終章
少し名残惜しそうに
木漏れ日のような陽光の眩しさにキキは眼を細めた。鉄格子の窓から見えるセルリアン・ブルーの空からは、既に暁の朱色が抜け始め、爽快な朝空が晴れやかな顔を見せ始めている。
まるで一枚の油絵のようにも見えるその
絵画を構成する雲や太陽も、どうやらそれは変わらないらしい。
キャンバスの中央に鎮座する目立ちたがりな太陽を覆い隠すように、雲は亀にも似た歩みで東の空を目指して行く。
一つのキャンバスに収められたその景色は、何処か
人を好奇心のままに引き付けてしまうその
少女はそんな筆の行先を見送って、空のキャンバスから視線を移す。
すると、次に彼女の視線を釘付けにしたのは、視界いっぱいに広がる石畳の地面と錆の付いた鉄格子だった。
キョロキョロと見渡しても、視界に映るのは汚れた壁と、自分の下に敷かれた粗悪な麻のシーツ位。隙間風の音に交じって僅かな雑踏の音が鼓膜の表面を擽る。
辺り一面、情緒の欠片もない殺風景な部屋だからなのか、孤独感や疎外感以外の殆どを感じない。
ただ、水に溶かさずに使った絵の具のように濃い寂寥感が漂っており、溶かさなかったにしては、少し色の薄い郷愁に溢れている——。
「——で? どうして私たちがこんな所に入らなくちゃいけないのか、キッチリと説明してくださるのよね、警部?」
「エマさん! 何で俺たち、また留置場に入ってるんですか!? 乗客の命救ったじゃないですか!?」
「……」
と、少々ポエミーな感傷に耽ること数十秒。
身に覚えのある冷たい鉄格子の中——留置場の一室で凄んだキキと、涙目で叫ぶルース……そして『やっぱりかァ……』と言わんばかりに寝転がるアスマは、鉄格子の向こう側で呑気コーヒーを啜るエマへと質問を投げ掛けた。
「先日、アンタ達が暴れ回ったゲダイエン大橋があったろう?」
「……っ!」
「「?」」
開口一閃。沈黙を保っていたエマの言葉に、ビクゥ! と肩を震わせたアスマは、バツが悪そうに目を逸らした。
身に覚えのない悪事に、キキとルースははてなマークを浮かべる。
「アレは市議会がイーストエンドの貧民救済を謳って行った施策の一環でね……橋の建設を通してイーストエンドの貧民に仕事を与えるのと並行して、キュステブルク中央街区との交通の便を良くして、イーストエンドの経済を発展させる目的があったんだよ」
「へ、へェ~、そうなのかァ~……知らなかったぜェ~……」
「寂れた街でも人はいる……物資の流入が増えれば、自然とイーストエンド内での産業も育つだろう。産業が育てば、人が必要になる。人が必要になれば雇用も生まれる。雇用が生まれれば、雇用された人間が金を持つ。金を持てば貧民が居なくなる……てな具合にね? まぁ、少し楽観的過ぎる見通しだとは思うけどね……あの橋は、ハンス達みたいな貧民救済の為にリベルタス市議会が先頭に立って進めてた割と大きなプロジェクトだったんだよ」
「……」
「で、完成間近のその橋をぶっ壊したのが、ハンス達とアンタ達ってわけ。お上の方々がカンカンだったよ……イーストエンドの地区開発に目をつけて、出資してたブルジョワ連中の一部にも、『出資を取りやめる』って言い出した人間が出たらしいよ? 市議会は連中の固い財布の紐を緩めるのに随分と苦労したみたいだからねぇ……まぁ、怒るのも無理はない」
「……」
「つまり……それって?」
「私たちはマスターが暴れまくったとばっちりで入れられてるって事?」
コクリと、呆れた様に頷くエマ。
あっさりとした肯定に一拍の間を置いて、二人は額のシワをこれでもかと濃くして怒りを露わにする。「「マスタァァァァァァァ~~~~~!!?」」と、自分の上司の胸倉を掴み上げ睨みつける。
ぐうの音も出ないとは正にこの事。身から出た火薬に自爆させられたアスマは、されるがままで流されるしかなかった。
「まぁ、安心しな。『事の発端はバーリー兄弟、悪いのはアイツ等だ~!』って上には報告しておいたよ。まぁ、それで納得するほど上の連中も優しくないから、とりあえずほとぼりが冷めるまでは入ってな」
じゃ……お努め頑張りな? 冒険者、と。少し揶揄うような笑みを残して去って行くエマ。その姿を見送ったキキとルースは、彼女の姿が無くなったのを確認すると、ガックリ……と、肩を落とした。
「……諦めろ、オマエら。上からの命令ならアイツは逆らえねェよ。アレでも一応、それなりの立場を任命されてる公務員だからな。一生牢屋に入ってるわけじゃねェんだ……大人しく入ってよォぜ」
「よくも抜け抜けと……! マスターのせいじゃないですか……!」
「あんだけ苦労したのに、この仕打ちはあんまりじゃない……!」
