青行燈の招く夜

日乃本 出(ひのもと いずる)

青行燈の招く夜

 きっかけは、いつもの口喧嘩であった――。


 世に怪事は存在するのだと超常現象研究会の会長がいえば、そんなモノなどあるものかと科学部の部長が否定する。

 この学校では、それはごく当たり前の風景であった。

 ただ、今回はお互いに熱が入りすぎ、どうにも引込みがつかなくなってしまったのである。

 だからといって、お互いの主張がお互いに通じるわけでもないし、お互いの主張を証明できる、確固たる前例や実例があるわけでもない。

 そこで、会長が部長に提案をした。


「百物語をやってみないか?」


 百物語とは、古来より人々に慣れ親しまれ、そして現在でも脈々と続いている、怪談語りの作法である。

 そして、この百物語をやり終えた時、本当の怪事がその場に起こる……そう、言い伝えられているのだ。


 今はちょうど、夏休みも半ばに差し掛かった頃。

 怪事など存在しないと、頭から考えている部長以下、科学部部員達はちょうどいい暇つぶし――肝試しの良い趣向だと、会長の提案を受け入れたのだった。

 日程を決め、科学部が合宿という名目で学校側に部室の使用許可を取り、超常現象研究会は百物語を行うための様々な準備を整えていった。


 そして……百物語を執り行う日がやってきた。


 まずは超常現象研究会が百物語の作法にのっとって、部室に用意してきたものを設置し始めた。

 最初に、ブルーシートで部室全体を覆い尽くす。

 次に、百個の青い紙を貼り付けた行灯あんどんを、等間隔に並べていく。

 最後に、刃物等の危険な物を部室の外に運び出せば、百物語の特設会場の出来上がりというわけだ。


 準備が終わった頃には、夜のとばりが下り始め、ちょうどいい塩梅あんばいになりつつあった。

 それじゃあ始めるかと、各々が行灯へと火を点しはじめた。

 全てに火が灯ったのを確認した会長が、部室の電気を消す。すると、部室内はちょっと異様な雰囲気に包まれたのである。

 ありとあらゆるモノは淡い青色によって染め上げられ、人の顔に至っては、まるで亡者のような青白さを浮かび上がらせていたのだ。

 さすがの科学部の面々も、この雰囲気には少し戸惑いを覚えた。まあ、超常現象研究会の面々も同じような反応を示したのだが、そこはやはり自分たちの領分である。


「雰囲気出てるねぇ」

「あれ、もしかしてビビっちゃってる?」


 などの強がりと軽口を叩きながら場を仕切り始めたのだった。


「じゃあ、まずは俺からだ」


 会長が物語を語り始めた。ちなみにこの百物語、語る話は必ずしも怪談話でなくてもよいのだ。

 さすがに滑稽な話などは論外だが、要は不思議な話ならなんでもよかったりするのである。

 極端な例を挙げれば、昨日UFOを見た!! などでも構わない。

 なんだか作法が厳しいのかゆるいのかよくわからないかもしれないが、まあこうでもなければ一夜で百の物語を語る百物語など、中々成立するようなものではないだろう。

 百の物語を用意する、というだけでも難儀なものなのに、それを全て一つのジャンルで統一しろなどとは、何をか言わんやである。


「――これで一つ目の話は終わりだ」


 語り終えた会長が、淡い青色を放つ行灯を手に取り、ふうっ、と吹き消した。

 このようにして、物語を一つ語り終えるごとに行灯の灯を消していくというのが、この百物語の最も肝要なところである。

 行灯を消していくことによって、次第に室内が暗くなっていき、最後の一つを消し終え室内が真っ暗な闇に閉ざされた時――その時こそ、本当の怪異が起こるのだと、言い伝えられているのだ。

