第2話

 目を開けると、そこは真っ暗闇だった。

 ただ、何も見えないというわけではなかった。一か所だけ明るくなっている。

 ただ周りから見れば明るいと言っていいが、決して眩いとは言えない怪しい光を放った玉座がポツンと一つ置かれていて、そこには誰も座っていなかった。

 何が起きたのかわからず、辺りを見回してみるけれど玉座周辺以外は明かりも灯っていなくて、ろくに見ることもできなかった。

(どういうことだ? 俺は確か事故に巻き込まれて、救急車に乗せられて・・・・あぁ、そうか、俺死んじゃったのか。だからこんな真っ暗闇の中に・・・・親より早く死ぬと地獄に行くって言われるけど、それって本当だったんだ)

「悪いが地獄の苦しみはこんなものではないぞ」

 どこからともなく声が聞こえた。

 どこにも人の気配なんてないのに。

「だ、誰?」

「ここだ」

 声のする方を振り向いた。

 さっきまで誰も座っていなかった玉座に男が座っている・・・・いや、あれは人と言えるのだろうか?

 白髪赤眼。男とは思えないほどの美形。上半身はほぼ裸体で、はだけている身体には盛り上がっているほどではないにしろ、上質な筋肉がついている。ここまでならまだ人間だとも思えた。

 しかし彼の背中には、重なっているけれど漆黒の羽が複数枚生えていて、神話に出てくるような真っ赤の巻き角が二本。

 腰には二本の刀を携えている。片方は鞘が赤褐色に染まっていて、その鞘の中から炎のようなものが漏れ出ている。もう片方のほうは群青色の鞘に、中から冷気のようなものが漏れ出ていた。

 そもそもはだけている肌が人のそれではない。肌が白いという域を超えている。真っ白。純白。何か白い粉でも上から被ったのではないかと思うくらいには。

 人の形をして、人の成りをして、人の顔をしているが、おおよそ人間と呼ぶには難しい姿をしていた。

 彼を形容するのなら天使・・・・いや、どちらかというと悪魔と呼ばれる部類のものに見えた。

「その通りだ。我は悪魔。しかもそこらの悪魔とはたちが違う。魔界の統括者にして、悪魔の王。大悪魔ルシファー様とは我の事だ」

「ル、ルシファー・・・・ってあのルシファー? ゲームとかによく出てくる」

「人間の娯楽に出てくるものと一緒にしてもらっても困る。貴様、神話は呼んでいない達の人間か?」

「申し訳ないけど、俺日本人だから。キリスト教のことはよくわからないんだよね」

「ふん。まぁいい。むしろ神話を知らぬ無知の人間にも、我の名が轟いていることに喜んでおこう」

 ルシファー? は玉座で膝をくんでこちらを見下すように俺のことを眺めてきた。

「えぇっと。それで魔界を統括している方が俺に何の用でしょうか? 俺は死んだはずなのですが」

「貴様は馬鹿なのか? 死んだからこうして悪魔と出会えるのだろうが。しかしまぁ、ここは死の世界とは少々違うのだが」

 死の世界じゃない? どういうことだ? じゃあここはいわゆる三途の川的な、死者と生者を分ける場所? 

 冗談じゃない。死に切れていないなんて、俺は嫌だぞ。

「安心しろ。ここにいるお前は、現世から見ると確実に死んでいる。今のお前を構築しているその姿は、霊体のものだ」

「霊体のもの・・・・って、さっきからちょくちょく頭の中呼んでくるのやめてもらっていいですか」

「っふ、悪魔を前にしてそのような大口を叩けるとは、さすがは無知の人間は礼儀を知らなくて困る。別に構わんが、貴様の霊体ごとき消し炭にできることは承知の上で話すのだな」

 片方の刀を鞘から抜き取る。

 鞘から漏れ出ていた炎のようなものは幻覚でも何でもなく、刀そのものが燃えていた。

 霊体だからか熱さの感覚はないけれど、剣先をこちらに向けてきただけで指の先からだんだんと煙が立ち上り黒く焦げていく。

 不思議と痛覚はないけれど、自分の指が燃えていく瞬間を見せられるというのは存外嫌悪感を抱くもので、

「わ、わかった。わかったから、燃やさないで・・ください」

「そうだ。人間のような下等生物は我に敬語を使うべきなのだ・・・・と言いたいところだが、堅苦しいのも気に入らん。不快になるような言動さえ慎んでくれればよい」

 刀を鞘に納めると、炎も鞘の中に納まり俺の指先から立ち上っていた煙も一瞬で消え去った。

 さらにはなぜか指先が戻った。

「霊体だから視界に映っているものは映像のようなものだ。実体でもなければ、いかようにも戻る。だからこそ、地獄では永遠と続く苦しみを味わい続けるのだがな」

「なるほど・・・・俺はあまり地獄の苦しみとかは知りたくはないですが・・・・ところでここは地獄ではないんですよね。しかも死の世界とは違うとも言っていた。じゃあここはどこなんですか?」

