第11話 ほんとのキモチ
根掘り葉掘りっていうのは先ほどの時間のことを指すに違いない。
「そうなの、伊緒ちゃんはノート君のお背中を借りてるのねぇ」
「はい……最近は結構すぐに解読できるようになってきまして。コミュニケーションが随分と捗るようになりました」
「……♪」
横に小手指さん。前には小手指ママさん。
状況で言うと包囲された形になる。
小手指澪さんは、柔和で羽毛のような軽やかな笑みを浮かべているが、質問が割ときつい。
「伊緒ちゃんとはもう、お手てつないだのかしら。それとも、もしかして」
「いえ、裾を掴まれているくらいです。特にご心配されるようなことは……」
「あらあら、ノート君も奥手さんだったのねぇ。伊緒ちゃんは強引に引っ張ってあげないと動かない子よー」
「ええと、その……俺からアクションを起こせと」
「うふふふ。そうねえ、どんなアクションを起こしちゃうのかしら」
絶妙に鸚鵡返しっぽいが、これは詰問に近い。
月読納人なる人物が、自分の愛娘にどれほど愛情を持っているか。そしてどんなことをしでかす予定なのかをチェックしているのだろう。
「……黒板代理でしょうか。あと購買で弁当を買うとか」
「伊緒ちゃん、そんなことまでさせてたのね。ふふふ、この子一度気に入ったらどこまでも離れないんだから。困ったわねえ」
ちっとも困ってなさそう。
にこにこ笑顔は、にやにやへと変貌しようとしている。
「そうそう、伊緒ちゃんから聞いたけれど、間接ちゅーまではしたんだってね」
「ぶはっ! え、あ、その……なあ小手指さん、なんでそんなことまで言うのさ」
「……」
『じ』『じ』『つ』
そうだけどさ。
流石にドカ盛りチャーハンは浪漫が無さすぎやしないかね。ニンニク風味のロマンスは、少々刺激が強すぎると思うんだ。
「そうだけど……さ。何もばらさなくても」
『ばつ』
小手指は俺の背中に大きく罰点を描き、何度もなぞる。
ふんすふんすと鼻息が荒くなってきており、心なしか興奮しているようにも感じられた。
『う』『わ』『き』
小手指は本当に中城を気にしているようだ。
お母さんいわく、執着心が強い子とのことだが……。
「ねえねえ、ノート君」
「はい、なんでしょうか」
澪さんが両手で頬杖をつき、今日一番のにんまり顔で俺を見る。
実際問題、姉妹と言われても余裕で納得できるくらいには若い。いや、若く見えるが正解か。
小手指家のDNAはきっと劣化遺伝子が仕事をしていないのだろう。
「伊緒ちゃんとお付き合い、しちゃう?」
「ぶふー-っ!」
俺は紅茶を盛大に吹いた。
まあ澪さんの視線に負けて、下を向いていたから、被害を受けたのは俺のジーンズだけだったのだが。
「ねね、しちゃう? しちゃうの?」
大きな目をぱちくりとさせ、キラッキラに輝いた光彩を俺に向ける。
わくわく、という言葉がピタリと当てはまる表情も、古今東西珍しいのではなかろうか。
「それはですね……その、ここで回答しないといけないのでしょうか。参ったな、急に振られても」
「案外当たって砕けろ精神で大丈夫だと思うわ。ふふふ、顔がゆで蛸みたいよ」
クソ、からかわれている。
大人の余裕なのか、それとも母親の強さなのか。
女性はどうしてこう、恋愛事情にストレートな要求を出してくるのだろう。
横を見れば、小手指がうずうず、くねくねとお尻を動かしている。
握った裾が一層強くなり、くいくいと頻繁に引っ張られるようになった。
『まる』
…………。
何が丸なのか。
一瞬、怪しげな団体が壺を買いませんかって迫っているような感覚になったが、流石にそれは俺の被害妄想だろう。
『す』
そこまで書いて、小手指は手のひらで何度も背中を撫でる。
黒板消しで丁寧に文字を拭きとっているのだ。どうやら先に続く言葉は、俺が書かなくてはいけないらしい。
「あー、その。小手指さん。ちょっと背中向けて」
こくこく。
素直だった。すっと俺に向けて、小さな背を見せる。
白いニット越しに、俺の指の感触を伝えよう。
初めて触れた小手指の身体は、本当に華奢で、壊れ物のように儚い。
俺の不愛想な動きで、彼女の繊細な想いが壊れてしまわないように。
そっと、そっと。
『き』『だ』『よ』
書いた。
俺が今感じている、素直な気持ちを指先に込めて。
書いた。
びくん、と小手指の身体が跳ねる。
そして小刻みに振動し、前後左右に大きく動き始めた。
「どう……かな。俺で」
「…………」
めうめう、と羊の鳴き声のような音が聞こえた。
小手指がしゃくりあげている。それは後ろ姿で分かったのだが、果たして肝心の返事はどうなんだろうか。
不安過ぎて、俺まで涙が出そうになってしまう。
くるんと小手指が身体をこちらに向けた。
大きな瞳からは滝のように液体が零れ落ちている。
そっと俺に向かって指を伸ばす小手指。
返歌が来るものと思い、俺は後ろを向いて黒板モードになろうとした矢先だった。
「すき」
時間が止まった。
この場で動いているものは、高鳴る心臓と熱い血流だけ。
無機物はカウントしても仕方がないし、そんな余裕もない。
「俺も……好きです」
言ったぞ。
俺は逃げずに言ったぞ。
「俺とつき合ってください。小手指――伊緒さん」
あああ、照れくさい照れくさい!
畜生、なんでこんなに顔が熱いんだ。
小手指も顔を紅色に染め、桜色の唇を潤ませている。
返事は……と背中を向ける。
『だ』『い』『す』
「嬉しいよ。最後は『き』で合ってるかな」
『け』
どこから出てきたダイスケ。
どこまでいっても一捻りしたがる子だ。先読みを嫌うのも、出会ったときと変わっていない。
何かが変わったとすれば、きっと二人の関係性が大きく前進したのだろう。
裾を握る手はいつの間にか、俺の手をしっかりと包んでいた。
見つめ合う視線と、交差する光。
「お母さんの目の前で、大胆ねえ。今日はお祝いにお寿司でもとろうかしら」
小手指澪さんのいたずらな横顔が、そっと過ぎ去っていった。
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