第10話 ままさしさん

 チャイムを押す手が震える。

 小手指さんのお家は、白い外装と黒い屋根と言う、なんの特筆するべきことのない建築物であると思われる。

 玄関横に二体の埴輪が置かれているのだが、どう解釈するべきだろうか。


 古代の墳墓の上に建築されている、ミステリーハウスではないかと一瞬警戒するのだが、それは流石に穿ちすぎに過ぎるだろう。


「よし、行くか」

 呼び鈴の音が木霊する。何の変哲もない電子音だが、妙に緊張してしまうのはなぜだろうか。

 きっと俺が女の子の家に遊びに行くのが、初めてであることに起因してるのだろう。そもそも人付き合いが良くないので、リッキーの家に行くときも気おくれしてしまうのだが。


 ギイイイイ、とドアが徐々に開いていく。

 正直に言おう。怖い。

 いつの間に俺はホラゲーの主人公になったのかと、錯覚させる程度には迫力がある。


「小手指……さん?」


 インターホンからは特に何の声も聞こえてこなかったのだが、玄関が開いたってことは入ってもいいということだろうか。

 俺は恐る恐る歩を進め、そっとご自宅の中を覗き込む。


「こ、こんにちは。小手指さん、いますか?」


 しぃんと静まり返っている。

 え、どういうことだ。なんで誰も居ないの。

 ていうか玄関開けたの誰? 無反応過ぎて心拍数が爆上がりしてるんだけど。


「ごめんくだ……さい。月読ですけれども」


 しぃん。


 これは……何かのドッキリなんだろうか。

 流石に玄関先で喋り続けるのは不審者に過ぎるので、意を決して俺はドアの先へと入り込む。

 バタン、とわざと音を立て、到来を示したのだが誰も出てこない。

 俺が空き巣だったら、これほど美味しい物件はないだろうなとか、不埒なことを考えてしまいそうなほどだ。


「小手指さーん。月読で――」

 

 バゴンッ!

 少し大きめの声を発した瞬間、玄関先の天井がパカっと開き、人が逆さまに飛び出てきた。


「うおおああああああっ!? な、なんだっ?」

 天袋に足をかけ、人がぶら下がっている。

 俺は思わず尻餅をつき、背中が玄関扉に当たる程度には後ずさるしかなかった。


「な……ちょ……え、小手指、さん? 何やってんのさ」

『Welcome』

 

 ハート型に切り抜かれたボードを持ち、逆さまにぶら下がっている小手指さんがいる。ほんとにマジでなにやってんだ、この子は。


「ちょっとパンチが効きすぎだよ。俺腰が抜けるかと思った」

『ぶい』

 いつもの無表情なのだが、逆さまに見るとまたこれが可愛い。

 気軽にピースサインを示しているのは、サプライズ大成功というご満悦の意志だろうか。


 しゅたっと音もなく廊下に着地する。

 小手指は薄手のホワイトニットに、ジーンズスカートというカジュアルないでたちだ。猫の顔が描かれた靴下が妙に目立つ。

 そしてパステルグリーンのパンツも見えたのだが、それは言及しないでおこう。


「まんまとやられたよ。ええと、改めてこんにちは、小手指さん」

 ススス、と彼女は俺の背中にまわり、いつものように指を走らせる。


『い』『ぇ』『い』

 

 割とフランクだった。

 こっちは口から心臓が飛び出そうだったってのに。

 まあ、彼女なりにお茶目なお出迎えをしてくれたと考えれば、きっとそれは大成功に違いない。


「とりあえず上がってもいいかな。これ、ケーキ買ってきたんだけど」

『け』『ぇ』『き』『💛』


 小手指は新しい技である、両手書きを繰り出した。

 背中に数えきれないほどのハートがかかれ、うきうき気分が満載であることがよく伝わってくる。


 靴を脱ぎ、スリッパをはいて廊下を進む。

 通された先はリビングルームだったのだが、予想通りの人物がソファにかけてにこにこしていた。


「あらあら、まあまあ。いらっしゃいませ」

 ゆっくりと立ち上がった人物は、恐らく姉……いや、お母さんだろう。

 小手指と同じくらいの小さな背丈に、高校生と言っても通じるような童顔。

 あえて違う点を指摘すれば、ショートボブの髪型と、大きな胸か。


「は、初めまして。月読納人といいます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「うふふ、初めまして。イオちゃんの母で、小手指澪と言います。よろしくおねがいしますね」


 人を安心させる笑顔が存在するのであれば、小手指のお母さんがそれに該当するだろう。ほんわかした雰囲気で、柔和な顔つきは母娘ながら対照的だ。

 部屋に漂う香ばしい匂いは、恐らくテーブルのクッキーからだろう。

 もしかしたら、今日のために焼いてくれたのかもしれない。


「何もお構いできませんが、どうぞゆっくりしていってくださいね」

「ありがとうございます」


 ガラステーブルの前に置かれたオレンジ色のスツールに腰かける。

 ご丁寧に二つ並んでおり、もう一方には小手指が腰かけた。


 ぎゅ。


 ちょっと待って。

 お母さんの目の前で、裾掴むのはずるいよ。

 そして俺たちの様子を見て、口元に手を当ててほころぶお母さま。

 ちょっとした極限状態なのだが、誰か俺の心境を分かってくれる人はいるのだろうか。


「それじゃあ始めましょうか」

「え……と、何を……ですか」


 笑顔のまま、小手指澪さんは宣言する。

「お母さん面接、スタートですよー」

 

 危うくテーブルに置かれた紅茶をこぼしそうになった。

 え、何言ってるのこの人。これ面接会場だったの?

 全くもって寝耳に水な展開に、ちょっと脳がついていけてない。


「それじゃーねぇ、ノート君はイオちゃんのどこが好きなのかなー?」

 ぶっ、と口から変な声が漏れた。

 急いで小手指の方を向き、君は何を母親に吹き込んだんだと問い詰めようとしたが、顔をそらされた。


「…………♪」

 吹けてない口笛を奏でつつ、小手指はそっぽを向いてとぼけている。

 それでも俺の裾を掴む手は離れないままだ。


「ね、お母さんに教えて。イオちゃんの好きなところ」

「そ、それは……ですね……」


 既成事実。

 不穏な四字熟語が俺の脳裏に浮かんでくる。

 なし崩し的にカップル扱いされ、挙句母親公認になりそうな勢いだ。

 

「その、言いにくいのですが……」

『はーと』


 ……小手指の圧がすごい。

 でも……そうか。

 俺は小手指のことをどう思ってるんだろうか。

 クラスメイト、友達、不思議な縁。表現方法は様々だけれども、学校で一番長く一緒にいる存在になっている。


 もしかしたら、だけど。

 俺は自分の胸のうちに灯っている熾火に気づき始めた。


 きっと、これは、そうに違いない。

 紅潮しているであろう顔を手で撫で、俺は言葉紡ぐ。


「守りたいと、想っています。きっと俺は、小手指さんがいないと楽しくないんじゃないかなって」


 澪さんは、今までで一番の笑顔を見せてくれた。

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