ」


 その言葉に、風を切るように素早く後ろを振り返る。

 いばらの園にいまだ旗は健在だ。

 班員は中心に辿たどけず、いばらに阻まれ立ち往生している。

 魔法を使っているのはアルカーシャ・・・・・・のみ。


「シゼルは……!?」


 気づいたときには遅かった。王者の魔力がぜる。




 時はさかのぼり、夜。

 ネサリは月を見ながらたそがれていた。

 談話室を出て、追ってくるアルカーシャを振り切り、屋根の上で管を巻いていた。


「面白くないなぁ~」


 圧倒的な力を持って、弱者をつぶす。他者を顧みることなく我が道を歩んでいく。

 それがシゼルだった。

 だのに、卑怯ひきような手で力を奪われ、取り戻そうとすることもなく、小細工に手を染める。


 心が弾み華やぐから、超越さをあがめ畏れていたからそばにいたのに。

 あんまりに普通な人間らしさを近距離で見せつけられ、ネサリの心はえていた。

 そうこうしていると月が昇ってくる。地平線の近くにいた月が山際を超えようとしている。


「やっと……見つけた……!」


 屋根から下を除けば、息を切らして膝に手をつくアルカーシャの姿。

 しばらくは息を整えていたようだが、大きく息を吸って、仁王立ちし、ネサリに指を突き立てた。


「あんたねぇ! 今更降りられると思ってんじゃないわよ!!

 ここまで来たら一蓮托生いちれんたくしようって分かるでしょ!」


 迫力のある声。されるネサリ。

 反論の言葉は出てこない。

 離脱したのが褒められた理由からではないということを彼もまた自覚している。

 だからこそ、次の言葉は深く刺さった。


「シゼルのそばで楽しい思いしてたでしょ! 少しぐらいは返しなさい!!」


 無言しか返せない。

 言い返せず、浅くため息を吐いて屋根から降りる。

 ふわりと降りたネサリに、アルカーシャがふんと鼻を鳴らす。


「……アルカーシャはほんと真面目だよね~」

「あんたと比べれば誰だってそうよ」


 軽口をぴしゃりと跳ねけられ、肩をすくめて後に続く。

 無言のまま人の居ない廊下を歩いて行く。

 まれた窓硝子がらすには、不満げな自分の顔が映り込みいびつに口角が持ち上がる。


 せかせかと早足で歩くアルカーシャに、ネサリは大股でゆったりと着いていく。

 談話室の扉に辿たどけば、少女が把手ドアノブを引っ張る。だが、開かない。

 ネサリに変わっても開かない。


「鍵かかって……いや、結界?」


 部屋の内外を隔てる結界。

 中で何が起こっているか見当も付かない。

 全体重をかけて扉を引っ張っても、二人で力を合わせても扉は開かない。


 誰もいない空間に、少女の舌打ちが響く。

 打つ手なしとネサリが諦め掛けた時、アルカーシャは扉に術式を描き始めた。


 六角形を外枠に、幾何学模様が敷き詰められる。

 隙間に文字が書き添えられ、術式が光を帯びていく。

 徐々に緻密になっていく術式を描きながら、少女が口を開く。


「今から少しだけ穴を空けるから、あんたが入って」

「え、二人で入ればいいじゃん」

「はぁ? そうしたらこのか弱い結界壊れちゃうでしょ。中で何してるか分からないけど、絶対シゼルが明日のためにやってんのよ。台無しにしたらるわよ」


 明日の天気予報のように軽い調子で、真面目くさった顔で告げられる凶行。顔を引きつらせて、両手を挙げ、降参した。

 空いた穴に体をねじ込ませて、談話室に入る。


 

 そこでは、魔素が渦巻き、火花が散っていた。



 机や椅子はたおされ、窓帳カーテンは風に激しくはためく。

 家具は全て部屋の隅に寄せられる。四隅には、結界に使ったであろう魔具が見えた。

 室内に生み出された竜巻から逃れようと、隅に移動する。


 渦巻く風に乗って、小さな声が聞こえる。

 シゼルの声だ。

 自分たちの班の部屋で、ネサリとアルカーシャは外にいた。だから、この事態を起こしているのがシゼルとは簡単に推測がついていた。しかし、あまりの魔素量。毒を盛られるより前をはるかに超えそうなほどの圧力。


 か細く聞こえる声に、懸命に耳を傾ける。

 何をしようとしているのか、把握がしたかった。


「……精霊召喚?」


 吹き荒れる魔素の奔流。合間に見えたシゼルの楽しげな顔が答えだ。


「ははっ、自分で無理って言ってただろうが」


 そうだ、こういう、普通じゃ考えられない無茶むちやを通す彼女が好きだった。

 がっていくほおを自覚する。

 人に見せられないようなしまりのない顔をしているだろう。


 それでもネサリは、ひるむことなく嵐に手を突っ込んだ。

 召喚がくいくように場を整える。


 詠唱は終盤を迎えていた。いつから召喚を始めていたかは知らないが、少ない魔力を運用してよくここまでと思う。だから、外から支えて、び出された魔力の手綱たづなを握ってやる。


 届けるべきところに魔素を流し、れたものを本流に戻す。

 ぐらつく地平を押さえつけ、彼女の立つ場を盤石なものにする。


 不意に、嵐が収まる。

 半日ぶりに見たシゼルの横顔は、近頃の思い詰めた、自信の薄れたそれではなく、泰然とただあるがままに君臨する王者のものだった。


 シゼルの目の前にあるのは、揺らめく魔素の塊。空気との境は不明瞭。陽炎かげろうのように曖昧な存在。

 けれど、圧倒的な魔力を持ってネサリを震わせる。

 彼女が両手を伸ばし、精霊を受け入れる。すぅと空気に消え去って、結界が破れた。





 

「さぁ、前座は終わり。主役の登場さ」


 膨大な魔力を爆発させたシゼルへと慌てて向かうロデリックを、ネサリはわらっていた。だってもう遅い。

 彼女を中心に巨大な魔力が渦巻いていく。


 ネサリも、アルカーシャも、事前に知らされていたが故に防御の準備は万端ばんたんだった。それでも食い千切られるかもと焦り冷や汗の伝う魔法。

 シゼルの言葉は、静かで冷ややかでひそやかで、けれど音響増幅もなしに競技場中に届いていった。







「凍獄を此処ここに」

 駆け寄るロデリックの息が白く変ずる。

あかき花、咲き乱れ」

 砂地に霜が降り、空に氷華が舞い踊る。

さかさの熱がお前を襲い、逃げる足は凍り付いた」

 競技場にいる誰も彼もが動けない。

「動かぬ空にはありて」

 白く凍り付いた世界に、音は無い。

「過ぎた身空に死をたまう」

 雪と氷に閉ざされた世界が完成した。 

 


 氷が溶けた時、シゼルの手には旗と記章が輝いていた。

『か、返り咲いた絶対王者! 王冠は再びその手にー!!』

 一度は離れた王者のあかしを、自らの手で手に入れ胸につける。

「やっぱり、いろいろ考えるよりこうやって魔力に物言わせて戦う方が性に合っているよ。

 ねぇ、ロディ」

 黄金の記章は、此処こそが本来の居場所だと言わんばかりに煌めいた。

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空の音、星の影。 速水ひかた @sekkei

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