君と紡ぐ旅

 高く張り巡らされたむき出しの鉄骨の下、あまのひとがひしめきあっていた。


 十の線路には息つく間もなく列車が入り、扉を開く。ひとを吐き出してはまた飲み込んで、一片だけ開いた壁から外へと飛び出ていった。


 到着と発車を知らせるベルが鳴り止むことはない。

 乗客の多くは旅行者だ。大きな荷物を抱え、身を切る寒さに外套コートを着込み、足早に改札へと向かっていた。これから旅先へと向かう者は、暖かな飲み物を片手に寒さをしのぎ、列車の到着を待っていた。


 また一つ列車が乗降場へ到着した。

 車窓から顔を出していた者は慌てて荷物をつかんで下車し、背広を着た男女は旅行かばんを片手に悠々と乗降場を歩いて行った。新しく降り立った集団の中に、頭一つ飛び抜けた長身の少年がいた。


 ぴんととがらせた獣耳が左右に揺れ、蜂蜜色の瞳は辺りを見渡しながら輝いていた。

 周りの者が厚手の外套や胴衣ジャケットを着込んでいる中で、少年――クートは薄手のがいとう衿巻マフラーを巻いただけの軽装であった。


 それでもクートは寒さを気にせず、見たことのないほどの人だかりや鉄骨が細く見えるほど高い天井、端まで見えぬ乗降場の広さに圧倒されていた。


 ぼーっと立っていたからだろうか。次に来た波に飲まれて、クートはいつの間にか乗降場の壁際まで追いやられていた。


 いくつもの駅を乗り継いで辿たどいた終着駅。


 詰まりに詰まった重い荷物を引っ提げて身動きが取れないまま、クートはにこにこと列車の行き来するさままばたきの間に表記が変わる魔導掲示板を眺めていた。

 到着する列車に合わせて浮かべる文字や記号を変える魔導掲示板は、列車の情報だけでなく駅周辺の出来事も伝えてくれる。時折、誰かの悪戯いたずらで表記が乱れることはあっても壊れることなく姿を変え続け、クートは飽きることなく観察していた。


 二つほど、列車を見送った頃。人波から一人の少女が押し出された。息苦しさからか、被り物をぱさりと落とし、左右に頭を振る。


 けぶるような長いまつげの間から、伏せられた瞳が流麗にのぞく。気だるそうにため息をつく姿は悩ましく、目が離せない。人混みに乱れた髪はつややかなまま、数度でれば跳ねひとつなくなった。


 一時れていれば、少女が視線に気づいたようにクートへ向いた。


 ぱちり、と目が合う。


 少女の瞳に自身の顔が映っていた。真っ赤な顔と間抜けに開いた口。気恥ずかしさからクートは慌てて目をらした。


「……ねぇ、そこのあなた」


 声まで綺麗きれいだ。

 いつか村の子が買っていた可愛かわいい鈴を転がしたような声が自分に向けて発されている。顔は向けられないけれど、聞き逃すまいと耳はしっかりと少女へと向けていた。


 だから、次の言葉が聞こえなかった訳ではない。


「ちょっと壁になってくれない?」


 飛び出た言葉のすさまじさに、背けていた顔が勢いよく少女へ向いた。意味を咀嚼そしやくしきれずに、クートは返答もできずただただまばたきを繰り返す。


「その記章、フェルフェ学園のものでしょう? 私もそう。行き先が同じなら、私の前に立って歩いてほしいの」


 一人だとまれて息もできない、と小さなつぶやきが二人の間に落ちる。片手でくるくると髪の毛をいじる少女。涼しげな横顔はクートを見ることもなく、整った半面だけを見せていた。


