K池

だっちゃん

K池

私の故郷に、K池という池沼がある。

池には金属製の遊歩道が敷設されており、池の上を散策することもできる。周囲の木々が鬱蒼と陽の光を覆い隠し、昼間でも薄暗く、空気が淀んでいる。

そして遊歩道のある場所で一歩外れた藪の中に分け入ると、そこにはかつて使われていたと思しき山道が隠されている。山道を数十メートルほど進んだ突き当りには、風雨に晒されて壊れかけた小さい祠がある。祠には木製の格子扉がついており、中を覗き込むと、何やら赤い文字の書かれた木札が貼られている。

その謎めいた不気味さは、地元の田舎少年たちの好奇心を駆り立てた。これはきっと、女の祟りを恐れて建立されたに相違ないのだ、と。

かつてこの地に、働き者の女がいた。

ある日、女は意地悪な姑から、「日暮れまでに一帯の田植えを済ませてしまいなさい。」と命じられた。

女は必死に田植えをした。もしできていなければ、姑からどんな目に遭わされるかわかったものではない。

しかし当然、夕刻に差し掛かっても田植えは終わらなかった。女は、思わず祈った。

「ああせめて、もう少し時間があれば田植えが終わるのに。」

するとみるみる内に陽が昼の位置に戻った。女は奇跡に感謝しつつ、これ幸いと何とか田植えをやり遂げることができた。

と、その途端、陽は急に傾き始め、田んぼからは大量の水が沸き上がって来た。その勢いは凄まじく、女は水の中に引きずり込まれ、一帯は池沼と化した。

以来、その田んぼは女の名前を拝借しK池と呼ばれるようになった。

働き者の健気な嫁が、姑にいびられた上に怪異に遭うという理不尽極まる話であるが、地元では親しまれた伝承である。


ある夜、好奇心を抑えきれなくなった私は、家を抜け出しK池の山道に懐中電灯片手に肝試しに出かけた。

闇夜に恐れをなしつつも何とか祠に辿り着くと、違和感に気付いた。懐中電灯で照らすと、祠の格子扉が開け放たれており、真っ赤な文字の書かれた木札が露わになっていたのである。

直感した。いつもそこに閉じ込められている「何か」が今、ここにいる。一目散にその場を逃げ出し、そこからのことは余り覚えていない。

大人になり先日帰郷した際、ふと思い立ちK池に赴いた。

けれど山道にあったはずの祠は、なくなっていた。

あの祠は一体何を鎮めていて、そしてどうしてあの夜、祠の扉は開いていたのだろう。

ふと、誰かに見られているような気配を感じ、元来た道を引き返した。

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K池 だっちゃん @datchang

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