第5話

 コンクリートなんて高価なもので作られていないこの村の建物は、火を射掛ければそれは燃える。勢い良く燃える。天にも届く勢いで燃え広がる炎の柱が、窓の外に見えた。

 外から聞こえる悲鳴、泣き声、断末魔、怒号。

 銃をとっている人間は、窓越しからでもすぐにわかった。

 大きなわしがあしらわれたその軍旗。帝国軍によるものだ。

 こんな奴隷区には武具なんてものなんて存在しない。襲われたならただやられるだけの肉壁なのだから。

 だからラーナもアキアスも関係なく、ただ逃げ惑う人たちで外の道はごった返していた。

 逃げそびれた僕は、家の中でひそかに息を殺していながら・・・・この状況を喜んでいたのだ。

(ざまぁみろ・・ざまぁみろ・・・・ざまぁみろ‼ 日頃の行いの悪さが祟ったんだ。そのまま泣きわめいて、悲壮な声をあげながら悶えて死んで行け‼ それから・・・・僕だけは、助けてくれ)

 だんだんと呼吸がしづらくなってくる。緊張感と、生きたいという焦りと、物理的に煙が部屋に充満してきて、酸素を求めて這いつくばる。

 霞む視界に映ったのは、少しだけ開いている裏口だった。

 そこを目指して必死にもがく。

(嫌だ・・嫌だ・・・・こんなところで、こんな奴らと同じように死んでいくなんて嫌だ‼ そんなのはまっぴらごめんだ‼ こいつらの無様な死体を見て嘲笑あざわらってやるんだ)

 煙が目に沁みこみ、あふれ出す涙が視界を滲ませて、辺りを舞うほこりが僕の呼吸を阻害する。

 それでも僕だけは、僕だけは生き残るんだと、それだけ考えて裏口まで必死にもがいた。

 裏口のサッシを何とか掴み、ありったけの腕力をもって自分の身体をこの煙まみれのぼろやから引っ張り出した。 

 転がるようにして外に出ると同時、さっきまでいたぼろやの木材の耐久がついに限界を迎えて、崩れ落ちた。

 あと数秒でも遅かったら、あと数秒でもあのサッシを掴む手が遅かったら、僕は燃える木材の下敷きだったと考えると、背筋が凍るような気がした。

 けれど・・・・僕は生きている‼ こんな運さえも手に入れている。今日はついている。

 きっと僕だけ生き残れと、神様がそう言っているんだ。

 いや、これは僕の今までの不幸の日々のおつりが返ってきているだけだ。決して人の祈りを聞き届けない神などのおかげだなんて思ってはダメだ。

 これはすべて僕の実力だ。ついている僕ならば、この場からだって生き延びられる。何という幸運な男だ。もし今日という日を生き延びられたのならば、今までの不幸さえも帳消しにしてしまってもいいな。

 さてと・・・・脱出できたのは良いが、どの道をたどって逃げようか。

 幸いにも、この辺りはすでに帝国軍が踏み荒らしていった後の場所だったようで、残っている兵もほとんどいない。

 つくづくついている日だ。あとは逆側の通りを通って逃げ出すだけだ。

 そうだ、このまま帝国へと亡命してしまおうか。どうせ身分は変わらないだろうけれど、こんなお金のない新国よりはましな生活ができるのかもしれない。

 そう思って王国城下とは真逆の、帝国への道のりへと走ろうとしたとき、一人の女の子の叫び声が聞こえた。

「助けて‼ 誰か‼」

(馬鹿か⁈ この村には誰かを助ける余裕なんてないのは自分が一番わかっているだろう。ついていない自分を呪うんだな)

 そうしてどうせ死ぬであろうその人の死にざまを、心の中で嘲笑ってやろうと思い、声のする方に振り返る。

 首を振り返らせるこの数秒の出来事が、この行為が、僕の人生を大きく変えるきっかけになったのだった。

 

