第6話

 目指すのは地下道だ。

 あの道はたまたま見つけてしまった、村の領主と他の街の領主が闇取引をするために使っていた裏ルートだ。

 嬉しいことにその街の領主が、なんとカンナが住んでいる街の領主だったりする。

 カンナと秘密裏に会うためのとっておきの道として覚えておいたことが役に立った。

 ギリギリ燃えていない家の影を通り、兵士が向かう方向とは逆方向へ。

「あの・・どこに向かうのですか?」

「黙ってろ。言葉を発するな。見つかるだろ」

 町のどこにでもあるようなマンホールの一つを開けて、

「この階段を一番下まで降りろ。地下道につながっている」

「・・は、はい」

 女を先に行かせた後、音をできるだけ立てないようにしてマンホールの蓋を閉じる。

 奴隷服に常に携帯していた懐中電灯を女に渡す。

 いつどこに行かされるかわからないから、暗闇の中でも迷わないように携帯していたことが功を奏した。

「暗いだろ。まだ電池切れはしないはずだから使え」

「私よりご自身に使ってください」

「ここで落ちられては気分が悪い。命を懸けて助けた意味がなくなるだろ。それに先行している君の安全が保障されれば、僕の安全も保障されるに等しい」

 まるで人を安全確認のための道具にしているようで気が引けるけれど、実際問題そうなのだから仕方がない。命を助けたのだからそれくらいしてほしいものだ。

 それに・・・・僕の手は未だに震えている。そんな手で明かりを持って、もし落としたりでもしたらこの真っ暗闇を手探りで下まで降りることになる。

 一段一段地下に降りていき、最下層まで降り着くと、その先に続く道には明かりが灯されていた。

「こっちだ。この先はウーランの街につながっている。そこに友人がいるから、そこからはそいつに保護してもらえ。ピンクの髪が目立つ、僕と同じくらいの歳の女だ。身長は僕よりも小さくて、目は・・・・あなたと同じく白いのですぐにわかります。あの街に、ラースはカンナただ一人だけですので」

 どうして僕の人生にはこうもラースの人間がまとわりついてくるのだろうか。

 さっきまでは焦っていたし、どうせ死ぬ人の容姿のことだからと、無意識のうちに見ることを排除していた。

 しかし落ち着いた今、女の容姿をじっくりと見る。まったく、本当にどうしてなんだよ。

 腰まで伸びて艶やかだけど、今は煤を被っていて、本来ならもっときれいな亜麻色であろう髪の毛に、大きくてクリっとした目。

 顔の造形ぞうけいの配置はあまりにも綺麗で、その容姿に通りを行く男の人ならば二度、いや三度。もしかしたら四度は見返すかもしれない。それくらい美しい容姿をしている。

 女性の平均身長より少し高めなのに、とてもスレンダーという言葉が似合い、膨らみ・・は目立つほどでないにしても、それが彼女のおしとやかさを感じさせた。

 誇張抜きにしても、それくらい『美しい』という言葉は彼女のためにあると思わせた。

 ただ僕にとっては、彼女の目が嫌いだった。 

 ほかの人からしたら、その目がさらに彼女の美貌を際立たせるのかもしれないけれど、僕には嫌味にしか見えない。

 片方は混じりけのない、それ以外の色が入り込んでいない真っ白の眼球。

 もう片方の色はベビーピンクのオッドアイ。その優しい色をした眼球と、亜麻色の髪の毛が女の純粋さを際立たせているように感じた。

 その整った容姿でにこやかに笑っただけで、この人は優しく清らかな人間だと、初対面の人間は勘違いしてしまうのではないだろうか。

 それくらい穏やかな顔立ちで、美しい女性がここにいた。

 でもその眼球の色からして、かなり高位のブレイブ能力者であることはすぐにわかる。

 完全な白色の眼球と、白に限りなく近いもう片方の目。もはや両方とも白色と言ってしまっても過言ではなく、この世界の人間だと同じような位でなければすぐに頭を垂れなければいけないほど、世間ではより神に近い人類だった。