「ここは死者の魂を世界に帰すか否かを決める場所だ。輪廻転生という言葉くらいは聞いたことがあるだろう。死者の魂を再構築して、現世に違う形として送り込む場所だ。本来なら天使や神が赴く場所なのだが・・・・実は今立て込んでいてな」

「立て込んでるからって地獄の悪魔を使うんですか? 意外と天使と悪魔って繋がりがあるんですか?」

 ルシファーは「ハァ」と大きなため息をつき、

「そんなわけあるか。ただ巡り合わせが重なっただけだ。それに我は神への忠義が無くなったわけではない。一時は敵対し、天界を追放され、魔界に落とされたとしても、我は今でもあのお方達を敬愛している。天界の天使どものことは気に入らんが、同じく神を敬愛する者として頼みを受けてやっただけに過ぎん」

 悪魔と言えば神や天使の敵対者というイメージがあるけれど、そういうわけでもないんだ。それともこの人だけが違うということなのかな?

 ルシファーは一度咳払いをすると、脱線した話を元に戻した。

「まぁ今はそんなことはどうでもよいのだ。我がここに貴様を呼んだのは、貴様に選択肢を与えるためだ」

「選択肢・・・・ですか?」

「そうだ。地獄に落ちるか・・・・それとも異世界への転生を選択させてやろうと思って呼んだのだ」

「異世界、ですか? そんな漫画の世界みたいなことを言われても・・・・しかももう一方の選択肢が地獄って。もっとほかにないのですか? 魂を漂泊して、まったく新しい命として現世に戻す・・みたいな」

「ふん、我はそこまで優しくはない。親より先に命を落とし、神から授かった大事の命を無駄にするような奴を、現世に戻してやる理由なんてないわ。転生が嫌なら地獄行きがお似合いだ」

 あまりにも両極端だな。

 でも異世界転生か・・・・漫画の世界なら強い力をもらったり、便利なスキルをもらえたりするけど・・・・それをもらってもうまくやっていける自信はないなぁ。

 俺、現世ではただのサラリーマンだし。しかも結構臆病だし。

「地獄は怖いけど、異世界もなんだか怖いなぁ・・・・これって全員にこんな選択肢を与えているんですか?」

「そんなことはない。今回、貴様が我らにとって使えそうな人であったからここに呼んだ。で? 先ほどの返事を聞かせてほしいな」

 さっきの返事・・・・というと異世界転生か、地獄か、という究極になり切れていない選択の事か。

 普通なら転生を選ぶんだろうけど・・・・そんないきなり言われても困るよなぁ。

 それに他の人と違うことに関して、何も聞いていないし。

「あの。一つ質問をしてもいいですか?」

「さっきから質問を勝手にしているだろう」

「まぁそうなんですけど・・・・じゃあ遠慮なく。さっきあなたは俺が使えそうな人間だったと言っていましたが、それは異世界に転生させるのに都合が良かったということですか?」

「そういうことだ。まぁそれが貴様をここに呼び出した理由でもあり、神や天使が立て込んでいる理由でもある。どうしても貴様が地獄がいいというのならこの話はなくなるが、神は貴様に転生することを望んでいる」

 どうしても地獄行きになりたい人間がどんな人間か知らないけど。 

 でも俺が神様を困らせるようなことをしただろうか? 人間一人の死くらい、神様にとっては普通のことだと思うけれど。

「あの、俺が異世界に転生するのに都合が良かった人間って言うのはどうしてなんですか?」

 ルシファーは俺の質問に一度考え込んだ。

 言うべきかどうかを迷っているのだろうか? そんなに言いにくいことだというのか?