 壁面絵画に向けられた切れ長の瞳とすっと通ったりよう、薄く色づいた唇に、少年はまた目を奪われる。


「……ねえ、聞いている?」

「あっ、うん! 任せて!」


 いつまでっても返ってこない返事にごうやした少女の催促に、クートは慌てて叫んだ。






 少女――カトレインの読み通り、クートの後ろはとても歩きやすかった。


 雑踏から頭ひとつ抜けた背丈。カトレインの倍はありそうな身幅。しっかりと前を向いて歩けば他人が寄ってくることも少なく、風を切るようにずんずんと人混みをけて進んでいった。

 少年の歩幅は広いが速度はゆったりとしたもので、少々小走りになって歩けば余裕を持って駅舎を進めた。


 彼女一人であれば波につぶされていただろう。

 少女だけで歩いていた時とは比べ物にならないほど順調に人混みの中で歩を進めていた。


「乗換口はではないわ!」

「ちょっと⁉ 上ばっかり見ないで!」

「聞いている⁉」


――目的地に向かってはいなかったが。



 へん田舎いなかから出てきたクートにとって、都会の駅など未知の宝庫。


 積み上げられた石材の拱門アーチに迎えられ、そびえる彩色硝子ステンドグラスを見上げる。見たことのない色形の列車に、ひとりでに動き回る飾窓ショーウィンドウの商品。宙に浮かぶ標識に沿って飛んでいく人や荷物。


 初めて見た景色に、クートの視線は落ち着くことはなく楽しげに辺りを見渡し、興味の引かれた場所へと吸い寄せられていった。


 最初こそ少女の壁になると張り切って次に乗る列車の乗降場へと向かっていたものの、カトレインに怒鳴られ服を引っ張られて我に帰ったときには、目的地とは正反対の方向に来てしまっていた。



 少女は怒っていた。

 すっかり人気ひとけのなくなった駅舎の端。しゅんと身を縮めたクートの前に立ち、小柄な身体で仁王立ちして精一杯に怒気を表す。


 急に立ち止まるな。見当違いの方向へ走るな。空を飛ぼうとするな。


 自身が余りにもはしゃいでいた自覚のあったクートは説教を甘んじて受け入れていた。しおしおとしおれる姿に、彼女は怒気を一旦収め天井に掛けられた時計をちらりと見やる。


 列車の発車予定時刻が午前十一時三七分。現在の時刻は午前十時五一分。これから急いで向かえば何とか間に合うだろうが、先ほどと同じように脇見寄り道をしてしまえば発車時刻には間に合わない。


 だからカトレインは少し少年を脅すことにした。


「ねえ、わかってる?」


 少し静かに問いかけてきた少女の言葉にクートは首をかしげる。


「出発時刻に間に合わなければ次の列車は二月後よ? 乗り継ぎで行くとしたら、到着は十日後。

 宿代はあるの? 乗り継ぎの費用は持っている?」


 分かったならもう余所見よそみをしないで。

 そう続けようとした言葉は、途中で途切れてしまった。


 突然の浮遊感。腹部に感じる圧迫感。揺れ動く視界。

 あっという間に抱え込まれ、抗議の声を挙げようにも口を開けば舌をんでしまうだろう。


 クートの両手で支えられていても上下左右に揺れる身体。腹の底から込みあげてくるものをカトレインは口を押さえて耐えていた。ちらりと近くなったクートの顔を盗み見る。


 落ち込み垂れ下がっていた目はきっかりと見開かれ、興奮を残して紅潮していたほおはすっかり青ざめていた。汗が一筋流れて、宙へと飛んでいく。


 さっきまで見ていた景色を後ろに置いていって、クートは一目散に掛けていく。一度止まったかと思えば、階段のりに向かって力強く跳躍し、瞬く間に階を上がっていった。カトレインを掛けているため両手はふさがっている。

