君と紡ぐ旅
高く張り巡らされたむき出しの鉄骨の下、
十の線路には息つく間もなく列車が入り、扉を開く。ひとを吐き出してはまた飲み込んで、一片だけ開いた壁から外へと飛び出ていった。
到着と発車を知らせる
乗客の多くは旅行者だ。大きな荷物を抱え、身を切る寒さに
また一つ列車が乗降場へ到着した。
車窓から顔を出していた者は慌てて荷物を
ぴんと
周りの者が厚手の外套や
それでもクートは寒さを気にせず、見たことのないほどの人だかりや鉄骨が細く見えるほど高い天井、端まで見えぬ乗降場の広さに圧倒されていた。
ぼーっと立っていたからだろうか。次に来た波に飲まれて、クートはいつの間にか乗降場の壁際まで追いやられていた。
いくつもの駅を乗り継いで
詰まりに詰まった重い荷物を引っ提げて身動きが取れないまま、クートはにこにこと列車の行き来する
到着する列車に合わせて浮かべる文字や記号を変える魔導掲示板は、列車の情報だけでなく駅周辺の出来事も伝えてくれる。時折、誰かの
二つほど、列車を見送った頃。人波から一人の少女が押し出された。息苦しさからか、被り物をぱさりと落とし、左右に頭を振る。
けぶるような長い
一時
ぱちり、と目が合う。
少女の瞳に自身の顔が映っていた。真っ赤な顔と間抜けに開いた口。気恥ずかしさからクートは慌てて目を
「……ねぇ、そこのあなた」
声まで
いつか村の子が買っていた
だから、次の言葉が聞こえなかった訳ではない。
「ちょっと壁になってくれない?」
飛び出た言葉の
「その記章、フェルフェ学園のものでしょう? 私もそう。行き先が同じなら、私の前に立って歩いてほしいの」
一人だと
壁面絵画に向けられた切れ長の瞳とすっと通った
「……ねえ、聞いている?」
「あっ、うん! 任せて!」
いつまで
少女――カトレインの読み通り、クートの後ろはとても歩きやすかった。
雑踏から頭ひとつ抜けた背丈。カトレインの倍はありそうな身幅。しっかりと前を向いて歩けば他人が寄ってくることも少なく、風を切るようにずんずんと人混みを
少年の歩幅は広いが速度はゆったりとしたもので、少々小走りになって歩けば余裕を持って駅舎を進めた。
彼女一人であれば波に
少女だけで歩いていた時とは比べ物にならないほど順調に人混みの中で歩を進めていた。
「乗換口は
「ちょっと⁉ 上ばっかり見ないで!」
「聞いている⁉」
――目的地に向かってはいなかったが。
積み上げられた石材の
初めて見た景色に、クートの視線は落ち着くことはなく楽しげに辺りを見渡し、興味の引かれた場所へと吸い寄せられていった。
最初こそ少女の壁になると張り切って次に乗る列車の乗降場へと向かっていたものの、カトレインに怒鳴られ服を引っ張られて我に帰ったときには、目的地とは正反対の方向に来てしまっていた。
少女は怒っていた。
すっかり
急に立ち止まるな。見当違いの方向へ走るな。空を飛ぼうとするな。
自身が余りにもはしゃいでいた自覚のあったクートは説教を甘んじて受け入れていた。しおしおと
列車の発車予定時刻が午前十一時三七分。現在の時刻は午前十時五一分。これから急いで向かえば何とか間に合うだろうが、先ほどと同じように脇見寄り道をしてしまえば発車時刻には間に合わない。
だからカトレインは少し少年を脅すことにした。
「ねえ、わかってる?」
少し静かに問いかけてきた少女の言葉にクートは首を
「出発時刻に間に合わなければ次の列車は二月後よ? 乗り継ぎで行くとしたら、到着は十日後。
宿代はあるの? 乗り継ぎの費用は持っている?」
分かったならもう
そう続けようとした言葉は、途中で途切れてしまった。
突然の浮遊感。腹部に感じる圧迫感。揺れ動く視界。
あっという間に抱え込まれ、抗議の声を挙げようにも口を開けば舌を
クートの両手で支えられていても上下左右に揺れる身体。腹の底から込みあげてくるものをカトレインは口を押さえて耐えていた。ちらりと近くなったクートの顔を盗み見る。
落ち込み垂れ下がっていた目はきっかりと見開かれ、興奮を残して紅潮していた