 振り返った先にいた女の人は、大層上品な召し物を身に纏っていて、それだけでこの国においてどれだけ裕福な暮らしをしている人間かがうかがえた。

 決してこの村の住人ではなく、こんな村とはかかわりのない人であることには間違いがなかった。

 そんな人が地面に這いつくばいながら、見回りの帝国軍人から必死に逃げている。

 いや、逃がしてもらっていると言ったほうがいいだろうか。帝国軍人も逃げている上流貴族の姿を見て楽しんでいた。

(なんだ? 村の住人の徴収に来た国からの使いの人間か? いや、こんな上品な身なりをしている人間が直接徴収に来るわけない。けれど、まぁいいか。どうせ死んでしまうんだし、なんならこんな上流階級の人間の死にざまを拝む機会なんてそう来ないだろうしな。せいぜい今日という日に、この村に来てしまったことを後悔しながら死んでいくんだな‼)

 自分でもひきつった笑顔を浮かべているのがわかる。

 人の死にざまを見ること自体初めてだったし、十五歳というまだ若い自分の脳が見るのを止めるように制限をかけていたけれど、僕のエゴが、欲望が、この女の死んでいくところを見たいと叫んでいた。

 なんて醜く、卑しく、そして愚かな人間だろうか。人の死ぬところを見て喜んでいる。サイコパスであることには間違いない。自分がこんなにも薄汚い人間であることに驚きを隠せない。

 しかし、もうすぐで彼女が建物の角まで追い込まれる・・・・というところで急に頭痛が走った。

(なんだ・・なんなんだ・・・・今いいところだから邪魔をしないでくれ)

 頭痛はだんだんと酷くなり、さらには聞こえるはずのない声・・幻聴までも聞こえてくる。

『忘・・・・。汝が傲慢の罪を。・・・・な。己が役目を。時来・・ば、我が・・・・者として、汝の・・・・う』

 ところどころが途切れていて、なんて言っているのかわからないけれど、なんだかとても懐かしい声のような気がした。

(汝が傲慢の罪? 己が役目? 何のことだろうか。今の僕の役目は、この女の死にざまを見届けることだ) 

 激しさを増す頭痛に耐えながらも、女の方へと視線を向ける。

 すると女と視線が交錯した。女がこちらを見ながら訴えかけてくる。

「助けて‼ お願い‼」

(こっちを見るなよ。気づかれるだろ)

 苦痛ともいうべき頭痛で、こちらは今見つかれば逃げ出すことさえもままならないだろう。

「助けて‼ 助けて‼ 助けて・・・・」

 慈悲もなく剣を振りかぶる帝国軍兵士。助けを懇願する声もだんだんと小さくなり、足が震えあがっている。恐怖に顔が段々と青ざめていき、足の隙間からは黄色い液体がこぼれ出ていた。