 それにも関わらず、クートは驚異的な身体能力で、猿のように駅舎を駆け抜けていった。


 二つの階段を上り、改札に集まる人並みをくぐり、三つの通路を渡ったころ。


「ま、間に合った?」


 ようやく移動が止まった。



 すくませていた身を緩めて、カトレインは辺りを見渡す。先ほどまでいた場所からはほど遠く、いまだ列車の到着していない乗降場であった。

 ひとも少なく、列車も来ていない乗降場は風だけが吹きすさぶ。目的地に無事に到着したようで、ふぅと安堵あんどの息を落とす。


「もう発車しちゃった?」


 うるうるとまなじりにじませながら少年が涙声で尋ねる。情けなく腕の中に抱えた少女を見やる姿に、今度こそあきれてため息をついた。


 びくりと身体を震わせ、判決を言い渡される罪人のようにぎゅっと目をつぶる姿に、カトレインは肺の中の空気を出し切ってしまうほど大きく息を吐き出して言った。


「……そんなわけないでしょ。まだ来ていないだけよ」


 カトレインの言葉にぱぁっと顔を輝かせ、いきなり抱えてごめんね、と言いながらクートは少女を地面に下ろした。不安定だった姿勢から急に地面に下ろされたからか、カトレインは二三歩よろめく。支えようと差し出されたクートの腕を払って、少女はふんと鼻を鳴らした。


 少年が二人分抱ええていた重たい荷物を乗降場に並ぶ椅子に下ろして、しばらく待っていると徐々にひとが集まってきた。


 旅行者や家族連れ。その中にクートたちと同年代の子供もちらほらと見られた。この場にいるのは大人が多く、子供だけでいる者はクートとカトレインの他には見当たらない。少しばかり疎外感を感じて、二人はまた乗降場の隅に身を寄せた。


 乾風が通り抜けるだけで音もなかったのに、ほんのわずかな間でざわめきが駅舎にあふれていった。


 きゃらきゃらと騒ぐ幼子たちが鉄柵で覆われた乗降場の端で歓声を上げる。遠くの方に小さな影が見えてくる。それは少しずつ形をはっきりさせ、駅に入ってきた。


 汽笛を鳴らし、煙を吹かせて列車が到着する。二階建ての大きな列車。列車の先頭が駅舎に侵入し、すべてが収まるまでには数分の時間を有するほどの車両数。

 飲み込んでいたひとを全て吐き出せば、乗降場は息も出来ないほどひとで埋め尽くされた。降車客の代わりに控えていた人たちがぞくぞくと乗り込んでいく。


 見送りに来た親族に窓越しに手を振る家族。土産屋で買い込んだ弁当を早速開けている恋人たち。微笑ほほえましい光景を横目に、クートとカトレインはそれぞれが荷物を抱えて扉をまたいだ。


 列車の座席はすべて車室コンパートメント式となっており、二人が入った車室は車両の端、階段下にある二、三人用の小さなものだった。頭上の荷物棚にクートが荷物を上げ、廊下側の窓帳カーテンをカトレインがぴしゃりと閉めた。


 二人は斜向はすむかいに座り、クートは大きな窓から顔をのぞかせて楽しそうにしていた。

 その中で、車窓から身を乗り出して最後の抱擁をしている親子の姿があった。親の服を涙でらして、子に回した腕は力強くて。最後にぎゅっと互いを抱きしめて離れた子供の胸には二人と同じ記章バッジが輝いていた。


