蝉の夢『蝉』『冬』『砂浜』


「ん、蝉の抜け殻だ……」


 私は、そう呟いて車の助手席の窓から、隣に止まったトラックの荷台に視線をくぎ付けにされた。

 そこには、季節外れの蝉、ではなく蝉の抜け殻が一つ止まっていた。


「こんな寒い冬の日に、まさか蝉の抜け殻を見ることになるなんて」


 冬の寒い日、私はたっちゃんとドライブに出ていた、目的地はない。

 優香ねえとこう君に家からしばらく出ていろと言われたので、たっちゃん運転で、適当に車を走らせていた。

 たっちゃんが運転する車に乗るのは、初めてのことだった。


「どうしたの?」


 コンビニで用を足していたたっちゃんが、飲み物と軽食を買って車に帰ってきた。

 声が少し浮ついていた、欲しかったものでも買えたのだろうか。


「隣に止まっているトラックの荷台に、蝉の抜け殻がついてるから、気になって……」


 そう言うと、たっちゃんが私の前に体を乗り出して、窓の向こうのトラックを見る。

 私の息がかかりそうなほど近くを、たっちゃんの顔が通り過ぎた。

 一瞬の出来事に、思わず息を止めて顔を熱くする。


「ああほんとだ、季節外れだね」


 たっちゃんは私の動作に気づくことなく、体を元の位置に戻す。


「う、うん、夏からずっとあのトラックについてたのかな」


 ほのかな照れを隠すように、そう話題をふる。


「そうだね……夏からずっとついていたって考えた方が夢があるよね」

「夢?」


 唐突な発言に戸惑いながら、私はそう聞き返す。


「うん、夢」


 反復して、たっちゃんは言った。


「蝉は夏の、しかも短い間しか生きられない、生まれた場所は木々や家ばかりで、海や砂浜をみたことがない……見たいと思っても、見られない」


 たっちゃんは切なそうな顔でそう言って、車のエンジンをかける。


「たっちゃんて詩人だよね」


 私は、ポロっとそんな言葉を零す。

 頭でそう考えると同時に、自然と口から零れていた。


「そうかな……そうかも、音楽を日頃聞いてるんだ、少しは詩的な考え方も身につくさ」


 そうゆうものか。

 私は一人で納得して、視線を前に移動する。


「そうだ、せっかく海の話になったんだ、海岸にでも行こうか」

「え、今行ったら寒いんじゃない? それに、誰もいないと思うよ?」


 冬にわざわざ海に行っても、何をすることもない。


「それがいいんじゃないか、いつもとは違った海の表情を、俺たち二人で独占しようよ」


 少し茶目っ気のある表情で、たっちゃんは言った。


「わかった、行こう」


 私は、たっちゃんの主張に同意し、そう意志を固めた。

 確かに、誰もいない冬の海っていうのもどこか気になっている自分がいた。




「……少し、分かったかも」


 しばらく車が走り、町並みが変わりつつある頃、私はそう呟いた。


「何が?」


 両手でハンドルを握り、少し肩を張っているたっちゃんが、私の呟きを拾った。

 たっちゃんは、慣れない道を走っているためか、チラチラとナビに視線を送り、時折顔をしかめている。


「私はあの蝉に似ていたのかもしれない、だからか、なんとなく蝉の考えについて、分かった気がするの」

「へえ、何を考えたの?」


 私は勿体ぶってしばらく間を開けた後、考えていることを口にした。


「知らない景色に憧れて、慣れない移動手段を用いて、目的地に着くのを待ち続ける」


 さっきの蝉の抜け殻は、私と少し似ていたのかもしれない。


「その道のりは、寄り道もあったかもしれないし、遠回りもあったかもしれない、でも待ち続けるその間は、確かに楽しい時間だった」


 だから、日頃特に何も考えていなかった私が、急にこんなことを考えたのかもしれない。

 私の考えを聞いた後、相変わらずたっちゃんはナビを見ながら言った。


「道に迷ってたの、バレてた?」

「バレバレ」


 私たちは、二人してクスクスと笑った。

 簡単な、ただ単純なやり取りだったが、私にとっては、とても幸せなやり取り、代えがたい一瞬だった。

 ああ、そうか、私は蝉と似ていたけど、蝉と同じではなかった。


「私には、蝉と違って、一緒に旅をしてくれる人がいた……」


 そう小さな声で、たっちゃんに聞こえないよう私は言う。

 聞こえないようにとは言うものの、声には出しておきたい、声に出して確認しておきたいというような、複雑な感情があった結果、消え入りそうなほど小さな声で、窓の方を見ながらそう呟くのだった。





「着いたよ」


 そんな会話をしている間に、車は目的地についていた。

 蝉が夢に見た海、砂浜、それらが車を降りた私の前一面に広がっていた。


「これが、冬の海……」


 風は冷たく、私の頬を切り裂くように吹き付けるが、まるでそれが気にならないほど、誰もいない海は美しく、キラキラと太陽光を反射していた。

 一定のリズムで聞こえてくる波の音は、全てを包み込む母親のような安心感を覚えた。


 しばらく海辺を散策した後、私たちは帰路へとついた。




 帰路にも一度コンビニへ寄った。

 用を足した私は、車へと向かう途中、行きでも見かけたトラックが、止まっていることに気づいた。


「……こんなこともあるんだなぁ」


 そうぼやき、私は荷台へと目を向けた。


「あ……」


 その荷台に、蝉の抜け殻はすでに無く、ただ足だけが残っていた。

 しかし、私は気づいた、これはあくまでも蝉の抜け殻でしかなかったことを。


「そうか……そうだよ、蝉の抜け殻は蝉が成長した跡、蝉は夢から覚めたんだ」


 海へ行くという夢から覚め、自分の生を素直に生きることにしたのだ。


「本当にそれでよかったの?」


 私は、足だけになった蝉の抜け殻にそう投げかけた。

 

 貴方には、あきらめる選択をした時、引き留めてくれるパートナーがいなかったのかな、だから、夢の足跡だけを残して、夢から覚めてしまったのかな?


 私には分からないだろう、だって、私は蝉じゃないから。


 蝉と違って行きたいところに行けるし、もっと長い間生きていられる、それに……。

 それに、私にはパートナーがいるから、一緒にくだらない夢を追いかけてくれる相方がいる。


「舞? どうかした?」

「いや、何でもないよ」


 私は蝉の夢の跡を背に、パートナーの所へと帰っていった。

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