君はプリズム

御角

君はプリズム

 君の瞳越しに見る空に、私はいつも恋をしていた。

「ねえ、今日の空は、どんな空?」

 病室で、隣のベッドにいるはずの君にそう問いかける。

「そうだなぁ……深くて、眩しい」

 手を伸ばせば吸い込まれそうな快晴だよ、と君はこぼして控えめに咳き込んだ。


 一体いつからだったか。私の目が、淡い光しか捉えなくなってしまったのは。ただ一つ言えるのは、それが当たり前になってしまうほど昔だったということだ。

 もう、すっかり慣れてしまった。情報の八割を失って生きることに……見えないことに、私は何の感情も抱いてはいなかった。そのはずだった。

 だから、今更治るかもしれないと言われたところでピンとはこなかったし、入院だって流されるままにしただけで、大して期待もしていなかったのに。

「しんしんと降り積もる雪は肩を濡らして、視界全てを白銀に染めていく。染まれないのは、まだ体温の残る自分一人だけ」

 隣から聞こえてきた君の声に、そしてそこに広がる世界に、私は心を奪われてしまったのだ。


 お互いの名前も知らない。顔だって、私からじゃわからない。それでも私は、君を好きになってしまったのだと思う。

「今日は珍しい天気だよ。晴れなのに雨が降ってる。雨粒が日差しを乱反射して……七色に燃えた後、全て空に消えていく。青い、空に」

 君の語る景色を、どうしてもこの目で見たくなってしまった。何も映らないこの空っぽな瞳を、一度だけでいいから青で満たしてみたかった。

「いいね、きっと凄く綺麗なんだろうな」

「……うん、それはもう、凄く」

「私でも、いつか見れるかな」

「見れるよ。手術、明日でしょ? いつかじゃなくてそのうちすぐに、見えるようになる。きっと」

「……ありがとう」

 君は照れ隠しをするように咳払いを一つして「どういたしまして」と呟いた。


 多分、それが最後だった。次の日も、そのまた次の日も、空の色はわからない。問いかけても君の口からは、苦しそうな呼吸音と、乾ききった咳に混じるあえぎが漏れるばかりで。思わず視界を覆う包帯に爪を立てかけたけど、怖くてすぐにやめてしまった。

 見ることが怖かったのか、それとも二度と見られなくなることが怖かったのか、未だにこの感情には説明がつかない。君のように、上手く言葉に言い表せない。

 ただ、包帯を取ってもらった時に目に入ったからのベッドと、ゴミ箱に残されたぐちゃぐちゃの原稿に、どうしようもなく涙が止まらなかったのを覚えている。

「顔だけでも、見ておけばよかった」

 入り口近く。壁際の、隣のベッドが、室内灯の光の中で真っさらに作り替えられていく。君の痕跡が——存在が、手のひらをすり抜けて薄れていく。

「嘘ばっかり。全然、綺麗じゃないよ……」

 窓から覗く空は、一面灰色に曇っていた。


 そもそも、君のベッドからは……最初から空なんて、ひと欠片かけらも見えてはいなかった。




 来る退院の日、私はシワのよった紙を丁寧に伸ばして、黒くれたマス目に沿って思いを馳せる。

「晴れ渡る青空の中に、一筋たなびく細い糸。それは、私と貴方あなたを繋ぐ、糸……と」

 勝手にゴミ箱から拾って、その上、付け加えるだなんて。君は今頃、侮辱に耐えかねて空の向こうで怒り狂っているかもしれない。

「拝啓、貴方を通して見た光は、私に色をくれました。願わくばこの虹が、貴方への架け橋となりますように。敬具」

 書き殴った陳腐ちんぷな文章を内側に折り込んで、そっと羽のようにたたむ。どうあがいても、やっぱり君には敵わない。

 頬に伝った雫を拭って、私は白い太陽へとその紙飛行機を投げた。


 ——追伸。今でも盲目になるほどに、君のことが大好きでした。

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君はプリズム 御角 @3kad0

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