さっきまで見ていた景色を後ろに置いていって、クートは一目散に掛けていく。一度止まったかと思えば、階段の
それにも関わらず、クートは驚異的な身体能力で、猿のように駅舎を駆け抜けていった。
二つの階段を上り、改札に集まる人並みを
「ま、間に合った?」
ひとも少なく、列車も来ていない乗降場は風だけが吹きすさぶ。目的地に無事に到着したようで、ふぅと
「もう発車しちゃった?」
うるうると
びくりと身体を震わせ、判決を言い渡される罪人のようにぎゅっと目を
「……そんなわけないでしょ。まだ来ていないだけよ」
カトレインの言葉にぱぁっと顔を輝かせ、いきなり抱えてごめんね、と言いながらクートは少女を地面に下ろした。不安定だった姿勢から急に地面に下ろされたからか、カトレインは二三歩よろめく。支えようと差し出されたクートの腕を払って、少女はふんと鼻を鳴らした。
少年が二人分抱ええていた重たい荷物を乗降場に並ぶ椅子に下ろして、しばらく待っていると徐々にひとが集まってきた。
旅行者や家族連れ。その中にクートたちと同年代の子供もちらほらと見られた。この場にいるのは大人が多く、子供だけでいる者はクートとカトレインの他には見当たらない。少しばかり疎外感を感じて、二人はまた乗降場の隅に身を寄せた。
乾風が通り抜けるだけで音もなかったのに、ほんのわずかな間でざわめきが駅舎にあふれていった。
きゃらきゃらと騒ぐ幼子たちが鉄柵で覆われた乗降場の端で歓声を上げる。遠くの方に小さな影が見えてくる。それは少しずつ形をはっきりさせ、駅に入ってきた。
汽笛を鳴らし、煙を吹かせて列車が到着する。二階建ての大きな列車。列車の先頭が駅舎に侵入し、すべてが収まるまでには数分の時間を有するほどの車両数。
飲み込んでいたひとを全て吐き出せば、乗降場は息も出来ないほどひとで埋め尽くされた。降車客の代わりに控えていた人たちがぞくぞくと乗り込んでいく。
見送りに来た親族に窓越しに手を振る家族。土産屋で買い込んだ弁当を早速開けている恋人たち。
列車の座席はすべて
二人は
その中で、車窓から身を乗り出して最後の抱擁をしている親子の姿があった。親の服を涙で
よく見れば、服や
「……みんな、ここまでお見送りにきてくれるんだね」
「そうね」
「僕の家、お金がなくって、僕がここまで来るお金だけで精一杯だったんだ。だから、こんな大きな駅までお見送りしてくれるって
「……そう、だからあんなに急いだのね」
にこにこと窓の外を、絵を見るように眺めるクート。窓の外など興味なさげに自己に
ぱたりと一枚、
おもむろに列車が出発する。
汽笛が高らかに鳴り、徐々に速度を増していく。乗降場に残された親が大きく腕を振る姿はすぐに小さくなっていた。
列車は鉄骨だらけの駅舎から飛び出して、街中を駆ける。
ゆったりと走る小さな対向列車とすれ違い、駅に人を置き去りにして列車は走る。線路脇に並ぶ木々や家々は疾駆し、車窓の景色が
都市を抜け、郊外へ。
途端、飛び込んできた光に目が
わくわくと窓に張り付いて景色を眺めていれば、列車は
その背後、鏡のような
雪を溶かす
蒸気をたなびかせて走る車を追い越し、鮮やかに色付いた木の葉を落とし、いくつもの高架を
遠くに見える塔は一体何だろう、と考える間もなく塔は去った。街中に入ったからか、列車の速度が緩んだ。線路の先にこれまでの通過駅よりも大きな駅が見える。
いくつもの線路が並び、交差する駅。停車中の列車も今まさに動き出した列車も様々あった。落ちていた速度がさらに落ち、どうやらこの駅には止まるようだ。
汽笛高く、ざわめきと共に人が乗り込んでくる。クートたちの乗った駅と同じような客層で、また列車が埋まっていく。それでも車室には空きがあるようで、クートたちの部屋を
ゆっくりと動き出した車両はすぐに街を抜けて、今度は山岳地帯へと線路を延ばしていた。
斜面の一部を平らにして作られた線路。窓のすぐ
少し下を
郷愁は置き去りに、列車は走る。
