マッスルフィナーレを飾る花束
月井 忠
第1話
俺はズボンの右ポケットに手を突っ込んで、硬い感触を確認する。
問題はない。
ドアを開け、日本武道館の中に入った。
真っ暗な中、ステージの上だけは明るい。
今まさに授賞式が行われようとしている。
耳障りな歓声に釣られて見回すと、アリーナや二階、三階のスタンド席は超満員だった。
今年のカクヨムコンテストの大賞は賞金5000万円。
副賞としてプロテイン50年分が贈呈される予定だ。
他にも特別賞、映画・映像化賞、VR賞、メタバース賞、頑張ったで賞、シオコショウと様々な賞が用意されている。
俺はそのどれにも引っかからなかった。
すでに各賞の受賞者がステージに上がって観客に手を振っている。
彼らはそれぞれ花束を渡され、これからの未来を夢見ていることだろう。
受賞者がいるということは、受賞できなかった者もいる。
俺は今回をラストチャンスと考えていた。
失意のまま去る者には、花束すら用意されない。
だが、俺だけには花束が用意されていた。
ステージの上では呑気に手を振っている受賞者たち。
俺は彼らの中に突っ込んでいって、全員を道連れにする。
門出を祝う花束は、奴らと俺のフィナーレを飾る花束となる。
くくっと喉の奥で笑いをこらえながら、ステージに向かって歩みを進める。
大賞受賞者の男がマイクを持った。
その時、ステージに駆け上がる男がいた。
男は内ポケットに手を突っ込み、取り出す。
手にはきらりと光るものが握られていた。
ナイフだ。
遠くからでも視認できる刃先の長さ。
それを受賞者に向け、突進する。
「フン!!」
ホールに鼻息が響いた。
ナイフを持った男は受賞者に抱きつくような格好で、すぐ横にいる。
受賞者はピクリとも動かない。
男が突進したのに、その場にとどまっていた。
「ハッ!!」
瞬間、受賞者の服が弾け飛んだ。
現れたのは小麦色の肌と、レモン・イエローのブーメランパンツ。
そして筋肉だった。
遠目でもわかるほどのくっきりとした筋肉が、ナイフを粉砕した。
襲撃犯は筋肉に弾き飛ばされるようにして、尻もちをつく。
「確保だ!」
受賞者の男はマイクを手にして叫ぶ。
直後、周囲で服が弾け飛ぶ音がした。
俺は驚きながらも見回す。
アリーナ席のところどころでマッチョマンとマッチョウーマンが出現した。
いや、彼らは本来の筋肉を解き放っただけだった。
しかし、中には俺と同じような普通の人間もいる。
彼らの目は驚きの色で支配されているが、俺にはわかった。
彼らも、俺と同じ負の影を背負っていた。
彼らも、俺と同じように授賞者を襲うつもりだったのだ。
俺たちは、あの筋肉に弾き飛ばされた襲撃者と同じだ。
仲間は次々に隣のマッチョマンやマッチョウーマンに捕まっていく。
「ばっきゃろー! 俺は★が3つしかないんだ!」
「私なんて、レビュー0よ!」
「PVなんて! PVなんてー!」
仲間は断末魔の叫びを上げながら抑え込まれ、地面に這いつくばる。
上にはブーメランパンツのマッチョマンか、ビキニ姿のマッチョウーマンが乗っている。
「HAHAHA!」
「ナイスバルク!」
「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」
様々な掛け声の元、制圧されていく。
「君も襲撃するつもりだったかな? HAHA~!」
背後から声をかけられる。
即座に振り向く。
そこにはルビーレッドのブーメランパンツを履いたマッチョマンがいた。
警戒して半歩下がる。
