輝っていると思っていた『ホタル』『パソコン』『太陽系』
「こう君、何してるの?」
「大学の研究」
優香ねえが俺のパソコンを、ビール缶片手に覗きこんできた。
「研究? 何を?」
「ホタルだよ、俺昆虫専攻なの知ってるでしょ」
カタカタとパソコンで論文を書きながら優香ねえの問に答える。
優香ねえは「ふーん」と言いながら、よりパソコンへと顔を近づける。
「画面見えないんだけど、優香ねえ」
そんな俺の嘆きを無視して、優香ねえは新たな問いを投げてくる。
「なんでホタルの研究することにしたの?」
……ほんっとこの人って悪気なく嫌なところ聞いてくるよなぁ。
俺は視線を逸らしながらそんなことを思う。
「気になる? あんまり言いたくないんだけど」
「言って、この家で隠し事はなしでしょ?」
「そんな話初めて聞いたけどなぁ……」
まあ、変に隠す方が、逆に不自然か……。
ため息をつき、パソコンの論文を保存する。
「昔、小学生の頃、俺の周りでは将棋が流行ってたんだ」
「将棋?」
俺は、懐かしむようにそんな話を始める。
「学年全体で将棋ブームが起こって、俺もそれに便乗して将棋を勉強した」
優香ねえは、テレビ台の下に仕舞われていた将棋盤と駒を持ち出して、机の上に持ってきたかと思えば、パチパチと駒を並べ始めた。
この将棋盤と駒も、俺が小学校の頃から使っていたものだ。
「へえ、だからこう君は将棋強いんだ」
その優香ねえの何気ない一言は、俺の心を抉ったのだが、精一杯そのことを隠しながら話を続けた。
「俺はそのブームに乗るのがちょっと早かったからか、皆よりも少し強い状態で、ブームに乗り出した皆と将棋を指すことになった」
優香ねえの動きに乗じて、俺も将棋の駒を並べていく。
優香ねえは手に取った駒から並べているのに対し、俺は王将から順に左右対称に並べていく、いわゆる大橋流という並べ方だ。
俺は将棋を勉強するにあたって、将棋の腕も勿論磨いたが、いかに棋士のように振舞うかに凄くこだわった。
多分、あの頃の俺は、ブームの先駆者である、すごい将棋指しなんだ、というアピールがしたかったんだと思う。
学年で、注目される存在になりたかったんだと思う。
「じゃあやっぱりこう君は強かったんだ」
優香ねえは、自分の考えが当たったことが嬉しかったのか、上機嫌な様子で缶ビールに口を付ける。
それと同時に、優香ねえは飛車先の歩を進めた。
「最初はね」
俺は、苦笑いしながら角の右斜め前の歩を進めた。
どうやら、優香ねえはこのまま将棋を指すつもりのようだ。
「途中で俺は、皆よりも強い立場であることに満足感を覚えて、少し高圧的な態度をとるようになった」
今思えば、あの時ならまだ間に合ったかもしれないのに、俺は……。
苦い思い出に、俺は唇をキュッと結んだ。
優香ねえは、黙って俺の話を聞きながら、駒を動かす。
「俺が教えた友達が強くなって、皆から人気になっていく中、あいつらは俺が明るくしてやったんだ! 俺は、惑星たちを照らす太陽なんだぞ! ってそんな気持ちで、ずっと将棋を指してたんだ」
今となっては、なんともバカバカしい話で、恥ずかしくなるような話だ。
「でも、実際強かったんでしょ? ならそれでもいいんじゃないの?」
優香ねえは呑気にそんなことを言い、まるで駒を振り回すように、乱暴な戦術で俺の陣地に攻め込む一手を打つ。
「……ある日地区の将棋大会で、俺は、俺が将棋を教えた友達に大敗したんだ」
俺は、その攻めを相手にせず、優香ねえの陣地に持ち駒を打ち込み、王手をかける。
「うへ、なんで守ってくれないのよー」
優香ねえは文句を言いながら、慌てて玉将の駒を逃がす。
俺は、そんな文句を聞き流して、容赦なく攻め続け、止めを刺した。
「そこからは皆、もう俺に目も向けなかったその時俺は気づいたんだ……俺は太陽なんかじゃなかった」
優香ねえは、しばらくうなった後、「負けた!」と言って盤を崩した。
俺には、その動作が昔の自分と重なって見えた。
教え子に大敗したのが悔しくて、その盤面を知り合いに見られるのが恥ずかしくて、とっさに盤面を崩した自分と……。
「俺も、恒星に照らされている一つの惑星に過ぎなかった、たまたま恒星に近くて、自分が光っていると勘違いしていただけの、ただの惑星……」
話し終えて、俺は再びため息をつく。
なんだかすごく疲れた。
「こんな感じだよ、もういいでしょ? 部屋に行ってもう寝るね」
「まだ、なんでホタルの研究してるか聞いてないよ?」
ああそうだった、そういえばそんなところから話は始まったのだった。
「ホタルはイメージだと、皆光ることができると思ってるでしょ?」
「うん」
俺はパソコンを片付けながら、言う。
「でも、実際はほとんどのホタルは光らないんだ」
その一言に、優香ねえは目を見開いて、やや大げさに驚く。
「ええ!? そうなの!?」
薄く微笑んで、俺は最後に言った。
「少数の光っているホタルたちに、自分も光っていると思い込み迷い込んだ、大多数の一部である光らないホタル……実に滑稽でしょ? それが、あの時の俺だったんだよ、優香ねえ」
その一言を言い残して、俺はリビングから退散した。
そうだ、俺は太陽でもなければ光るホタルでもない、只の一般人で、本来目立つことのない人間だ。
でも、一つでいい、一つでいいから。
「輝れるものが、欲しかったな……」
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