渓谷を抜けた先、今度はどこまでも広がる海があった。
クートの故郷に海はない。初めて見る大海原の広大さに、クートは目が離せなかった。
どこまでも広がる
浮かぶ島々の緑。
見慣れた雲の白ささえ、美しい対比に花を添えていた。
よくよく見れば、海の中にも色の違いがある。
濃い青と薄い緑、白に近い水色。
一体どんな違いがあるのだろうか。
家々と違って海はすぐに消え去らない。瞬く間に変わっていく景色も楽しかったけれど、雄大な景色をずっと眺めるのだって楽しい。
それからも列車はさまざまな場所を通っていった。
澄んだ湖畔、深い森の中、霧立つ湿地、無人の荒野。
いくつもの駅を通過してなお止まらず、列車は目的地へと進み続ける。
「すごく遠くまで来たんだねぇ」
にこにこと窓の外を見ていたクートは、列車が長い
堅い木の座面を薄く覆っただけの綿では走行の衝撃を吸収しきれず、枕木を超えるたびに身体が宙に浮く。曲がり角では車体が傾くのに逆らわずぺたんと椅子に寝転がる。遊具に乗った子供のようにはしゃぐクート。
「大陸横断列車なんだから、当たり前でしょ」
視線を本に落としたままカトレインが答える。出発時に読んでいた赤い革表紙の本から、黄色い布で覆われた本に変わっている。膝の上に開いた本を載せ、一頁一頁、ゆったりと紙を
詩歌を
「君は、物知りだね」
「なによ、馬鹿にしてる? このくらい常識でしょ」
「でも僕は知らなかったから」
あっ、と小さな声がした。小さく
「そうだ、あのよかったら――」「べっ別に――」
重なり合った声に驚いた二人の視線がぶつかる。クートはぽかんと口を開けて、カトレインは目を丸くして。しばしの沈黙の後、すっと向けられた
「学園に着いてから時間があったら勉強とか、教えてもらえないかな。僕、あんまり勉強得意じゃなくって、それで、君の説明がとてもわかりやすかったから……」
少しだけ顔を赤らめて、ぽりぽりと
「――よ」
カトレインが何かを
「っだから、いいわよって言って――!」
かたん。
車室を揺らす小さな異変に、彼女の言葉は止まる。
天井から聞こえる異音。激しく揺れ始める車体。暗い
そして次の瞬間、車室は落石に押しつぶされた。美しく
カトレインの意識が闇に落ちる直前。彼女に見えたのは自身に向かってくる鋭い石と、
ぱらぱらと砂が落ちる音がする。
地を揺るがすような爆音は
遠くで石が落ちたような音はしても、周辺で大きな落石はないようで止まっていた息を大きく吐き出す。
目の前では非常用の晶灯が
そして、あたりに漂う鉄臭いにおい。
「あなた、どうして……」
小さな少女はクートの腕の中にいた。落石の衝撃に気を失っていたが、目が覚めたようで
少年の身丈の半分もない、クートが
腕の中に抱え込んだ宝石には傷ひとつない。その事実に満足して、クートは笑う。滴る血が、カトレインの
「あぁ、そうだ……駅では、迷惑かけてごめんね」
なぜか声が出しづらい。
「でも、今度は、役に立てたかなぁ」
春が近づいているはずなのに、真冬のように寒くて身体が震える。この程度ならばクートの故郷と同じくらいの寒さなのに、腕の中の
「っ立ってるわよ! 充分すぎるくらいに!」
静かだった、
ぽろぽろと流れていく大粒の涙を拭いたくて動かした手の震えが止まらない。どうにか少女の
崩れ落ちた列車の破片が落ちてくる。背に抱えた鉄板から振動が伝わる。背中も足もクートの身体は傷だらけ。流血が辺りに広がっていく。それでもカトレインの上から退くことはなく、押しつぶさないように懸命に小さく狭くとも
降りかかる石の雨。鋭く
その一つが、クートの頭に直撃した。
ぐらりと傾く身体。揺れる視界。
目の前が白く
崩れ落ちるわけには行かないのに。
「――やめてっ目を開けて! 勉強教えてって、あなた言ったじゃない!!」
わずかな光を捉えていた目が徐々に光を失っていく。
目が開けていられない。
「ふふ、教えて、くれる、の? ……うれしい、なぁ」
懸命に叫ぶ少女の声が遠のいていく。
意識は、黒に閉ざされた。
