花の訪れ

 それは、春の花舞う日。

 深閑とした並木道に、小さな花びらがひらひらと落ちていく。糊の利いた制服に身を包み、リタはほうと感嘆の息をつく。


 静まり返った小道。無意識に鎮めた息に、花弁が遊ぶ。不意に強風が巻き上げ、視界を覆う。

 花びらの落ち切ったその先に。

 彼女は、美しいひとを見た。




*****




 季節は巡り、冬。

 小さな机の上に、とん、と硝子杯グラスが置かれた。


 まろい硝子杯が三層に満たされている。雪原のように真白いムースが底に敷き詰められ、ところどころに玉蜀黍薄片コーンフレークが芽吹いてる。中層には角切りの夜空を模した凍菓ゼリーが敷き詰められ、小さな星々がちらりちらりと輝く。

 その上にはふわふわとした生乳脂クリームみずみずしくいろどり豊かな果実が花々のように咲き乱れ、灰茶の苦みチヨコレートソースが優雅にきらめいている。



 雑誌で見てから楽しみにしていた星空菓錘パフェ

 リタはうわさに違わぬ菓錘の美しさに、しばしれていた。 


「……すっごく綺麗きれい〜!」


 目を輝かせるリタ。ほおは紅潮し、垂れ下がっているうさぎ耳がわずかにぱたぱたと動いている。

 右から左から観察して、満足したのかようやく銀匙を手に取る。慎重に表層をすくい、口に含む。


 途端、輝く瞳。

 きょろきょろと辺りを見渡して、そわそわと匙を進める。一口、二口、また一口。

 瞬く間に三層の菓錘が掘り進められていく。


 彼女の様子をほほましそうな顔で頬杖ほおづえつきながら見ているのはディートリヒ。

 ふわふわの金髪と大きくはっきりした桃花眼。それを甘くとろけさせ、彼女の挙動を一心に目に焼き付けていた。菓錘と一緒に持ってこられた珈琲コーヒーをちびりちびりと口に含んでは、じっと彼女を見守っている。

 にこにこと楽しそうにをリタは菓錘をつつく。


「あ、クリーム付いてる」


 彼女のまろいほおに真っ白な乳脂が付いていた。

 苦みの残った口が甘みを求めてか、あまり考えることなく、手が伸びた。


 ほおに触れて、乳脂クリームを指に移して、ぱくりとむ。口の中にあったほろ苦さが中和されていく。

 甘味あまみに満足して前を向き直り、ディートリヒはようやく、リタが中途半端に銀匙を持ち上げて固まった姿を目に入れた。


「あ」


 自分のやった行いに、じわじわと顔が熱くなっていくのを自覚する。

 こわる身体を無理矢理むりやりに動かして、浮いていた腰をとすんと下げた。

 慌てて指を拭って、腕を伸ばさないように肩身を狭めて机下に手を置く。遠くから届く店員のかすかな笑い声が憎い。

 真っ赤になっているだろう顔をうつむかせて、沙汰を待つ。


「っふふ」


 今か今かと断罪に備えていると、上から降ってきたのは軽やかな笑い声。

 恐る恐る視線を上げると、楽しそうにころころとリタは笑っていた。


「いいよぉ、ちょっと吃驚びっくりしちゃっただけだもん」


 よかった。胸をなで下ろす。

 にこやかに匙を再び動かす様に、ほっと息を着いた。


 すがにさっきの今でリタを見ているのは気恥ずかしく、ディートリヒは店内へと目を向けた。


 規則正しく詰まれた煉瓦れんがの壁には緑鮮やかなつたびこる。外の冷気は分厚い壁に遮られ、店内は暖かな空気で満たされている。

 しかして暑いなどということもなく、心地の良さが作り出された空間。少し高い天井も、こうこうとしたあかりも、学生にとって利用しやすい雰囲気を醸し出していた。


 そして、大きく取られた窓。店外では雪花がちらちらと舞い降り、道行く人は厚い外套コートに身を包み足早に家路を急いでいる。空は高く、薄青が澄んでいる。

 道路を挟んだ向かい側。いくつもの看板が明滅し、いくつもの広告が映し出されている。


 その中で見慣れた姿が見えて、うげっと顔をゆがめた。

 ディートリヒの表情の変化に首をかしげたリタが、視線の先を追って顔を輝かせた。


「えっアリーセ!?」


 視線の先には、一人の女性アリーセが映った広告。

 緩やかに波打つあでやかな金髪ブロンドしくつり上がったあおい瞳。容姿端麗。仙姿玉質。目をく容姿の彼女が洗練された姿勢ポーズをとり、新たに開発された背広を宣伝している。


 アリーセが映っていたのはほんの十数秒。

 看板はすぐに画像を変えて、リタ執心の彼女はいなくなった。


「はぁ~今日も素敵~~」


 とろけた顔で、ほおに手を当てるリタ。

 それをほおを少々膨らませ、すこし拗ねた表情で見つめるディートリヒ。


「……そんなに?」

「えっすごいんだよ!?

