一読して作者のしたたかな力量を感じた。
本作ではさまざまな媒体で恐怖が語られる。
ネットの掲示板、怪しげなエロサイトのコメント欄、喫茶店での会話、あまり人気がないブログ、雑誌の記事、雑誌の投稿、手紙、小説……
語り手の「私」はフリーランスのライターだが、その設定にリアリティを持たせるのに十分な語りの巧みさである。
現代ホラー小説の古典ともいえる『リング』の影響も感じた。
リングで呪いを伝播するのはビデオテープ、本作ではネットである。
呪いを伝えるスピード、伝染力が桁違いでゾッとする。
また物語の終盤語り手である「私」の正体が明らかになるが、この正体は小説ではなく映画版リングの影響があるようにも思えた。
この物語の根底にあるのは母子の悲劇だが、これは京極夏彦も書いた姑獲鳥(ウブメ難産で死んだ母親が変化した妖怪)以来の「怪談における母子もの」の伝統にのっとっていると思った。
もっとも姑獲鳥の生んだ赤ん坊はその後元気に生き、母から授かった大力を生かして力士になり、大関や横綱に出世するというおおらかさがあるが、本作の母子にそんなおおらかさは微塵もない。
乾ききった孤独と悪意があるだけで、そこに現代の厳しさを感じた。
技巧を凝らしたホラーで二重三重に巧妙な罠が張り巡らされている。
「近畿地方のある場所」という思わせぶりなタイトル、劇中繰り返し●●●とあえて伏せて表記される地名などが強力な媚薬として最後まで読者の好奇心を引っぱっている。
しかしこれも罠なのだ。
その罠がなんであるのか、読者が見抜く楽しさも本作にはあると思った。