「まぁいいか。別に口止めされているわけでもないしな。それに我に仕事を任せきるくらいなのだ。何を言われても文句は言わせん。

 貴様は一度、別の世界の力に触れているのだ。だから異世界転生への抵抗力を身に着けている。それに少々厄介なことがあってな。そこには神でも天使でも、無論我でも手出しができないのだ。別世界だからな」

「どういうことですか? 俺は別世界の力になんて触れた覚えはないですよ。そもそも神様や異世界があるなんて思ったこともないですし」

「だから、知らずのうちに触れているのだ。貴様が死の間際を彷徨った時、どこかから声がしなかったか?」

 声? 何か聞こえただろうか。そもそも意識が朦朧としていたからはっきりと覚えていない。

 しかし、何か聞こえたと言われれば・・・・そんな気がしなくもない。

「ぼんやりとしていてあまり記憶にはないんですけど、変な声が聞こえたような気はしました。あれは・・・・確か・・・・そう‼ 神様だと言っていました。祈りが強ければ強いほど俺の祈りに応えてくれるって」

「そうだ。その神を名乗る輩・・・・実はそいつは、神様ではないのだ」

「え⁈」

 神様じゃない? 一体どういうことだ? 

 でもあれはどう聞いても人間の声には聞こえなかった。俺の頭の中に話しかけている感覚だってあった。そんなこと人間にはできないだろうし。

「いや、神様ではない、という言い方は適切ではない。実際には神様ではある・・・・我々とは別世界の神だ」

「別世界の・・神? 一体どういうことですか?」

「実は、それが今神たちが忙しくしている最大の理由だ。端的に言うと別世界の神が、別世界の住人である貴様に干渉するという禁忌を犯した」

「禁忌・・・・ですか?」

「そうだ。基本的に神は自分の世界の住人、いわゆる自分の世界の人間や生物、自然現象にしか干渉してはいけないんだ。もしほかの世界の住人に手を出すと、歪みを生んでしまうから。

 その歪みの修正は極めて困難で、それを修正する間は、ほかの人間以外に構う余裕がなくてな、その間にまた他の歪みを生んでしまう。つまりは他の世界線の神たちに多大なる迷惑がかかるということだ。さらには自分の世界にも何かしらの異分子を生んでしまう可能性が大いにある。結果、二つの世界が狂ってしまう可能性がある。それによって世界自体が滅びる可能性もあるのだ」

「よくわかりませんけど、かなり大袈裟な話ということくらいは伝わります」

「だが実際そうだ。例えば歴史上の偉人と呼ばれる人間が、他の世界の神に干渉を受け、存在しない世界線にされた時、未来は大きく変わる。本来起きるはずだった事象が起こらないのだから、正しい未来と時間軸が歪み、その修正をする必要がある。その歪みが大きければ大きいほど、修正に時間がかかる。人間の時間にして数千年はかかるだろう」

 例えばあの人がいなかったら・・・・あの人が違う考えに書き換えられたら・・・・なるほど、確かに全く違う日本という国に、世界になっていたかもしれない。

 もしかしたら世界大戦が起きなかった世界になっていたかもしれないし、今でも世界中が争って、焦土と化している世界線になっていたかもしれないということだ。

 それは禁忌にされるのは、なるほど納得いく話だった。

 でもそれなら一つ気になる点がある。

「でも、それは未来に何かしら変わるきっかけを与える人の話ですよね? 俺はただの一般のサラリーマンですよ? まさか⁈ 俺は将来世界を動かすような人間になっていたとか⁈」

「思いあがるな・・・・と言いたいところだが、知らん。貴様のせいで世界が変わるかどうかなんて今の我らでもな。過去を見て修正することは可能でも、これから起こる未来のことなど知る由はない・・・・それでも、貴様に干渉した別世界の神のせいで、世界に歪みが生じたのは事実だ。貴様が起こした歪みは指のひび割れ位の些細なものだが、それでも生じたその歪みの修正には数十年はかかる見込みだ」

 最初は酷いことを言われて少し傷ついたが、それでも何でもない小市民である俺に他の世界の神が干渉するだけで、数十年も修正に時間がかかるとなると相当なものだと理解できる。

「まぁ貴様にとっては、世界の歪み云々よりもっと重大なことを伝えないといけないな・・・・いや、謝罪しなければいけないこと、というべきだな」

「俺に謝罪ですか? いったい何を?」

「先ほど我は言ったな。他の世界線の神が干渉を行うと、本来起こるはずだった事象が起こらないと。未来が変わってしまうと。貴様とて例外ではない。貴様にはつがいがいたな。貴様を助けて死んでしまった女子おなごのことだ」

かえでのことですか?」

 花野はなのかえで。それが彼女の名前だ。俺と結婚する予定だった彼女。それがどうしたのだろうか。

「確かそのような名前だったな。我は人間の名前を覚えることが得意ではない。毎日数多あまたの人間が地獄に来るのだ。覚えてなどいられまい・・・・それよりもだ。死んでしまった女子だが、あれは本来死ななかったはずなのだ」