 あぁ痛い。頭が痛い。激しさを増す頭痛が、正気を保てなくなるくらいにはなっていた。 

 さらには幻聴の音量もだんだんと大きくなって、強く主張してくる。

「忘れるな・・・・忘れるな・・・・己が役目を・・・・忘れるな・・・・」

 あぁ、何なんだよ‼ なにを忘れるなっていうんだよ‼

「忘れるな・・・・己が傲慢の罪を。忘れるな忘れるな忘れるなわすれるなワスレルナ」

 なんだよ・・なんなんだよ・・・・俺が何を忘れているっていうんだよ。

 ん? 俺? 僕は自分の事を俺なんて言わない。

 誰だ⁈ 僕? 俺? 僕は誰なんだよ‼

「忘れるな。汝が傲慢の罪を。忘れるな。己が役目を。時来たらば、我が神の代弁者として、汝の力となろう」

 この声は僕に何を求めているんだ‼ 俺とは誰だ‼ 僕とは・・・・誰なんだ。

 この声が聞こえだしたのは、あの女が襲われ始めたときからだ。

 だったらこの声は、あの女を助けることを求めているのか? 冗談じゃない‼ 

 あんなところに飛び込めば、確実に死ぬ。丸腰の僕が勝てる相手じゃない。完全武装している兵士相手に、アキアスの僕が敵うはずがないんだ。

「忘れるな。汝が傲慢の罪を。忘れるな。己が役目を。時来たらば、我が神の代弁者として、汝の力となろう」

 何度も繰り返してくるこの声と、激しさを増す頭痛は、僕がこの考えにたどり着いて尚、その役目を果たそうとしないことへの罰だというのか?

(痛い・・痛い・・・・痛いって言ってんだろ‼ あぁ、もうわかったよ‼)

 己の役目なんて知らないし、僕は罪を背負った覚えもない。 

 勝手に僕のことを俺と言わせた奴の役目のことなのかもしれないけれど、じゃあ俺はどこにいる? 俺とはいったい誰のことを指すのか。

 だけど今そんなことを考えても頭痛が止みそうにない。わかったよ、行けばいいんだろ行けば‼ ただこれで死んだら、俺のことを一生恨んでやる。

 こちらに気づかない帝国軍兵士は、失禁している女の姿を見て悦に浸っていた。

「へへ。可愛いねぇお嬢ちゃん。そんなに俺が怖いのかい? このまま持ち帰って、全員の前で俺が貪るってのも一興のような気がするね」

「いや・・いや・・・・やめて・・・・来ないで」

 無理矢理彼女の手を掴み、抵抗する彼女の姿を見て余計に楽しくなっている兵士は、こちらに気づいている様子が一向にうかがえない。

 彼女の頬を舐め、足に垂れている尿を舐め、屈辱に悶える彼女を見て、存分に悦に浸っている。

 女の方は僕とずっと視線が交錯している。僕が恐る恐る、できるだけ音を立てず近づいていることを理解して、自分のできる限りの抵抗をして、視線を自分に釘付けにすることに注力してくれていた。

 あと一歩・・もう一歩・・・・兵士との距離は少し手を伸ばせば甲冑に手が届く距離まで来ていた。

 これだけ近づけば後ろから押し倒せる。押さえつけて、拘束して・・・・その後は? どうすればいい。仲間の兵士を呼ばれたら一巻の終わりだ。

 わからないけれど、ここまで気づかれずに近づけたのは奇跡だ。こんなところでも幸運を発揮しないでほしかったけれど、それでもこれ以上ない好機だ。

 だから後先考えずに、背後から男に飛び乗って押さえつける。

 顔面を下にして押さえつけたことによって、地面に歯と鼻と、とにかくいろんなところを強打した。

 女のことをいじめることに悦を感じていた男は、顔を甲冑から出していたことで守るものがなかった。

 強打したことに悶えている兵士に馬乗りになり、

「足を拘束しろ‼」

「え・・・・あ、はい‼」

 僕が両足を使って兵士の腕を、女が全身を使って必死に暴れる兵士を拘束した。

 それで・・・・この後は⁈ どうすればいい⁈

 気絶するまで殴り続ければいいのか? 筋肉だるまの帝国兵士の強靭な身体と精神を崩せるほど、僕の身体は強くはできていない。そもそも甲冑を着ている人間を素手で殴ったってどうしようもないだろう。

 その前に拘束する力が無くなって、仲間を呼ばれて終わりだ。

 どうする・・どうすればいい・・・・どうすればこの場から逃げられる? どうすればこの場から生き延びられる?

 辺りを見回すと、割れたガラスの破片が散らばっていた。

 混乱状態に陥っていた僕の脳内の選択肢には、これしか思い浮かばなかった。

 ガラスの破片の中から特に大きなものを拾い、割れた鋭利な角を・・・・兵士の首、頸動脈目掛けて思いきり振り下ろした。

 動脈が切れたことによって吹きあがる血しