2022 夏 5

翌日、俺は朝7時には公園に着いた。

今日も雑草むしりだろう。たまには樹木の剪定や薪割りをしたいと思いつつも、事務所に到着した。

しかし、事務所の入口で立ち止まってしまった。

「うわっ。なんだこれ」

俺が見たのは狐か野良猫に襲われた鳩の死体だった。

羽が辺りに抜け落ち、真っ赤な血が飛び散っていた。その血の様子からかなり新しいと推察できた。

俺の声に反応したのか、師匠が事務所から顔を覗かせた。

「正暉。どうした」

師匠は足元の死体に気づいていないようだ。

俺が指をさして、「その鳩の死体です。酷いっすね」と言うと、師匠の顔が変わった。

目を見開き、手は震えていた。

血とか死体とかそういうのに弱いのだと思った。

しかし、様子がおかしかった。

次第に血に顔を近づけたのだ。

「血、あか、真っ赤な血」

ボソボソと呟く様子は正常ではなかった。

俺は師匠を無理やり死体から遠ざけた。

「何してるんですか師匠!」

「はっ!赤い花を、花を」

訳の分からない事を叫んだかと思うと、温室に走り出した。

俺はすぐに後を追った。


温室といっても現在は全ての窓を開けて、外気温と同じ状態だが、現在はヒガンバナが咲いている。

師匠はヒガンバナを眺め、深呼吸するとだいぶ落ち着いていた。

「大丈夫ですか」

「ああ、すまんな。血を見るとどうしても混乱しちまう。先に雑草むしり始めててくれ」

「わかりました」


雑草むしりをする前に、鳩の死体を片付け

念入りに血も流しておいた。

やはり、師匠には血にトラウマでもあるのだろうか。

と言うより、血への執着とでも言おうか。

なんとも不思議な時間だった。


夕方、穂乃から連絡があった。

内容は、手紙の筆跡と指紋が荻原のものと一致したというものだった。

もちろん、非公式な鑑定結果だろうが、事実は事実だ。

駐在所に来るようにとも、書かれていたのですぐに向かうことにした。


「おう。正暉、お前も穂乃に呼ばれたか」

駐在所の手前で、勇志に会った。

「うん。もしかしてだけど、山小屋に行くとか言い出すかも」

俺は1番恐れている予想を口にした。

「かもな。穂乃の文字からも熱意が伝わったくらいだ。駐在さんも入れて4人で犯人確保とか言い出さないといいけどな」

そして、駐在所に着いた。

卓馬と穂乃は番人のように仁王立ちで、待っていた。

その後の穂乃の第一声は俺と勇志を震えあがらせた。

「よし!正暉、勇志。山男を捕まえにいくよ!」

喜んで「おー!」と言ってるのは、卓馬だけだった。


日が暮れる前に荻原に会うために、山を登るペースはかなり早かった。

卓馬はときおり、腰の拳銃をさすっているのが恐怖を増長させた。

「あくまでも任意で話を聞く、こっちの違法証拠は最終手段だ。相手が30年近く世間との繋がりをたった人物ってことを忘れないよに」これは、卓馬が俺と勇志に警棒を渡しながらかけた言葉だ。駐在所の前で、そんな事を言われ、初めて触る警棒の重量感にも圧倒されて、足が震えた。


そんなことを思い出していると、いよいよ山小屋の前に到着してしまった。

卓馬が扉を叩く。

「荻原順弥さんいますか。駐在ですがお話を伺いに来ました」

すると僅かに扉が開いた。隙間から覗いた顔は山男としか思えなかった。卓馬より頭ひとつ身長が高いが、その顔は髭に覆われている、太っているわけでもないが、痩せてもいない、目の奥は濁った暗黒で、髪も後ろで束ねていた。