「……まぁ、そう言うなって。結果オーライってことでいいだろ? ——それよりもだ……聞いたか? 今回の件で逮捕されたハンス一味なんだがな……意外と捜査に協力的らしいぜ」
——何か思うところでもあったのかもな? と、欠伸交じりに言ったアスマの言葉に、キキとルースは目を丸くする。
「「……」」
ふと、脳裏に蘇ったのはマックス・ムスターマンとの会話だった。
彼の言葉に込められた惨めさの大きさを、自分達は推し量る事が出来ない。
しかし、『近代文明に鉄槌を』と、拠り所を取り返そうとした彼らが、一体どれだけ道理の通った正義を掲げて機械を破壊していたのか、どんな信念を抱いて力を欲したのか——。その正義に、その信念に、自分達はきっと共感してしまうだろう。
冒険者とラダイト運動支持者。
時代に置いていかれた者同士、否定しきれない共通意識が自分達にはある。
支持者達は社会に奉仕し続けて来たにも関わらず、自分達を捨てた社会へ。
冒険者達は時代を引っ張り続けてきたにも関わらず、自分達を忘れた時代へ。
自分達はそれぞれ、まるで宗教徒のように信仰し続けて来た神に裏切られたからこそ、それぞれの神に並々ならぬ憤りを抱いてしまっているのだ。
【RASCAL HAUNT】という冒険者ギルドは今回、正義の側に立って民衆の平和を守った……が、一歩間違えば、自分達は彼らと共に肩を並べて、社会と時代へ牙を剝いていたかもしれない。
そう、例えば彼らのように——。
「——あれれ~? おっかしぃなぁ~? どっかで見たバカ面が揃ってるぞぉ~?」
「フハハハハ! やはり貴様らも来たかッ! 絶対に来ると思っていたぞッ!」
「や~い、や~い、犯罪者~。お前ら一生牢獄生活~」
「「……」」
二人の真面目な思考を遮ったのは、幼子のような語彙を以て冷やかしてくる冒険者ギルド【UNSAME】——否、三人の新米刑事だった。
まだ数日前の因縁を根に持っているのだろう。
ニタニタと腹の立つ笑みを浮かべる三人。大人げなく煽り立てて来る三人と顔を合わせたキキとルースは、額に青筋を浮かべて口の端を吊り上げる。
「誰が犯罪者よ! アンタ達のせいでここに入る羽目になってんだからね!?」
「……よりにもよって、何で俺たちの見張りが貴方達なんですか」
「あのチビ警部の計らいらしいぞ。積もる話もあるだろうから、だそうだ」
「……絶対嫌がらせじゃない。あの警部……!」
ルースの質問にジャンが答えた。
今の三人以上に底意地の悪い笑みを浮かべているであろうエマの顔を想像し、キキは辟易する。ぐぬぬ……! と握り拳を作った。
しかし、すぐに「はぁ~……」と。
「……止めた。どうせあの性悪警部の手のひらの上だし……」
疲れたように溜息を吐いたキキは、握り拳を解き大の字に寝転んだ。
それを見たルースとアンセイムの面々は、少し驚いたように目をパチクリとさせる。一瞬、何かを考える素振りを見せると、彼女に倣ったようにそれぞれの楽な姿勢で項垂れた。
「……それもそうですね。なんか疲れました、俺」
「ミーシャも同感」
「おれ様も右に同じく」
「表社会から仕事受けても、裏社会から仕事受けても……けっきょく俺たちの居場所はここって訳かよ……」
ルースから始まり、意気消沈した四人の愚痴が順々に薄暗い留置場に木霊する。
虚ろな目で語られるネガティブな顔つきは、さながら重労働を終えてようやく帰宅した労働者達のそれに近い。
そんな彼らの内にある感情を代弁するように、ハハハっ、と笑ったアスマが口を開く。
「世知辛いねェ」
何故だか少し嬉しそうに言い放たれたその言葉。
一番冒険者歴の長い彼には、若い冒険者達の愚痴の数々に何か染み入る部分でもあったのだろう。
しかし、そんな彼とは対照的に暗い表情をした五人の反応はたった一つ。
——はぁぁぁぁ~……と。
全くその通りだと言わんばかりに。
深く深く吐かれた盛大な溜息を以て、アスマの言葉を肯定するのであった。
_____________________________________
※以下、後書きです。
ここまでで<Episode I:To lead a charmed life>は終了となります。ここまでご愛読して下さった読者の方々は、本当にありがとうございました。一人の創作者として、これほど喜ばしい事はございません。これからもご愛読して下さると、更に喜ばしく思います。
マダラな鳩と蒸気の空 楠井飾人 @nekonekosamurai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。マダラな鳩と蒸気の空の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます