第17話 紅蓮地獄

 丑三つ時。

 漆黒の闇の中で、突如、火の手が上がった。

 まず平塚宿の本陣が燃え、つづいて脇本陣に燃え移った。昨日から吹きやまぬ強風に煽られて、またたくまに紅蓮の炎となる。

「火事じゃああーっ」

 猛火の本陣から叫び声が上がった。


 山田浅右衛門が無表情に命じる。

「行けっ」

 その直後、弟子たちが頭から桶の水をかぶって、抜刀するや、本陣に突入した。

 つづいて、破落戸ども五十余名も水をかぶって、長ドスをきらめかせて異口同音に喚く。

「千両箱じゃ。千両箱を奪えっ」


 炎上する本陣、脇本陣の屋敷周りで、断末魔の叫びがつづいた。

 羽柴秀康の供侍百五十余名との壮絶な斬り合いがはじまったのだ。

 討つ者も、討たれる者も、灼熱地獄の中で、髪を焼き焦がしながら、凄まじい形相で命のやり取りをした。

 だが、寝込みを襲われたほうが圧倒的に分が悪い。しかも、浅右衛門の弟子たちは鎖帷子を着込んでいるのだ。


「そろそろじゃな」

 浅右衛門は本陣の裏にまわった。

 待つこと、しばし――。

 案の定、白い練り絹の寝衣をまとった人物が、三名の側近に守られて裏口から出てきた。


 浅右衛門が低い声音を出す。

「秀康どのと見た」

 その声を聞くや、

「狼藉者めっ!」

 と、側近たちは抜刀し、そのうちの一人が浅右衛門に斬りかかってきたが、刃はむなしく空を切った。

 さらに、もう一人が、

「うおおおーっ」

 と、太刀を振りかざし、大上段に斬りつけてきたたが、これも空を切るのみ。


「再度訊く。秀康どのなるか」

 返答はない。三人の側近はさらに間合いを詰め、瞬後、そのうちの二人が左右に分かれ、挟み撃ちの形をとった。同士討ち覚悟で必殺の刃を繰り出すつもりなのだ。

 浅右衛門が無言で抜刀した。

 次の瞬間、三人は血飛沫を上げて地に斃れ伏した。

 血刀を携えたまま、浅右衛門は茫然とたたずむ白い寝衣姿の男に向き直った。


「訊くのはこれが最後じゃ。秀康どのか」

 相変わらず抑揚のない声である。

 男からの返事はない。

 浅右衛門は無言の男に詰め寄った。

「童子切安綱はどうした?」

 これを聞き、男ははじめて口を開いた。

「そうか。徳川の犬か。ふふっ。残念であったな。秀康どのは、中山道を通り、明朝にも江戸城に入られよう」


 男は秀康の替え玉であったのだ。

 浅右衛門が唇を歪めた瞬間、男の首は血のみおを曳いて、胴から離れた。

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