「へ?」

 衝撃的なことをサラッというルシファーに、変な声が出た。

 だってそうだろう。急に楓は本来死ななかったはずだなんて言われたら、驚いて当然だ。

「貴様の言いたいことはわかる。いきなりそんなことを言われても驚きを隠せないというところだろ」

「い、一体どういうことですか⁈ 楓が本来死ななかったって。もしかして俺がそのほかの世界の神の力に干渉したから、楓が助からなかったということですか?」

「端的に言えばそうだな。貴様が他の世界の神と干渉していたことによって、本来助かるはずだった女子の未来が歪んでしまい、それよって死んでしまったのだ。貴様もその例外ではないがな」

「そ・・そんな・・・・」

 俺がほかの世界の神様に干渉しなければ、楓は助かった・・・・俺がほかの神様なんかに祈らなければ、未来が歪むことがなかった・・・・全部、俺のせい。

 本来なら掴めたはずの幸せが・・未来が・・・・俺の安易な祈りのせいで・・・・

「思いあがらないでもらいたい。先に言ったであろう謝罪しなければいけないと。そもそも他の世界の神が貴様に干渉したこと自体が、我々の不注意の産物なのだ。

 本来、他の世界を繋ぐ扉は厳重なセキュリティと、天使の見張りによって守られているはずなのだ。だがなぜかわからないがその禁忌の扉が開かれて、別世界の神の干渉があったのだ。我々がしっかりと監督して、対処していれば起こらなかったことなのだ。貴様はただの被害者であり、貴様にできたことなど何もない。それにいち早く気がつけなかった我々に責任がある」

 そう言われたとて、すぐに気持ちの変換も、責任のなすりつけもできないというものだ。

 そもそも俺があの時周りをもっとよく見ていたら・・・・俺が雪道にもっと慣れていて、転びさえしなければ・・・・もっとほかにできたことがあったのではないか、そう考えてしまう。

「まぁ、貴様が責任感を感じてしまうのも無理はあるまい。我としては醜く他者に責任をなすりつけようとするものより、そちらの方がよっぽど美徳だ」

 別にそんな綺麗なものでもない気がする。責任をなすりつけてすっきりするのならそうしたい。それで彼女が返ってくるのなら、俺たちの未来が戻ってくるのならそうしたい。

 でも楓はもう戻ってこないし、俺も死んでしまった身だ。二度と会うことのできないのに、他の奴らに責任転嫁して怒ったところで、何も変化しないというものだろう。

 だからいっそのこと自分が悪かったと、自分に責があると自覚していたほうがまだ気の持ちようがあるんだ。

 自分では干渉しようがない、どうしようもない力に抗うこともできず、ただ未来を奪われたなんてそんなのはやるせないから。

「いい考えだ。抗いようのないものに自責の念を抱ける人間の考えは美徳であり・・・・そして傲慢でもある。我はそう考えられる人間が、とても好ましい」

 何が面白いのか高らかに笑うルシファー。こちらは笑うような気分じゃない。

「のう、貴様。もしの神に抗うことができたとしたらそうしたか? それが無駄だったとしても、それでも貴様の番を助けるためならと、神に戦いを挑めたか?」

「どうしてそんなことを今・・・・」

「答えよ。あの時でなくてもよい。今でも、もし彼奴きゃつと争うことで、貴様の番を助けられるのならば戦いを挑めるか? 自分の大切なもののために身を投げ出せるか?」

「・・・・きっと戦った。それが無駄だったとしても、それでも俺は本当に楓のことが大好きだったから。彼女を守るためなら戦ったし、それができなかったとしても、抗って死んだ方がまだ自分を誇りに思える・・・・そう思える気がする。一度理不尽に奪われた今だからこそ、もっと強く感じられる」

 ルシファーは急に玉座から立ち上がり、拍手をしながらこちらに近づいてくる。

「よく言った‼ 貴様ならそう言うと思ったのだ。人の身でありながら、自分の大切なもののために神に戦いを挑めると言えるその傲慢さ。番のために命を投げ出せるその一途な思い。それがあると思ったから、我は貴様をここに呼ぶ大役を神から譲り受けたのだ」

 一体どういうことだろうか。好きな人がいるのならこれくらいなら応えられるものではないだろうか。

「実際問題そうもいかないものだ。多くの人間は自分が可愛くてしょうがないものだ。特に現代の人間は自分の殻にこもりがちだからな。それを悪いこととは言わんが、他者に自分の命を差し出すことも命の美しさというものだと、人間の美しさであると、我は思うのだ」