 眼球の色を見るだけでそれくらいわかる。奴隷だから余計に。

 通りかかる人を見て、彼女のような高位の存在の人間がいないかを常に気を配らないといけない。奴隷風情が高位の人間に頭を垂れないわけにはいかないからだ。

 これまで見ず知らずの人間に頭を下げた回数は数知れない。もう嫌気がさすほどに。

 だから彼女の目が、僕にとってはただの嫌味にしか見えず、嫌いだ。

 僕は嫌々だが立膝をつき、頭を垂れる。

「申し訳ありません。焦っていた状況であったため、御身おんみのきれいな白眼に気づきませんでしたことをお詫び申し上げます。どうか、この哀れな私 わたくしのことをお許しください」

「え、そ、そんな。気にしないでください。あなたには命を助けられた恩人なのですから」

「いえ、御身のその綺麗な白眼の力であれば、あの程度の野蛮な蛮族など一捻りであったでしょう。私が出しゃばったために無惨な姿を・・・・」

 立膝をつけている両足が、両手がいまだに震えていた。

『無惨な姿』という自分の言葉に、あの場の光景がフラッシュバックする。

 未だに手に残る、人肉を切ったときのあの生々しい感触が離れてくれない。

 吹きあがった鮮血は、二人の服にしっかりと付着していて、いつどんな時でもあの人を殺したという事実を思い返させてくれた。

 奴隷として、人の死んだ姿は何度か見たことはある。

 それでもそのほとんどが餓死であり、あんな惨たらしい死に方をした人を見たことはなく、それも自分自身の手によってやったとなると、こみあげる罪悪感と、嫌悪感と、焦燥感が少しは落ち着いていた気分を悪くさせてきた。

「私はここで追手が来ないことを確認しています。ですので早く行ってください」

「で、ですが・・・・」

 早く行けよ。心の中でずっとそう思っていた。

 ここがあの兵士たちに見つかることなんてそうそうないから、安全な場所だと言えるのは確かだ。

 ただ今は一人になりたかった。人を殺してしまったという罪悪感に押しつぶされそうで、震えあがる手足を見せないように、湧き上がる吐き気を抑えて強がって見せることが精一杯だ。

 早くこの人をカンナのもとに向かわせて、一人になりたかった。 

 なのにこの女は、いつまでも僕のことを心配していて、一向に僕の元から離れようとしない。

 いい加減にしてくれ・・・・こっちはもう、限・・界・・・・だから。

「はぁ・・はぁ・・・・は・・ぁ・・うっぷ」

 我慢していた吐き気が限界に達した。

 喉の奥から昇ってくる酸が勢いよく上昇してきて、口の中に逆流してきた。

 僕は女とは逆方向を向くだけで精一杯で、隅に移動する時間はなく、その場でうずくまるように口から酸を嘔吐した。

 口の中に広がる酸の酸っぱく、どろどろとした液体に、全身が不快感を感じる。

 震える手足は未だ収まるところを知らず、吐き気も止もうとしない。

 うずくまったときに見える奴隷服についたあの男の血が目に映るたびに、酸が腹の奥から喉を通って湧き上がってくる。

 二・三度吐いたところで、女が背中をさすってくる。

「すみません。無理をさせてしまったみたいで」

 その彼女の優しさを、僕は素直に受け取ることができない。

「触るな‼」

 震える手にむちを打って、彼女の好意を拒絶する。

 まるで威嚇する野生の肉食動物のような目をしていただろう。僕の睨みつけるような視線に、彼女は怯えていたけれど、拒絶した手がずっと震えているところを見て、限界が来ていることを悟ったようで、弾かれた手で僕の手をぎゅっと握りしめてくる。

