第18話 遊郭「童子切屋」

 五日後、浅右衛門は上野寛永寺の清水堂で阿茶の局と対していた。

 不忍の池から涼風が吹き上げてくる。

 陰鬱な声音で浅右衛門が口を開いた。

「秀康どのの儀、すべて漏れていたようで……」

「うむ、伊賀者より不首尾の件、聞いておる」

 阿茶の局はひと口、茶を喫した。その視線の向こうに「月の松」がある。

「しかしながら、どこから漏れたのでござろうか」

「それがのう。獅子身中の虫とやらがおったのよ」

「ほう」

「ただし、その虫は柳生の手の者よりすでに踏みつぶした。近日、病死として届け出があろう」

「………」


 ややあって、阿茶の局が片頬笑む。

「結句、童子切安綱もそなたの手にはいらなんだか」

「はっ」

「ふふっ、それは残念であったのう」

「………」

「ときに浅右衛門。そなた吉原の花魁とねんごろとか」

「そのようなことまでお耳に……」

 浅右衛門は絶句して阿茶の局の次の言葉を待った。


「余計なことじゃが、その玉菊とかいう女、すでに女郎屋から落籍し、わらわの養女としておる」

「………!」

「ふふっ、驚いたか。もはや玉菊はわらわの娘。となれば、そなたの元にいつでも輿入れできるということじゃ」

 浅右衛門が唇をゆがめた。

「参りましたな」

「童子切安綱の代わりに与えようと思うてな。もしや迷惑であったか」

「いえ」


 阿茶の局が大きくうなずき、手をたたいた。

 直後、部屋を仕切る襖が静かに開き、三つ指をつくろうたけた女の姿があった。

 玉菊であった。

「ふふっ、わらわの養女、お菊と申す。本日よりそなたのものじゃ。煮るなり、焼くなり、好きにいたせ。浅右衛門、大儀であった」

 

 ひと月後、浅右衛門は御試御用の役儀を一番弟子の戸波甚太郎に引き継がせ、二代目山田浅右衛門を襲名させた。

 以後、初代浅右衛門と玉菊ことお菊の消息は人知れずとなった。

 ただ、吉原に「童子切屋」という新しい遊郭が誕生し、そこに働く若衆頭や手下三人は片耳がなかったという。


 ――完

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首切り山田浅右衛門の憂鬱 海石榴 @umi-zakuro7132

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