 よく見れば、服やかばん、髪に記章を付けた子が親と別れている姿はいくつも見られた。大抵の子は二人より年齢が上であったが、同年代の者も少なくはなかった。


「……みんな、ここまでお見送りにきてくれるんだね」

「そうね」


 かばんから取り出した本に視線を落とすカトレインはそっけなく答える。


「僕の家、お金がなくって、僕がここまで来るお金だけで精一杯だったんだ。だから、こんな大きな駅までお見送りしてくれるってうらやましいなぁ」

「……そう、だからあんなに急いだのね」


 にこにこと窓の外を、絵を見るように眺めるクート。窓の外など興味なさげに自己にもるカトレイン。


 ぱたりと一枚、ページめくられた。





 おもむろに列車が出発する。


 汽笛が高らかに鳴り、徐々に速度を増していく。乗降場に残された親が大きく腕を振る姿はすぐに小さくなっていた。


 列車は鉄骨だらけの駅舎から飛び出して、街中を駆ける。

 ゆったりと走る小さな対向列車とすれ違い、駅に人を置き去りにして列車は走る。線路脇に並ぶ木々や家々は疾駆し、車窓の景色がとどまることはない。


 都市を抜け、郊外へ。


 途端、飛び込んできた光に目がくらむ。何度もまばたきをしてその明るさに目が慣れた頃、クートの目の前には一面の雪景色が広がっていた。どこまでも白く、まばゆい。一つ二つと銀世界を横切っていた足跡の主は一体どんな人だったのだろうか。


 わくわくと窓に張り付いて景色を眺めていれば、列車は隧道トンネルに差し掛かる。暗くなった室内にぱっと晶灯ランプがつく。部屋の中心、天井からつるされた素朴な晶灯にさえもはしゃぐクート。

 その背後、鏡のようながらにはあきれた顔のカトレインが映る。クートが歓声を上げている間に列車はすいどうを抜け、また都市へと線路を向けた。


 雪を溶かす外燈がいとうが、街を白から緑に変える。

 蒸気をたなびかせて走る車を追い越し、鮮やかに色付いた木の葉を落とし、いくつもの高架をくぐける。川を越え、橋を渡り、駅を通過して列車は走る。


 遠くに見える塔は一体何だろう、と考える間もなく塔は去った。街中に入ったからか、列車の速度が緩んだ。線路の先にこれまでの通過駅よりも大きな駅が見える。

 いくつもの線路が並び、交差する駅。停車中の列車も今まさに動き出した列車も様々あった。落ちていた速度がさらに落ち、どうやらこの駅には止まるようだ。


 汽笛高く、ざわめきと共に人が乗り込んでくる。クートたちの乗った駅と同じような客層で、また列車が埋まっていく。それでも車室には空きがあるようで、クートたちの部屋をのぞく客はいなかった。


 ゆっくりと動き出した車両はすぐに街を抜けて、今度は山岳地帯へと線路を延ばしていた。


 斜面の一部を平らにして作られた線路。窓のすぐそばは切り立った崖で、列車が少しでも傾けば落ちてしまいそうだ。

 少し下をのぞめば谷底深くに渓流を見つけた。細く光を跳ね返し、小さな段差や曲がり角に泡を立てる。激しい流れに、どこか故郷と同じ雰囲気を感じて、クートは早くも懐かしさと寂しさが胸を覆う。


 郷愁は置き去りに、列車は走る。


 渓谷を抜けた先、今度はどこまでも広がる海があった。


 クートの故郷に海はない。初めて見る大海原の広大さに、クートは目が離せなかった。


 どこまでも広がるあお

 浮かぶ島々の緑。

 見慣れた雲の白ささえ、美しい対比に花を添えていた。


 よくよく見れば、海の中にも色の違いがある。

 濃い青と薄い緑、白に近い水色。

 一体どんな違いがあるのだろうか。

 家々と違って海はすぐに消え去らない。瞬く間に変わっていく景色も楽しかったけれど、雄大な景色をずっと眺めるのだって楽しい。


 それからも列車はさまざまな場所を通っていった。


 澄んだ湖畔、深い森の中、霧立つ湿地、無人の荒野。

 いくつもの駅を通過してなお止まらず、列車は目的地へと進み続ける。




「すごく遠くまで来たんだねぇ」


 にこにこと窓の外を見ていたクートは、列車が長い隧道トンネルに入ってからようやく椅子に腰を落ち着かせた。


 堅い木の座面を薄く覆っただけの綿では走行の衝撃を吸収しきれず、枕木を超えるたびに身体が宙に浮く。曲がり角では車体が傾くのに逆らわずぺたんと椅子に寝転がる。遊具に乗った子供のようにはしゃぐクート。


「大陸横断列車なんだから、当たり前でしょ」


 視線を本に落としたままカトレインが答える。出発時に読んでいた赤い革表紙の本から、黄色い布で覆われた本に変わっている。膝の上に開いた本を載せ、一頁一頁、ゆったりと紙をまくっていく。


 いわく、甜果大陸アク・ケセリの北東部から北西部を結ぶ路線。運行は二月に一度。始発駅から終着駅までかかる時間は三日ほど。故に食堂車両や寝台車両も備わっている。と。


 詩歌をそらんじるようによどみなく説明を続けていく少女に、感嘆の声が漏れる。穏やかな知識の海で揺蕩たゆたうように、言葉が身にしみる。


「君は、物知りだね」

「なによ、馬鹿にしてる? このくらい常識でしょ」

「でも僕は知らなかったから」


 あっ、と小さな声がした。小さくたおやかな手で口を覆った少女が、うろうろと視線を彷徨さまよわせた。クートはきょとんとした顔で首をかしげ、そして良いことを思いついたとばかりに手を打った。


「そうだ、あのよかったら――」「べっ別に――」


 重なり合った声に驚いた二人の視線がぶつかる。クートはぽかんと口を開けて、カトレインは目を丸くして。しばしの沈黙の後、すっと向けられたてのひらに少年は口を開いた。


「学園に着いてから時間があったら勉強とか、教えてもらえないかな。僕、あんまり勉強得意じゃなくって、それで、君の説明がとてもわかりやすかったから……」


少しだけ顔を赤らめて、ぽりぽりとほおをかく少年。


「――よ」


 カトレインが何かをささやいた。あまりにも小さく、獣人クートでさえ聞き取れない声で。思わず聞き返せば、少女の視線は窓の外へとらされ、膝の上で握られた拳はかすかに震える。耳を真っ赤にしながらカトレインは叫んだ。



「っだから、いいわよって言って――!」



 かたん。


 車室を揺らす小さな異変に、彼女の言葉は止まる。


 天井から聞こえる異音。激しく揺れ始める車体。暗い隧道トンネルの中で二人はそろって立ち上がった。腰を落とし、荷物から手を離す。耳慣れぬ音に、どこか車内もざわついている。


 そして次の瞬間、車室は落石に押しつぶされた。美しくいろどられた壁をえぐる荒々しい巨石。ごうおんと共に列車は横薙よこなぎにされ、車内は暗闇に飲み込まれる。


 カトレインの意識が闇に落ちる直前。彼女に見えたのは自身に向かってくる鋭い石と、かばうように手を伸ばすクートの焦った顔だった。




 ぱらぱらと砂が落ちる音がする。

 地を揺るがすような爆音はんだ。

 遠くで石が落ちたような音はしても、周辺で大きな落石はないようで止まっていた息を大きく吐き出す。


 目の前では非常用の晶灯がともっている。カトレインが普段使っている照明には遠く及ばないけれど、暗闇からは抜け出すには十分なほのかな明かり。椅子の下に付けられていたはずの灯は、どうしてかクートの顔に近しい。


 そして、あたりに漂う鉄臭いにおい。


「あなた、どうして……」


 小さな少女はクートの腕の中にいた。落石の衝撃に気を失っていたが、目が覚めたようでわずかに身動みじろぎしている。


 少年の身丈の半分もない、クートがおおかぶさればすっかり包めるほど小柄な少女。意識に問題はないようで、よかった、無事だったと安堵あんどする。きっと、落石には当たっていないだろう。


 腕の中に抱え込んだ宝石には傷ひとつない。その事実に満足して、クートは笑う。滴る血が、カトレインのほおを汚してしまったのが残念で、でも、こちらを振り向いて見開かれた深緑の瞳が暗闇でもきらきらと輝いていて、とっても綺麗きれいだった。


「あぁ、そうだ……駅では、迷惑かけてごめんね」


 なぜか声が出しづらい。かすれてしまった声で、それでも笑って言葉を紡ぐ。


 きこみかけて、慌てて飲み込んだたんは血の味がした。


「でも、今度は、役に立てたかなぁ」


 春が近づいているはずなのに、真冬のように寒くて身体が震える。この程度ならばクートの故郷と同じくらいの寒さなのに、腕の中のぬくもりにすがってしまう。


「っ立ってるわよ! 充分すぎるくらいに!」


 静かだった、まばたきもしないまま固まっていた少女はがなりたてる。悲鳴の一つも聞こえない空間で、それは嫌に響いた。


 ぽろぽろと流れていく大粒の涙を拭いたくて動かした手の震えが止まらない。どうにか少女のほおに手を置けば土埃つちぼこりが着いて、かえって汚れてしまった。


 崩れ落ちた列車の破片が落ちてくる。背に抱えた鉄板から振動が伝わる。背中も足もクートの身体は傷だらけ。流血が辺りに広がっていく。それでもカトレインの上から退くことはなく、押しつぶさないように懸命に小さく狭くとも堅牢けんろうな箱を作っていた。


 降りかかる石の雨。鋭くとがった車体の破片。

 その一つが、クートの頭に直撃した。

 ぐらりと傾く身体。揺れる視界。


 目の前が白くくらんでいく。かすみがかったように、視界がぼやけていく。

 崩れ落ちるわけには行かないのに。


「――やめてっ目を開けて! 勉強教えてって、あなた言ったじゃない!!」


 わずかな光を捉えていた目が徐々に光を失っていく。

 目が開けていられない。


「ふふ、教えて、くれる、の? ……うれしい、なぁ」


 懸命に叫ぶ少女の声が遠のいていく。

 意識は、黒に閉ざされた。




*****





 不意に、声が聞こえた。


 真っ黒な空間で少しだけ聞き慣れた少女の声が聞こえる。内容は分からないけれど、なにかを大人の女の人と話していた。


 小鳥のさえずりと、柔らかな朝日。


 うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、白く揺れる窓帳カーテンの間から差し込む光と、それに照らされる花人はなびとの少女。

 優しい光を浴びて輝く髪の間に咲いた小さな白い花。


 二人の会話はいつのまにか終わって、女の人は少女に小さく手を振って部屋から出て行った。少女は軽くお辞儀してそれを見送る。


 手持ち無沙汰になったのか、カトレインは果物かごから林檎りんごを一つ手に取った。緑がかった黄色い皮を小刀でいていく。

 小刀を動かす手つきはおぼつかず、けれど真剣に。十数分の時間をかけて剥き終わった皮は分厚く、実の表面は粗く、手元に残った果実は二回りも小さくなっていた。


 へたを持ち不満げに成果を見やる姿がなんだかおかしくて、笑い声が漏れる。


「……っ目が覚めたなら言いなさい!」


 音がするほどの勢いでクートを振り返った少女が開けた口を戦慄わななかせ、病院中に響く大声で怒鳴った。

 息を荒げたカトレインが我に返ったかと思えば、小刀を置いて一目散に部屋を飛び出してしまった。


 唐突に一人になって、少しだけ心細い。


 追いかけようと寝台ベッドから降りようとすると、白衣を着た人たちがたくさん部屋の中に入ってきて、あっという間に寝台に寝かせられた。


 その人たちは何かを話しながらクートの身体を調べていった。会話は早口で、知らぬ言葉が多用され、なにがなにやら分からぬまま、クートは部屋を連れ出された。


「二日も眠っていたんだよ」

隧道トンネルの崩落に巻き込まれたんだ」

「痛い場所はないかい?」


 身体のあちこちを触られ、動かされ、血を取られ、矢継ぎ早に尋ねられて、目が回ってしまう。


 問答が終わったのは日が沈む頃。しばらくすれば白衣の人たちは皆いなくなった。その後、白衣とは違う服を着て優しげな表情をした男の人がいろいろと説明してくれた。


 ここは甜果大陸アク・ケセリ北西部で、列車の終着駅にほど近い街であること。

 崩落事故が起きたのは中央部に差し掛かった時であったこと。

 魔導救急援助隊ミドアが出動して救助活動を行い、終着駅付近の街まで転移魔法でつなげて救助者を運んできたこと。


 詳しく説明されたが、クートは正直よく分からなかっていなかった。けれど、もう学園につながる場所には来ていて、入学には間に合うってことは理解したので、それだけで充分だった。


