第12話 わたしのかち
俺の学校生活は劇的に変わった。
木偶の棒の俺と、小動物系の小手指。
六月に入るころには、二人でワンセットのように扱われるようになっていた。
「ノートぉ、早くこっちに現文の課題回してくれよー」
「ばっか、引っ張るな。今俺が写してるんだぞ」
相変わらず、俺とリッキーのギリギリな綱渡り宿題は続いている。
あまりにド忘れが多かったのか、リッキーは青いカラコンを没収されたらしい。
西洋人気取ってる暇があれば、提出期限を守れという指導だろう。
カラコンがなくなればどうなるか。新しいカラコンが増えるんだよな。
イタチごっこに疲れたのか、もうリッキーの奇抜な格好は流されつつある。
世の中メンタル強者が勝つという構図を、まざまざと見せつけた結果になった。
「君らはどうしていつも、追い詰められるまで手を動かさないかなぁ」
「うっせぇ、様子見てる暇があるなら手伝ってくれよ」
「は? やるわけねーし。もうちっと真面目に生きれ」
中城とリッキーは今日も仲がいい。
密かに彼らは付き合っているのではないだろうかと、俺は最近マジで思っている。
授業中、結構な頻度でラインのやり取りをしてるらしいし、帰りも一緒だとか。
そんな日常の中、俺と小手指は、自分たちのペースでゆっくりと歩んでいる。
「今日もご飯は購買かな小手指さん」
『ばつ』『ばつ』『ばつ』
しまった。
つい今までのクセで苗字読みをしてしまうのだが、そのたびに注意される。
「一緒に行こうか、伊緒」
『ごうかく』
相変わらず天岩戸のように口は堅いのだが、表情は明るくなってきたようだ。
人形の面相書きは経験によって、より豊かに複雑に進歩していくという。
伊緒の整った顔立ちは、鮮やかで新しい色合いで重ねられていくのだろう。
「しかし、勿体ないな……せっかく繋がれたのに」
『や』
や、か。
まあ、どちらかと言うと俺も味気なく思ってしまう。
クラスのグループラインとは別個に、二人だけのラインを始めた。
最初は二人とも色々と書き連ねていったのだが、ふとした拍子に気づいてしまう。
そこに温かみがないことに、だ。
『せなか』
「うん、はいどうぞ」
俺が突然廊下で中腰になっても、もう驚かれることも少なくなった。
四六時中裾を握って、クローバーの葉のように隣り合っているのだ。外野も嘴を突っ込む余地はないのだろう。
『ちきん』
「OK。いつものアレだね。ちょいと待ってて。今買ってくるから」
『あめ』
「ん、あめ……? 飴か。確かに甘いものも食べたくなるか。いいよ、じゃあ行ってくる」
購買を出て、俺たちはいつもの階段へ。
俺の食べる量を見て、微かに引くのもいつものことだ。まあ、こればかりはしょうがないものだと諦めてもらおう。俺は燃費が悪いからね。
いつもより距離が近い。
片手でサンドイッチを頬張る伊緒は、ブレザーの裾を離さないでいる。
「伊緒、暑くないか?」
『へいき』
俺は割と汗かいてるから、匂いが気になる。
男の汗なんぞ、同級生に嗅がせるわけにはいかないしな。
『となり』
「そうだね。いつもの位置だ。定着してきた感があって嬉しいよ」
『ふふく』
え、そうなの?
ふふく……って不服なのかな。どうすりゃいいんだ、この反応は。
意外にも起きた抗議の文字に、俺は戸惑いを隠せなかった。
『みっちゃく』
「えぇ……。今これ以上ないくらいくっついてるけど。その、俺汗臭いし、やめた方が……」
ぴたり、という形容が当てはまるくらいには、肌同士、服同士が触れ合っている。
これ以上となると、もはや融合する以外にないのではなかろうか。
俺がスライム的なものを連想していると、続きの文字が背中に走る。
『だっこ』
「ぶっ! え、ちょ、また?」
味をしめましたよ、このガール。
実は割と人気の少ないところで、お姫様抱っこをしてるんですよね。
でもなあ、流石にそろそろ人にバレそうで怖いんだよね。
その辺の男心を分かってくれると嬉しいのだが……と思っているうちに、いつの間にか伊緒はにじり寄ってきていた。
ちょこん。
お姫様とまではいかないが、俺の膝上にすっぽりと収まってしまった。
幸いもう食べ終えてはいたので、物品が散らばることはなかったのだが、急に来られると心の準備が追い付かない。
「よいしょ、と。どうかな、座り心地悪いところないかい」
『まるまる』
好感度はよろしいようだ。
伊緒はこのところ、ストレートに意思を示してくれるので、とても理解しやすい。
『あめ』
「ん、そういえばまだ渡してなかったね。はい、どうぞ」
淡い桃色に包まれたキャンディ袋から、伊緒は一つ飴玉を取り出して頬張る。
ころころと軽快な音が響き、外でしとしとと降る雨の重さを、中和してくれているようにも感じられた。
『たべて』
背中に書かれた文字に促され、俺は伊緒が大事そうに抱えている袋に手を入れる。
すいっ。
すると伊緒は腕を伸ばして、袋を俺から遠ざけてしまう。
何かの悪戯なのだろうか。意志は分かりやすいといったが、きっとまだまだ修行が足りないに違いない。
『たべて』
「うん、食べたいんだけど……そんな意地悪しないでくれって」
『たべる?』
「食べるよ。だから腕をこっちに戻して――」
ころん。
口の中に広がる桃の味は、ほのかに湿っていて。
伊緒の顔が近い。目も近い。息遣いや鼓動まで届いてくる。
そして唇が最短だった。
「伊緒……」
『わたしのかち』
飴玉の味は、もはやわからない。
俺はそっと離れていった伊緒の残滓を、いつまでも感じていたくて。
それを知ってか知らずか、伊緒はそっと俺の背中に指を当てる。
『すきです』
『ずっと』
『すきです』
「俺も、だよ」
伊緒は回答に満足したのか、再び飴玉の袋をごそごそと漁る。
そしてビニールでつつまれた、未開封のキャンディを一つ渡してきた。
『たべさせて』
俺はガリガリと口内に残った飴を粉砕し、恐る恐る新品を自分の口に含む。
恋は盲目にして、はちみつ漬けのレモンの味と言う。
でも俺たちにとっては、桃こそが恋の味そのものになった。
『だいすき』
今までで一番筆圧が強く、優しく、そして満足げな指の動きだった。
俺と伊緒はこれからもずっと文字を書き続けるだろう。
それはお互いの気持ちをつなげるためでもあるし、確かめるためでもある。
俺たちが綴るべき文字は、新しいノートを何冊も積み上げていくに違いない。
そう。
小手指さんは、俺の背中に文字を書く。
これからも、ずっと。
小手指さんは俺の背中に文字を書く おいげん @ewgen
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