 まずね、容姿が神がかってるの! 一見絵画みたいでね。どこから見ても完璧で、でも表情も豊かで、笑ってる姿なんてもっと魅力が増すんだよ!!

 あ、容姿だけじゃなくって姿勢保持とかもすごいんだよ! 例えばさっきの広告だと背広なんだけど、動きやすくて、でもぱりっと決められててかっこいい感じなんだよね。

 でも、わいらしい服も着こなすし、退廃的なな雰囲気のときもも最高なんだよ~!!」


 半分ほどに減った硝子杯に刺さった銀匙から完全に手を離し、両手を組んで熱烈に愛を紡ぐ彼女。しまったなぁという顔をして、それでも珈琲コーヒー片手に相槌あいづちを返すディートリヒ。


 乳脂が溶け、珈琲コーヒーを飲み干すまでリタが語り、まだまだと言わんばかりに口を開いた時。


「そこまで褒められるなんて光栄だね」


 黒眼鏡サングラスを掛けた女性が声を掛けてきた。

 さらりとなびく金の糸、柘榴ざくろの如き深い赤色でいろどられた唇。ぴしゃりと伸びた背に、座ったままのリタの首が大きく曲がる。


 無言のままの一人と二人。

 数秒、視線がち合う。

 いつまでも続く沈黙に見かねたディートリヒがため息をついた。


「眼鏡、認識阻害かけたままなんじゃない?」

「あぁ、そうだったね」


 ディートリヒの言葉に、女性が黒眼鏡をちらりと上げる。

 グラスの下からのぞく澄んだ青。緩やかに、悪戯いたずらげに細められた目。リタが何度も何度も見た美しい瞳。

 そこに居たのは広告の中に居たはずのアリーセだった。


「!!!?!?!!??――あっアリー」

「しー……」


 叫び声を上げかけたリタの口に人差し指を当てて、妖しく笑う。

 ばふん、と音がしそうなほど急激に顔を赤く染めて声を失い、口をおのかせるリタ。


 深く深く、吐ききるほど深く息を吐ききった彼氏に、リタは助けを求めるように視線を向けるが、ディートリヒは頭を抱えて気づかない。

 瞳に薄く水を張ったリタがディートリヒとアリーセを交互に見て、激しく顔を振る。普段は垂れている耳が、ぴょんと勢いよく立った。


「あははっ良い反応するねー」


 なんだなんだと店内の視線が集まる前にアリーセは素早く黒眼鏡を下げた。何処どこからか持ってきた椅子に腰掛けて、にこにこと笑っている。

 しばらくの間リタを観察し楽しんでいたアリーセが、ぽんと手をたたいてディートリヒの肩をたたく。


「そうだ。教授がこれ君にって」


 そう言って差し出した紙きれをディートリヒは渋々開いて、そして目を見開いた。読みづらい走り書きで記された、見慣れた文字。書かれていたのは逢瀬デートを抜けねばらないほどの急用。

 苦々しく顔をゆがめて、弱々しい声が絞り出す。


「……なんで今渡したの」

「知らない方がまずいでしょ?」


 にっこりと笑うアリーセに撃沈するディートリヒ

 ディートリヒは不承不承ふしょうぶしょうながら立ち上がる。そして、リタの手を取った。


 赤みは引きかけ、混乱は続いていながらも、なにやら場が動くとは感知した彼女が、不安げに手を取った彼を見やる。


「ごめん、急用ができた。逢瀬デートの途中なのにごめん。

 でも絶対埋め合わせするから!!」


 ぐいっと顔を近づけて、ディートリヒは懇願する。

 近くなった顔に、瞳に、視線が奪われる。長い睫毛まつげ、ぱっちりとした目形。姉によく似た、いやそれよりももっと深く鮮やかなあお


 じわりじわりと赤みが増していく。一旦収まった顔色が、また林檎りんごのように熟れていく。


「わ、わかった……」


 かすれた承諾の言葉を聞いて、ディートリヒは取るものも取りあえず店を出ていく。またまた顔を赤くして固まったリタを見て、楽しそうなアリーセの笑みがあふれる。

 かちゃりと、硝子杯に残った銀匙が音を立てる。


「じゃあ少し付き合ってね、未来の妹ちゃん♡」


 店内に残されたのは、体を崩して、耳まで真っ赤に染めて、机に突っ伏した娘と、それを頬杖ほおづえついて観察する女だった。

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