「はぁ、そうなんですね・・・・でもこの会話に何の意味があるんですか? もうあの時のことを思ったとして、楓は帰ってこない。助けられなかったのは事実なんですから」

「そうでもないと言ったらどうする?」

 何か面白いことを思いついているような、おもちゃを見つけた子供のような笑みを浮かべるルシファー。にやりと浮かべるその笑みの真意は、俺にはわからなかった。

 だけどその笑みから伝わることは、俺に抗う手段を与えようとしているようにも思えた。

「実のところ、貴様の番はまだ生きている」

「ど、どど、どういうことですか⁈」

 またも驚くべきことを言うルシファーに、食い気味に聞いてしまう。

 その俺の態度にルシファーはまたにやりと笑って、言った。

「貴様の番はまだ生きている。この世界ではないがな」

「この世界ではない・・・・ってことは」

「そうだ。貴様に干渉した神の世界線で生きているのだ。正確には貴様に干渉したとき発生した歪みに引っ張られるようにして、貴様の番の魂は彼奴の世界に転移したのだ。自ら異分子を自分の世界へと引っ張ってしまったのだ。

 神たちはこれを好機と捉えた。別世界で貴様らの魂がともにいることによって、こちらの世界で生じた歪みを帳消しにすることができるのだ。我々としても歪みの早期修正に成功し、貴様らも姿は違えど共にいられる。どうだ? 妙案だろう?」

 まだ楓は生きている。また楓といられる。

 その言葉だけに俺は引っ張られた。それは暗闇の中に与えられた一筋の光だった。

「ただし転生するにあたって、貴様の記憶や人格は漂白される。しかも自分の世界の神によって引っ張られた番とは違って、別世界の、しかも悪魔によって転生されたとなれば、出会える確率はおろか、生活の質が天と地ほどの差がある可能性がある。それでもいいか?」

「行く。俺にとってはどうしようもないところで楓を失って、真っ暗闇だった俺に与えられた最後の一縷の望みなんだ。それを無駄にはしたくない。それに可能性の問題ってことは、確率論だろ? 

 確率論に零はない。俺が楓を思う気持ちさえあれば、たとえ人格や記憶を失ったって、たとえ・・・・世界に、神に挑むことになったって、どんなことをしてでも、もう一度彼女と一緒にいてみせる」

 俺の言葉に再度ルシファーは高笑いをした。

「いいぞ。よく言った。神に挑むなんて傲慢極まりないが、その傲慢さを持てるのも人間の特権の一つだ。ならば何も言うまい。貴様を彼のものの元へと転生させよう」

 ルシファーは一度数歩離れると、振り返り俺に手を向ける。

「我、傲慢の悪魔、魔界の王がすべての神に祈り申し上げる。彼の者、理不尽な力によってすべてを奪われた哀れなる羊に手を差し伸べたまえ」

 ルシファーの手が青く光り輝いたかと思ったら、俺の足元に魔法陣が現れた。

 そのまばゆい光に目をくらませ、目を閉じ、恐る恐る目を開けると・・・・身体が宙に浮いていた。

 天井に移る魔法陣にまるで引き寄せられるように、吸い込まれるように、だんだんと高度を上げていく。

「あぁ神よ。我の願いを聞き入れる主の偉大さに、慈悲深さに、多大なる感謝を。

 神の軌跡に敬意を称えよ。そして、我ら主が作りたもうた大地に不貞を侵す輩に鉄槌てっついを。神の導の元、汝、神の代弁者として、彼のものに神のいかづちを落とせることを誇りたまえ。父と子の名のもとに、我らが神の名を轟かせよ」

 そう言い切ると同時に、俺は魔法陣に完全に飲み込まれ、それと同時に意識はぼんやりとしていき、ふわふわと宇宙を漂っている感覚だけが俺に残っていた。

 だんだんとそれ以外の感覚がなくなっていく。

 俺は誰だったか。なんでこんなところで漂っているのか。何のためにこんなところにいるのだろうか。なんでこんなことを考えているのだろうか。

「忘れるな。汝が傲慢の罪を。忘れるな。おのが役目を。時来たらば、我が神の代弁者として、汝の力となろう」

 誰かの声が聞こえる気がした。もうそれが誰の声だったかなんて覚えていない。

 汝の罪とはなんだ。己が役目とはなんだ。わからない。

 わからないままただただふわふわと漂い続け、そしてどこかに吸い込まれるようにして、俺の意識は完全に途切れたのだった。

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