*****
不意に、声が聞こえた。
真っ黒な空間で少しだけ聞き慣れた少女の声が聞こえる。内容は分からないけれど、なにかを大人の女の人と話していた。
小鳥の
うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、白く揺れる
優しい光を浴びて輝く髪の間に咲いた小さな白い花。
二人の会話はいつのまにか終わって、女の人は少女に小さく手を振って部屋から出て行った。少女は軽くお辞儀してそれを見送る。
手持ち無沙汰になったのか、カトレインは果物かごから
小刀を動かす手つきはおぼつかず、けれど真剣に。十数分の時間をかけて剥き終わった皮は分厚く、実の表面は粗く、手元に残った果実は二回りも小さくなっていた。
へたを持ち不満げに成果を見やる姿がなんだかおかしくて、笑い声が漏れる。
「……っ目が覚めたなら言いなさい!」
音がするほどの勢いでクートを振り返った少女が開けた口を
息を荒げたカトレインが我に返ったかと思えば、小刀を置いて一目散に部屋を飛び出してしまった。
唐突に一人になって、少しだけ心細い。
追いかけようと
その人たちは何かを話しながらクートの身体を調べていった。会話は早口で、知らぬ言葉が多用され、なにがなにやら分からぬまま、クートは部屋を連れ出された。
「二日も眠っていたんだよ」
「
「痛い場所はないかい?」
身体のあちこちを触られ、動かされ、血を取られ、矢継ぎ早に尋ねられて、目が回ってしまう。
問答が終わったのは日が沈む頃。しばらくすれば白衣の人たちは皆いなくなった。その後、白衣とは違う服を着て優しげな表情をした男の人がいろいろと説明してくれた。
ここは
崩落事故が起きたのは中央部に差し掛かった時であったこと。
詳しく説明されたが、クートは正直よく分からなかっていなかった。けれど、もう学園に
「――あの」
白衣の人たちが入ってきてクートが部屋を出ていって、また帰ってきて説明を受けて。とても長い時間が流れたというのに、カトレインは静かに部屋の隅に座っていた。朝日の
クートが意を決して声をかければ、やわら視線をこちらに向けた。
「どうして待ってくれるの?」
救助隊のひとたちに助けてられてもう二日が
それが不思議で聞いてみれば、少女はどこか
クートはカトレインに
それならば堅い椅子ではなくて柔らかい寝台で休んでほしくて、彼は身を起こそうとする。
「……お礼が言いたくて」
「お礼?」
視線を遠くに投げていた少女が、すっと立ち上がって寝台の
近くなった彼女に包帯は巻かれていないし、消毒液で鈍くなった鼻でも血の臭いは感じない。そうであるにも関わらず痛々しい顔をしていて、落ち着かない。敷布の上でクートは無意味に手遊びをしていた。
軽く
「えぇ。駅舎でも車室でも私を守ってくれてありがとう。
あなたのおかげで、私は助かった」
彼女はそう言い切ると、寝台と水平になるほど腰を折った。はらりと落ちていく髪と、下がったまま上がらない頭。
目をぱちくりと瞬かせて、ぽかんと口を開けていた少年は、
「え、えっ⁉ あっあたま上げて!」
寝台に深く座り込んだ姿勢から腕だけを伸ばせば、当然のように体勢を崩す。
落ちかけた体をカトレインが慌てて支えるも、体格が違いすぎて徐々に
冷たい床に寝転がり二人は顔を見合わせる。
「あははっ、今度は守られてばかりじゃないわよ」
得意げに笑う少女に、クートは満たされた気持ちになる。
「ねぇ動けるようになったら中央区に向かいましょ」
「じゃっじゃあすぐ行こう!! 僕もう動けるよ!」
立ち上がったクートに手を取られ、身体を起こすカトレイン。いつの間にか
ひとごみをかき分けて、開いた扉へ飛び込めば景色が変わる。
「ようこそ! フェルフェ学園へ!」
飛び込んだ体は抱き留められ、元気な子供に大人が笑う。
少年少女二人の旅は未だ始まったばかり。
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