あの枝

栗亀夏月

2008

春。咲き乱れる花々の甘い香りに包まれながら、俺は走っていた。


小学3年生だった俺は、毎年恒例のお花見をするために家が徒歩10分程の距離にある桜城公園に来ていた。

俺の先祖の桜下家がここに城を構えていたらしいが、当時の俺はそんな事知らなかった。いや、興味がなかった。


「正暉!あんまり離れないで!」

後ろから母、彩子の声が聞こえる。振り返り手を振る。母の隣には父、青也。その2人に少し遅れて祖父、与一郎が笑顔で手を振り返す。

祖母はいない。俺が生まれるより前に亡くなっているという。

俺は前に向き直ると、いつもの観桜スポットに向かいまた走り始めた。


そしてたどり着いた。

見上げたシダレザクラは、ピンクの波で俺のことをさらおうとするかのように、そこにあった。

俺は弾む呼吸を整えながら家族の到着を待った。


少しして、家族が到着した。父がブルーシートを広げ、ささやかな宴会が始まる。

母の作った様々な料理を食べながら、時折周囲に咲き乱れる多種多様な桜を見る。

また、少し離れた場所には広い花壇もあり今は真っ赤なチューリップが咲き乱れていた。


俺は食事をそうそうに切り上げ、探検を始めた。シダレザクラの波をくぐり抜け、幹の周りを歩きながらある事に気づいた。

ある枝に花がひとつも咲いていないのである。

俺は家族の元に戻ると祖父に話しかけた。

「ねぇ、じいちゃん。こっち来て」

祖父は立ち上がると、俺に手を引かれながら、シダレザクラの幹の近くに回り込んだ。

「あの枝だけ花が咲いてないんだけど、なんで?」

「あー。ほんとだな」祖父はそういいながら目を細めた。「病気が何かで咲かないんだろう」

「へー。木も病気になるんだね。知らなかった」

「生き物はみんな病気になるもんだ。よし、じゃあじいちゃんは団子をだべてくる!」

そう言い残すと祖父は戻っていった。

俺はその場に残り、じっとその枝を眺めた。

周りが華やかに咲き乱れるなか、取り残されるように1本の枝がある。

俺には何か訴えかけているように感じた。

ただの直感だが、強い意志を感じた気がした。

俺は、その枝に手を伸ばし「はやく治るといいね」と言い、優しく撫でた。

「正暉。勇志くんと穂乃ちゃんが来てるぞ!」

父の声が聞こえた。学校でいつも遊んでいる2人だ。

「はーい」と俺は返事を返し家族の元へと戻った。


友達と走り回り、そろそろ日が暮れる時間になっていた。

勇志と穂乃に別れを告げ、家族で帰路についたが、俺の頭からあの枝のことが離れることはなかった。

家に着くとすぐに、絵日記帳を取り出した。

春休みの宿題の中で唯一残っていたものだ。

何故か花を咲かせない、病気になってしまったシダレザクラを今日のお花見の感想と共に絵に書いた。

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