「毎年君たちのような輩が授賞式を狙ってくる。筋肉を知らないということは不幸だねえ。HAHA~!」
マッチョマンは両腕を横に伸ばし、腕の筋肉を見せつけながらこちらに歩いてくる。
「近づくな!」
俺はジャケットのボタンを外し、腹に巻いた物を見せつけ、ズボンのポケットに入っていたボタンをかざす。
「HAHA~! ダイナマイトかね? HAHA~!」
マッチョマンはその場で止まると、両腕をまっすぐ上げて天を仰ぐ。
「そんなものでは、筋トレ後のアクティブリカバリーにもならないYO!!」
何を言っているのかわからない。
しかし、自分には効かないと言っているようだ。
脳まで筋肉に侵されているのか。
言葉で説明しても通用しないのかもしれない。
「では、少し話をしようじゃないか……フン!」
マッチョマンは右肩を俺に向けてポーズを取った。
盛り上がった筋肉にライトが反射し、光り輝く。
「君はどうして、受賞者を襲撃したいと思ったのかな? ……ハッ!」
前かがみになって正面で左右の拳を合わせる。
肩が盛り上がり、腕全体が隆起する。
「襲撃の理由だと? そ、それは……」
俺は筋肉に圧倒され、気圧される。
「君! 他人の筋肉ばかり見ていないか?」
ハッとした。
俺は他の作者の★の数ばかりを気にしていた。
アイツとアイツはこんなに★がついている。
一体どんなからくりがあるのか。
そんなことばかり考えていた。
「他人の筋肉と自分の筋肉を比べていたのだろう? デァ!」
両腕で力こぶを作るように腕を曲げ、俺の正面に立つ。
マッチョマンの言う通りだった。
★が多い奴のPVを見て凹み、自分の★やPVを見て更に凹む。
そうしているうちに、俺はアップする気力を失っていった。
「その間、君は筋トレをしていたのかな? トゥア!」
背中を見せると、バツンという音とともに筋肉が弾ける。
そうか、俺は無意味なことをしていたのか。
目に見えることばかりに囚われ、悲観していただけだった。
★を望むだけで、★が得られるわけじゃない。
★の数は結果であって、俺の行動が直接★を増やすわけじゃない。
俺は★を得るための努力をどれだけしたのか。
作品の質を上げるために何をしたのか。
「君はいつも同じ重量で筋トレをしていたんじゃないか?」
「え?」
「先週は20キロのダンベルで筋トレをしたのなら、今週は21キロに挑む。それが筋トレだ」
言葉が出なかった。
「21キロが無理なら20.5キロでもいい。少しでも上の重量に挑まなければバルクアップは望めないぞ! ゼァ!!」
ぐるりと回ると腕を後ろで組んで伸ばす。
全身の筋肉がライトを浴びて、黒く光っていた。
俺は自分に書けそうな作品しか書いてこなかった。
同じジャンル、似たような展開。
いつしか、俺は諦めていた。
新しい物語を作ろうとせず、挑むこともしない。
そうして、★の数に惑わされ、書く気力すら失って。
今では、作品をアップすることもなく、こうして受賞者を襲撃することばかりを考えていた。
俺は膝から崩れ落ちた。
「★が少ないならベンチプレスをしろ! PVが少ないならデッドリフトをしろ! レビューが来ないならプロテインを飲め! 誰もが評価されるわけではない。だが、筋トレを止めてしまえば、そこで筋肥大も止まる!」
床に手をつく俺に言葉が投げかけられる。
「今からでも遅くはないぞ! 筋肉はいつも君の味方だ!」
「でも!」
「知っているだろう? 筋繊維は傷ついた後にこそ、超回復を遂げると! トゥア!」
マッチョマンは渾身のサイドチェストを決める。
なぜ俺はサイドチェストを知っている?