 手には僕の吐しゃ物だって少なからずついていて、衛生的とは言い難い。

 なのに彼女は躊躇うことなく、その汚い手を優しく包み込んでくれた。

「触るなって言ってるだろ‼」

 振り払おうとするがそれができない。

 男と女の体格差があっても、今の僕では手に力が入らない。

「落ち着いてください。大丈夫ですから」

 彼女のその一言を聞くだけで、なぜか身体の焦燥感や、殺人への嫌悪感、ピリピリとした嫌な気分が落ち着いていき、すっと安心できた。

 脳内から興奮を抑制させる物質がドバっと出たような、そんな急激な落ち着きに驚くけれど、本当に不思議と落ち着いた。

 なぜだかわからない。けれど彼女の『言葉』にはその力があった。

「すみません。ずっと無理をさせていたのですね。それもそうですよね」

「いえ・・・・僕の方こそ惨めな姿を見せてしまいました。すみません」

「いいんです。人を殺めてしまったことのない人間の、正常な反応ですから。私のほうが配慮が足りませんでした。少し休みましょう」

 彼女はきれいなドレスが汚れることなんて気にせず、地面にそのまま座り込み、隣に座るように地面をポンポンと叩いてきた。

 なぜか僕は拒否することができず、彼女の言う通りにした。

 それでも彼女が指定した真隣ではなく、少し距離を離して座った。

「どうして距離を空けるのですか? 隣に座ってください」

「そういうわけにもいかないのです。私と御身では身分が違います。本来お顔を見ることができるだけでも幸運であり、言葉を交わすなどありえないことです。それを通り越して、奴隷がラースの隣に座るなど、不敬にもほどがあります」

「そんなこと、私は気にしません。命の恩人に対してそんな失礼なことをするほうが不敬というものです」

「そういうものでは・・・・」

「あなたからこちらに来ないのでしたら、私があなたの隣に行きます」

 近づいて来ようとする彼女と、距離を離すようにまた僕が移動する。

 さらに彼女が詰め寄ってこようとする、僕が離れる。詰め寄る、離れる・・・・それを数度繰り返したところで、彼女が頬を膨らませた。

「どうしてそんなに拒絶するのですか。私はあなたとお話がしたいのです。そんなに距離を作られてはこちらも悲しいです。何か私を拒絶する理由がありますか? っは‼ 今日つけている香水がお気に召しませんか? 私としては気に入っているのですが・・・・」

「そういうことではありません。単純に身分の違いというものです」

「ですから私は・・・・」

(っち、イライラさせるな)

 思わず本当に舌打ちをしてしまいそうだった。それくらいしつこかった。

「貴方様が気になさらなくても、そうすることが常識なのです。私と会話をしたいという考えも非常識です。ラースであらせられる御身が、アキアスである私と会話など本当はしてはいけないのです。ですが、今は御身を逃がすことを優先しなければいけないのに、不覚にも私なんかの体調を考慮していただける。その慈悲を享受させていただいているのですから、それだけで感謝しなければいけないというものです」

 まくしたてるように放つ自分の言葉が、少しずつ語気が強くなっていることが自分でもわかる。 

 でもそうだ。ラースである自分の身分もわきまえずに、奴隷である僕と話がしたいだなんて非常識にもほどがある。それがわからないなんてどれだけ世間知らずなんだ。

 まぁ、でもそれも知れると言ったところか。なんて言ったって、あんな村に一人で来るような人だ。

 付き人がついているようには見えなかった。出会った時にはすでに襲われている時だったから、護衛が死んでしまったという可能性もあるけれど、そうは見えなかった。

「私の言葉が気に入らなかったのでしたら謝罪します。しかし常識、非常識という言葉で片付けられては納得できません。そんなものは過去の誰かが勝手に作り出して、それを現代人が勝手に必要なものだと思い込んでいるだけのものですから」

 そういう彼女の言葉に、納まっていた興奮状態が再度湧き上がってくる。

 その興奮状態は怒りという形をとって、怒声が口から勝手に出ていた。

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