2022 春 1
俺は県外の大学の4年生になった。
農林学について学んでいて就職も決まっていた。桜城公園の樹木、花壇の管理の仕事である。現在は漆間涼司という人が1人で管理している。涼司の第1印象は、硬派な職人といったところだろう。そろそろ還暦を迎える歳だかそれを全く感じさせない快活さと、よく焼けた肌、腕も太く寡黙でまさに職人だった。俺はその弟子として働くことになった。
もともと地元に帰るつもりでいた。しかも、林業の知識も生かせる。給料は低いが、実家で暮らすので問題はないだろう。
長い春休みを利用し、帰省していた。
そこで、インターンというより、実際に仕事を教わることになっていた。
花見のシーズンが近いと言うこともあり、桜はもちろんその他設備や、歩道の整備、公園の器具の安全管理など広大な敷地を2人で整備した。
これまで涼司が1人で行っていたと思うとかなりキツい仕事だと感じた。
昼休憩となり、公園の外れにある事務所兼涼司の家の休憩所で弁当を食べた。
様々な道具が所狭しと置いてあり、かなり散らかった印象だが、俺の目を引く箇所があった。
綺麗に片付けられ、一輪の花(おそらく椿だろう)と写真が置かれている。写真立ては黒縁であり、遺影だということを察した。
「これな、死んじまった嫁さんだよ。3月14日、あの日は春みたいに暖かかった」
俺が遺影を気にしている視線に気づいたのか、涼司が語った。
「そうなんですか。それはご愁傷さまです。綺麗な方だったんですね」
遺影は、かなり古いものだった。そこに映る涼司の妻は綺麗でそして若かった。
「ああ。時子って名前だ。俺が若い時港町で知り合ってな、連れて帰って来たんだ」
そう言って笑う涼司。
「まあ、駆け落ちってやつだよ」そういうと涼司は自分の弁当を食べ始めた。
人に歴史あり。ここにいる師匠もきっと大恋愛をしたのだろうと思った。
事務所近くにはビニールハウスでできた温室がある。34年程前に年中花を見れる空間を作ろうと涼司が建てたらしい。
「赤の温室」そう名付けられた温室は、秋から春にかけて、サルビアやガーデンシクラメン、チューリップ、アルストロメリアなどの赤い花が年中見られるようになっている。
広がる赤は血のような毒々しさはまったく感じさせず、可憐で優美だった。
午後の作業は主に樹木の枝打ちと剪定だった。
枝打ちは、樹木同士の接触を避けるためまた、育ちの悪い枝を切る作業であり、剪定は枝の密度を調整したり、病気の枝を切ったりする作業だ。
俺は作業がしやすいシダレザクラのエリアを担当することになり、工具を担いで歩き始めていた。
すると前方から、4人組が歩いているのを発見した。服装から村役場の職員だとわかった。
おそらく、花見シーズンを前に安全点検や注意喚起の張り紙、看板の設置場所などを検討してるのだろう。
少し離れていたが「こんにちは」と声をかけると、中年の職員が頭を下げた。
「こんにちは。漆間さんっていまどこにいらっしゃいますか?」
俺は4人組に近づきながら、涼司の場所を教えようとしたが、その瞬間心臓が止まりかけた。
「えっ。その」
俺と目が合ったのは葵田穂乃。向こうも俺に気づいたらしく、すぐに目を背ける。
「あれ。葵田さんもしかして知り合い?」
中年の職員が聞く。穂乃はキョロキョロしながら「同級生です。」とだけ答えた。
「師匠なら、ソメイヨシノの剪定に行ってます。公園エリアの南です。」
俺は師匠の場所を伝えると足早にその場を去った。
にしても、穂乃は相変わらずだった。まさか役場に就職したとは、全く知らなかった。
さて、俺は切り替えて作業に戻った。昔のことを思い出している時間はない。
たどり着いた先のシダレザクラは既にかなり手入れが進んでいた。
「俺がやることはないか」
半ば諦めながらも、シダレザクラの裏に回り込んでみる。すると、1本の枝にだけ蕾がついていないことに気づいた。
我ながらナイスな発見だと思い、剪定用のハサミを取り出す。
脚立を組み立て、4段程登る。
根元からその枝を切り落としたその瞬間。
切り口から、真っ赤な何かが俺の額に滴った。
「血だ」
瞬時にそう思った。しかし避けることはできなかった。
俺の額に冷たく、ねっとりとした感触が伝わったと思うと、俺は意識を失っていた。
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