 部室に集まった面々もこれに習い、物語を一つ終えるごとに行灯の灯を消していった。


 一つ――。


 また一つ――。


 行灯の灯が消えていく――。


 部室に満ちていた、青白いような淡い光が――。


 少しずつ……少しずつ……弱くなっていく――。


 最初はそのことを意識していなかった面々だが、五十の物語を語り終えたくらいから、灯りについて意識が向き始めた。

 百の灯りがあった時に比べ、周囲が目に見えて薄暗くなってきたのだ。


 ――六十を数える頃には、暗闇の侵食をはっきりと感じ。


 ――七十を数える頃には、二つ隣の人の姿が薄れ始め。


 ――八十を数える頃には、隣に坐る人の顔さえ薄れゆき。


 ――九十を数える頃には、残された小さな灯にすがるような、そんな心持ちに皆なりつつあった。


「僕の話はこれで終わりです」


 そして今、九十五話目の物語が語り終わり、九十五個目の行灯の灯が消されようとしていた。

 ここまでくると、隣に坐っているはずの人の気配さえも感じなくなってきた。

 それほどまでに闇が光を侵食していた。

 そしてもう少しで部室は真なる闇へと変貌しつつあるのだ。

 語り終えた生徒が行灯に手をかけ、吹き消すために顔へと行灯を近づけた。

 暗闇の中に、青白く陰鬱いんうつな表情をした顔が淡く浮かび上がる。

 その儚げで、どこかこの世のものではないような光景に、一同は思わず息を呑んだ。


「ははっ。さっきのお前の話より、今のお前の顔のほうが怖いよ。まるで――幽霊みたいだ」


 会長が場を少しでも和ませようと軽口を叩いてみせたが、その場の雰囲気が変わることはなかった。

 それほどまでにここにいる面々は、この百物語というものが演出する空気に飲み込まれていたのである。


「えっと……それじゃあ、次は私が――」


 少しの沈黙の後、九十六番目の物語が語り始められた。

 もう、語っている人間の姿でさえ、定かではなくなってきた。

 語っている言葉のみが人の存在を証明しているかのようだった。

 だが、その言葉こそが闇を侵食させていく、いわば呪詛のようなものなのだ。


「これで――私の話は終わりです」


 物語を語り終え、行灯に手をかけ吹き消す。

 また一歩、闇の侵食が進む。

 次は九十七番目だ。順番で行けば、語り手は部長である。

 だが、中々次の話を始めることが出来ないようだった。会長が苛立たしげにせかす。


「おい、はやくしろよ」

「う、うるせ――」


 部長の言葉をかき消すように、部室に悲鳴が鳴り響いた。

 突然、部室の引き戸が音をたて、勢い良く開かれたからである。


「だっ、だれだっ!!」


 会長が灯の点いた行灯を手に取り、音のした方向を照らした。

 しかし、行灯の灯りは頼りなく、引き戸のところまでは照らすことが出来なかった。


 足音が部室に響き渡る――。


 コツン――コツン――。


 そして足音が行灯に近くなり、足音の主が淡く浮かび上がってくると、一同に安堵の声が漏れ始めたのだった。


「あら、驚かせてしまったかしら」


 そこには同じ学校の制服を着た女生徒が立っていたのである。

 だが時刻は午前二時を少し過ぎたところだ。こんな時間のこんな場所に現れるものとして、似つかわしいとはいえるものではないだろう。


「こんな時間に、君はどうして学校なんかにいるのかな?」


 部長が口説くようなキザったらしい口調で女生徒に問いかけた。

 しかし、それも当然といえる程の妖艶ようえんさを女生徒は醸しだしていたのである。


 腰まで届く長い髪に、切れ長の目とそれを引き立たせるような形の良い唇。

 身長も女性としては高めで、制服の中に無理やり押し込んだかのような、ツンとした自己主張の強いバスト。

 ミニ丈のスカートから覗くつややかな足――トップモデルも顔負けといわんばかりのスタイルだ。


「私ね、この催しに参加しようか迷ってたの。でも、結局何も起こらなかったら、単なる時間の無駄になるでしょう? だから考えなおして家で寝てたのだけど、どうしても気になってしまったの。それで家を抜けだしてここに来ちゃった、というわけよ」