「――あの」


 白衣の人たちが入ってきてクートが部屋を出ていって、また帰ってきて説明を受けて。とても長い時間が流れたというのに、カトレインは静かに部屋の隅に座っていた。朝日のまぶしい時間から、夕焼けの綺麗きれいな時間まで、ずっと。


 クートが意を決して声をかければ、やわら視線をこちらに向けた。


「どうして待ってくれるの?」


 救助隊のひとたちに助けてられてもう二日がっている。今日も合わせれば三日となる。転移門はいつでも使えるから、今すぐにだって学園には行ける。


 それが不思議で聞いてみれば、少女はどこかとげが刺さったように悲痛な表情を浮かべた。

 クートはカトレインに怪我けががないよう盾になったつもりだったけれど、をしているのかもしれない。

 それならば堅い椅子ではなくて柔らかい寝台で休んでほしくて、彼は身を起こそうとする。


「……お礼が言いたくて」

「お礼?」


 視線を遠くに投げていた少女が、すっと立ち上がって寝台のそばに近寄る。


 近くなった彼女に包帯は巻かれていないし、消毒液で鈍くなった鼻でも血の臭いは感じない。そうであるにも関わらず痛々しい顔をしていて、落ち着かない。敷布の上でクートは無意味に手遊びをしていた。


 軽くうつむいたクートをのぞむようにかがむカトレイン。急に飛び込んできた美しい瞳に驚いて顔を上げれば、立った少女と自然に目が合う。じっと少年を見つめる瞳が柔らかく細められる。


「えぇ。駅舎でも車室でも私を守ってくれてありがとう。

 あなたのおかげで、私は助かった」


 彼女はそう言い切ると、寝台と水平になるほど腰を折った。はらりと落ちていく髪と、下がったまま上がらない頭。


 目をぱちくりと瞬かせて、ぽかんと口を開けていた少年は、しばらくしてようやく状況を飲み込んだ。


「え、えっ⁉ あっあたま上げて!」


 寝台に深く座り込んだ姿勢から腕だけを伸ばせば、当然のように体勢を崩す。


 落ちかけた体をカトレインが慌てて支えるも、体格が違いすぎて徐々につぶれてしまう。当然のようにクートは少女の下に身体を滑り込ませ、カトレインは少年の頭を守るように抱きかかえる。しまいには二人して床に転がってしまった。


 冷たい床に寝転がり二人は顔を見合わせる。


「あははっ、今度は守られてばかりじゃないわよ」


 得意げに笑う少女に、クートは満たされた気持ちになる。りんと澄ました少女も美しかったが、こぼれる花のように笑うカトレインは可愛かわいらしい。


「ねぇ動けるようになったら中央区に向かいましょ」

「じゃっじゃあすぐ行こう!! 僕もう動けるよ!」


 立ち上がったクートに手を取られ、身体を起こすカトレイン。いつの間にかまとめられていた荷物を抱えて病院を飛び出していった。はすでに沈み、残り火が街を照らす。店仕舞みせじまいいを始めた人々の間を擦り抜け走り、手と手を取って二人が駆ける。


 ひとごみをかき分けて、開いた扉へ飛び込めば景色が変わる。




「ようこそ! フェルフェ学園へ!」


飛び込んだ体は抱き留められ、元気な子供に大人が笑う。

 少年少女二人の旅は未だ始まったばかり。

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