それに超回復のことも知っていた。
「気づいたようだな? そうだ! 筋肉の声に耳を傾けろ!」
俺の眠れる筋肉DNAが活性化していくのがわかる。
大胸筋がささやきを始めると、一斉に俺の全身から声が湧き上がってくる。
「この力は!」
「それが筋肉だ!」
俺は立ち上がり、筋肉とともに雄叫びを上げる。
「そうだ! 君は筋肉の声を聞くことができる! いつかの俺たちと同じだ!」
「え?」
「言っただろう? 毎年襲撃者が来るって。俺は二年前にカクヨムコンテストを襲撃したのさ! そこで、俺も先輩から筋肉を教えてもらった。今ではこうして筋トレをしている!」
「そうか、だから俺の気持ちも理解してくれたのか!」
マッチョマンはポーズを次々に決め、その度、ニカッと笑う。
褐色の肌に白い歯が輝く。
その歯にライトが反射して、俺の目に入る。
眩しさで目を閉じると、熱いものが目尻からこぼれ落ちた。
俺の筋肉が言っている。
ひたすら書いて、ひたすら読めと。
今なら、いつもと違う小説が書ける。
「ありがとう、名前を教えてくれ」
俺はマッチョマンに聞いた。
「俺のペンネームは筋繊維
心が熱くなる。
握手を求めようと右手を差し出す。
手のひらから何かがこぼれ落ちた。
カチッ。
「あ゛」
ちゅどーーーーーーーーーん。
俺はこの時、死んだ。
そして、新たに蘇った。
背中にかかる重圧を跳ね除ける。
ガラッと音がすると瓦礫が崩れ、俺は青空の元、立っていた。
日本武道館は木端微塵に粉砕されている。
空と俺の間には遮るものはなく、日光が俺を照らしている。
太陽に手をかざす。
俺の手に異変が起こっていた。
マッチョとはいかないが、筋肉が隆起している。
そして、肌も褐色に日焼けしていた。
いや、そもそも服を着ていない。
全身を確認すると、履いた覚えのないローズピンクのブーメランパンツを履いていた。
それ以外の布きれは爆発で吹き飛んだらしい。
「HAHA~! やはり、そよ風にもならなかったじゃないか~」
それを合図に、いたるところからマッチョマンやマッチョウーマンが出現する。
どうやら被害者はいないようだ。
そもそも爆発の中心にいた俺が無事なのだ。
筋肉覚醒を遂げたばかりの俺ですら無事なのだから、彼らを傷つけることはできないだろう。
「どうだ、筋肉の声は!」
「最高です、
「おいおい、さん付けはよしてくれ。それより、覚醒直後で疲労が溜まっているはずだ。これをやろう」
どこから取り出したのか、コップを手にしている。
「HA!」
腕を曲げて力こぶを作る。
コップを肘のところに当てると、何かがポタポタとこぼれコップにたまる。
「HAHA~! 俺ほどの上級者になると、プロテインを分泌することができるのさ! さあ、これを飲んで超回復しろ!」
「あ、俺、潔癖症なんで、そういうのはちょっと」
「う、うむ。そうか……無理強いは良くないな」
そう言って、そっとコップを瓦礫の上に置く。
「それにしても、俺のせいで武道館が」
俺は辺りを見回しながら言った。
「HAHA~! そんなこと気にする必要はない。去年の授賞式も、こんな感じだったからな」
「え? でも」
「知りたいなら、筋肉に聞いてみろ! いや、もうわかっているんだろ?」
筋肉は傷つくことで超回復を遂げる。
武道館も同じだ。
傷つくことで今までと違う、さらなる武道館になる。
「世界は筋肉なんですね?」
「ああ、そうだ」
俺はもう他人の筋肉を羨むことはない。
俺にできるのは筋トレだけだ。
そして、筋トレを続けてみせる。
上腕二頭筋を鍛えて、ワイシャツの袖が通らないほどのぶっとい腕にしてやる。
大胸筋を鍛えて、核弾頭を弾きかえしてやる。
そして、いつの日か俺もカクヨムマッスルコンテストの授賞式に出る。
あのステージの中央でサイドチェストを決めるんだ!
マッスルフィナーレを飾る花束 月井 忠 @TKTDS
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