 そういって、女生徒は残りの行灯が置かれている前へ行き、行灯を一つ手に取り机の上に置いた。

 そして女生徒もその横へと腰掛け、わざとらしく大きく足を組む動作をした。

 男子生徒達は食い入るようにそれを見つめ、女子生徒たちは嫉妬の念を込めてそれを見つめた。

 それに気づいているのかいないのか、女生徒は「フフッ」と艶やかな笑みを浮かべていった。


「続き、やらないの?」


 その言葉で我に返った部長は大きく咳払いをし、次の物語を語り始めた。


「これで九十七話目も終わりだな」


 少し強がった格好の体で、部長が行灯を手に取り、灯を吹き消した。

 そして九十八話、九十九話とつつがなく話は進み、残る行灯は先程の女生徒の横にあるのを残すだけとなった。

 部室にいる面々に見えているのは、たった一つだけの弱々しい青い灯を放っている行灯と、その青い灯に淡く浮かび上がる女生徒の姿だけである。


「それじゃあ――最後は私が話すことにしましょうか」


 そうして、女生徒は語り始めた――。


 女生徒が語ったのは、百物語の最後に起こるとされている怪事のことであった。


 その怪事の名は――『青行燈あおあんどん


 百話目が近づくか、百話目が終わる頃合いにやってくる、鬼のような姿をした化け物だという。

 そしてその青行燈は百話目が終わり、百個目の灯が消えたその瞬間によからぬことを起こすのだと――。

 女生徒は実に真に迫った語りぐさで、大いに周囲の不安と恐怖を煽るように語った。


「ま、まあ現代のようなデジタル社会で起こりうるような話ではないね」


 部長の言葉に会長も続く。


「俺としては起こって欲しいところだけど、だからといって怪事で被害を被りたくはないしなぁ」


 二人の言葉に、少しだが笑い声があがった。

 いや、無理にでも笑って恐怖を紛らわせたという方が正しいだろう。

 女生徒もつられるように「フフッ」と笑い、横においてあった行灯に手をかけた。

 顔に近づけると、整った顔立ちが闇の中に浮かぶ。


「これで――私の話は終わりよ」


 女生徒の唇がキスをせがむかのように盛り上がり、ふぅっ、と行灯の灯に向かって息を吹きかけた。


 辺りは完全なる闇に包まれた。

 先ほどまでの笑い声は露と消え――。

 一同は何が起こるのかと、緊張した面持ちで身構えていた――。

 だが、いくら待っても怪事が起こるような気配はなかった。

 どうしようかという空気を部長の大きな笑い声が打ち破る。


「ほぉら見ろ、やっぱり何も起きやしないじゃないか! 百物語なんてのは、昔の人間が考えだしたただの肝試しにしかすぎないんだよ!」


 部長のこの言葉に部員達も高らかに笑い声をあげだした。

 だが、会長と会員達はどうにも面白くない。だからといって反論ができるわけでもないので、ただ黙ってイラ立ちを抑えこんでいた。

 女生徒の声が響きだしたのは、ちょうどそんな時である。


「あ~あ。結局、ただの時間の無駄にしかならなかったみたいね。大体、この世に怪事なんてあるワケないわよねぇ。まあ、そういうことを信じているのは時代遅れの石頭か、大人になりきれないお子様だけなのかもしれないわねぇ」