「なんだ」

朝起きた時、上手く声が出せない、そんなしゃがれて低い声が聞こえた。

「僕は村の駐在所の白椿卓馬といいます。34年前の事件について知ってることを伺いたくて来ました」

「後ろの奴らは」

俺たち3人を暗黒の瞳が貫く。膝が震え、恐怖で叫びたくなった。

あの枝の記憶の黒い影が、この男荻原なら彼は3人を殺害した犯人ということになる。

「彼らは、葵田さん、菊富くん、桜下くん。捜査に協力してもらってます」

扉はやはり僅かに開いているだけだ。警戒されているのは明白だった。

「葵田、桜下、白椿。34年前。もうそんなに経ったのか」

荻原は、行方不明になった順に俺たちの苗字を呼んだ。

「まあ、中入れ」

なんと、荻原自らが扉を開き中に招き入れた。

卓馬も想定外だったのか、少し驚きながら室内に入った。

中は、一部屋にリビング、寝室、キッチン全てが統合されており、奥にトイレ、風呂に繋がる扉があった。

「座りな」

荻原はそう言ったが、イスは2つしかなかった。そのうちひとつは荻原が座り、もうひとつは卓馬が穂乃にすすめて座らせた。

「僕らは立ってお話を聞きます」

荻原は頷いた。

「単刀直入に聞きます。34年前の事件であなたは3枚の手紙を書きましたか」

荻原は拳を握りしめ視線をせわしく動かした。

「手紙、しらねぇな」

「では次です。ひかりさん、真紀子さん、怜子さんを知ってますか」

「同級生だ」

「これは、ある方が証言してくださったんですが、あなたは真紀子さんと交際していましたか」

この質問をした瞬間に、荻原は握りしめた拳を机に叩きつけた。

「なんだ!俺が犯人だって言いてぇのか」

まずい、暴れる。細胞レベルで危険を感知した。

立ち上がった荻原を沈めるために、卓馬が近づいた。

俺は穂乃に目配せした。穂乃は素早くスマホを取り出し、警察に応援の電話をかけるため外に出た。

その間も、荻原は暴れていた。

勇志も加わり体を抑えようとしていた。

「ふざけんじゃねぇ!俺が同級生をあんなふうに殺すわけねぇだろ!」

そういうと、勇志をふっとばした。

俺は勇志の元に駆け寄った。肩を痛めているようだ。

「大丈夫か」

「一応な、加勢してやってくれ」

しかし、俺が入るまでもなく、卓馬が柔道で制した。

「俺は、俺はしらねぇ。喋らねぇからな」

その後も荻原は暴れていたが、落ち着きイスに座り静かになった。

ダボダボの作業着のようなズボンのポケットを気にしていた。


パトカーの音が聞こえたのはそのすぐあとだった。

「俺は、狂ってねぇ。俺はあんなふうに」

小さな声でつぶやく荻原、俺と勇志は傍らで見ていることしかできなかった。

「警察の方々が来ました」

穂乃が扉を開けて報告する。

「ありがとう、助かったよ」

卓馬がそれに応えた。

「警察。ああ、俺は捕まっちまうんだな」

荻原は天を仰ぐと、立ち上がろうとした。卓馬が抑えようとすると、「逃げやしねぇよ。あいつに渡したいものがある」

あいつと言った時荻原の目は俺の事を捉えていた。

フラフラと俺の前まで来ると、荻原は先程から気にしていたズボンのポケットから小さな袋を取り出し、俺に渡した。

なんとなく、叔母である真紀子に関係する物かもしれないと思った。

すると、荻原の髭面が耳元に近づいた。

「お前は漆間の事を何もわかっちゃいない」

そう言い残すと、ちょうど集まってきた警察官に連行されて行った。

なぜ、漆間涼司。俺の師匠の名前が出るのか訳がわからなかった。

俺の手に残された袋は思ったより重かった。


その後、勇志は念の為病院に行くことになり、卓馬は偉そうな人から説教を受けていた。穂乃は全てが終わり安心した顔で暗くなった森を眺めていた。

卓馬がバタバタしていたため、俺は荻原からもらった謎の袋について誰にも話せなかった。


家に帰り、祖父と母に今日の事を話すべきか迷った。

しかし、今更犯人らしき人物が捕らえられたと聞いてどう思うだろう。

真紀子を探し続けた34年は報われるだろうか。そう考えた末、今は伝えることをやめた。


夕飯を終え、部屋で荻原からもらった。というより預けられた袋を開いた。

念の為、ハンカチで中身を取り出した。

それは硬く、布に包まれていた。そして、赤い血が僅かに付着していた。

俺は驚きを抑えながら、布を開く。

中身は2センチ四方の金属だった。よく見るうちに、一辺は刃物のように研がれていることに気がついた。

「欠けている、刃物」

その瞬間、師匠の事務所で見たオノが脳裏にうかんだ。そして、荻原の言葉「お前は漆間の事を何もわかっちゃいない」、これも脳内で響いた。

師匠の妻の死について俺は知らない。

スマホで34年前の3月14日の地元新聞の記事を探す。

そして見つけた。

「桜城公園の管理人の妻自殺。死因は失血死、動機は現在調査中」

まさか、だった。師匠の妻は自殺していた。そして、師匠のオノのカケラを持つ荻原、カケラに残された血。

34年前の事件はもっと複雑かもしれない。

そう思い、俺は部屋を飛び出し祖父の元へ向かった。


「じいちゃん!俺の師匠について知りたいことがある」

テレビを見ていた祖父は驚きながらも俺の方を向いた。

「師匠って言うと、漆間さんのことか?」

「うん。師匠の奥さんが自殺した事について当時の事知ってれば教えて欲しい」

「そうだな。知ってるも何も、現場を最初に見ちまったからな、あれは酷かった」

現場を最初に見たのが祖父!これは有力な情報が得られる期待が湧いた。

「地区の役員だったわしは、花見の会場設営について漆間さんと相談するために、事務所に向かった。入口で呼びかけても返事がないから中に入ると驚いたよ。一面血の海。首を切って自殺した奥さんの時子さんが倒れてて、漆間さんは花瓶の中の血のついた花を眺めてた。さすがに異常だと思って急いで警察を呼んだね。あれは地獄絵図だった」

血を眺める師匠、赤い花の温室、師匠は血に執着中あるのだろうか。

「それで、時子さんの自殺の原因はなんだったの」

「詳しくは知らないが、時子さんは元々精神が不安定だったらしいな、何度かリストカットをして病院に運ばれた事もあった。原因はなにか揉め事があったとしか聞いてない」

「そうだったんだ。ありがとうらじいちゃん」

「ああ、明日も仕事だろ。おやすみ、正暉」

俺は部屋に戻った。


34年前の事件を時系列に並べるとこうなる。

3月14日。漆間時子の自殺。

8月28日。葵田ひかり行方不明。

10月19日。桜下真紀子行方不明。

11月30日。白椿怜子行方不明。

欠けたオノの破片を見た時から、俺の全ての疑念は1人の人物に向けられていた。

明日、全てを終わらせよう。

そう思って、勇志と穂乃に連絡をした。

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