 それは会長達の神経を逆なでするのに十分すぎる程の言葉だった。

 トドメと言わんばかりに、女生徒のあざけるような高笑いが部室にこだまする。


「てめぇ――言わせておけば!!」


 ついに会長の堪忍袋の緒が切れた。

 会長が笑い声をあげる女生徒の方向へと掴みかかる。


「いてっ!! 何するんだよこのっ!!」


 だが声のする方向にいたのは部長だった。

 掴みかかられた部長は、思わず会長と思しき相手へ向かって拳を振り上げた。

 拳に重い衝撃が走る。次いで部室内にいくつもの机が転げる騒々しい音が鳴り響いた。

 何事かとあわてた部員の一人が部室の電灯のスイッチを入れると――。

 会長が、ブルーシートの上に横たわっていた。


 そして会長の頭部分のブルーシートは、本来の青色から赤黒い液体によって赤く染め上げられていたのである。


 部室内に再度悲鳴が響き渡った。

 ただ、今度の悲鳴は怪事などという不確かなものに向けられたものではない。

 殺人という、現実において最も畏怖すべき事象に向けられたものだったのだ。


 部室内にいた面々は十人十色の悲鳴をあげながら、部室から出て行った。

 残ったのは会長の死体と、遅れてきた女生徒だけである。

 女生徒が机から下り、会長の死体へと近づく。蔑むような笑みを携えて。


「人の子というのは、いつ見ても飽きないものね。愚かで、傲慢で、醜くて――」


 そういって鼻を鳴らすと、会長の死体の足元から頭の先まで、優しく手で撫であげた。

 すると、会長の死体から体が薄く透けた、もう一人の会長が出てきたのである。


「あれ……俺……?」


「どうかしら。憎みあうほどまでに恋い焦がれた怪事になれた気持ちは?」


 クスクスと笑いながら、女生徒が会長へと問いかけた。

 会長はどういうことか理解できない、といった反応を示した。


「足元を見てごらんなさい」


 女生徒に促され、会長は足元に目線を移し――そして戦慄した。


 自分が倒れている。それも、あんなに血を流して――。


 状況が受け入れられず、ただ震えているばかりの会長を見て、笑い声を一層大きくした。

 その笑い声は会長の心胆を寒からしめるほどの冷たい嘲笑であった。


「あ、あんた……一体――」


 会長が震え声で女生徒に問いかけた。

 女生徒は長い髪を手で流し、会長の目を覗きこむように、体を前傾させた。


「私は青行燈。さっき自己紹介をしたはずでしょう? まあ、アナタ達には単なる作り話にしか聞こえていなかったでしょうけど――」


 そういって、青行燈は今にも泣き出しそうな表情をした会長の頬をなでた。その手は青白い淡い光を発している。


「フフッ……それじゃあね」


 去ろうとする青行燈を会長が慌てて呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺は一体――どうなるんだよっ!!」

「アナタはずっと、ここに居続けるのよ。そう、ずっと――永遠にね」

「そんな……そんなことって!!」

「イヤならイヤでいいのよ? それなら私がアナタを導いてあげる。それが私――青行燈の役目なのだから」


 青行燈が右手で空中を真一文字に薙いだ。

 空間が裂け、その裂けた空間からおぞましい叫び声と狂ったような笑い声が響きだした。

 恐る恐る、会長が空間の裂け目を覗きこむと、そこには信じがたい光景が広がっていた。


 全裸のやせ細った、骨と皮だけのような姿の醜い人間達――。


 怒声や咆哮。そしてゲラゲラと笑い声をあげながら、その人間達をいたぶる鬼達――。


 背景には巨大な針の山と、真紅に染まった血の池があった――。


「さあ、選びなさい。未来永劫、地獄の鬼の責め苦を受け続けるか、それとも未来永劫ここに留まる地縛霊になるか――」


 呆然としている会長の背中を優しく撫でながら、青行燈は答えを促した。


 会長は――留まることを選んだ。


 ちょうどその時、部室に様々な人々がなだれ込んできた。

 だが青行燈ともう一人の会長に気づく素振りは誰にもない。


「一人でいることが辛くなったら、私の姿を心に念じなさい。ただしその時は、私から地獄へと導かれてしまうということを忘れちゃダメよ」


 フフッと鼻を鳴らし、青行燈はいった。そして部屋から出ていこうと会長に背を向けた。


「ああ、そうだ――」


 青行燈が立ち止まり、会長のほうへ振り返った。


「百物語の最後に起こる怪事っていうのはね――人間達のいさかいのことなのよ。そしてそのいさかいでは、必ず人が死ぬ。それを導いてあげるために私が現れるワケね。だから私が来ることは怪事でもなんでもない、いわば自然の摂理みたいなものよ。そしてこの自然の摂理から考えれば、殺人こそ自然界における最大の怪事なのよ。だって、そうでしょう? 生き物が縄張り争いや生存競争以外の理由で殺しあうなんて――とても理解できるものではないわ」


 青行燈はクスッと笑みをこぼした。


「それじゃあ――さよなら――」


 そう言い残し、青行燈は姿を消したのだった。

 一人残された会長は、自分の死体に群がる人々に必死に訴えた。


 俺はここにいる――助けてくれ――!!


 しかし誰一人として、会長の言葉に耳を傾けるものはいなかった。


 やがて会長の死体が部室から運びだされ――部室は会長――否、会長の姿をした怪事を残すだけとなったのだった。

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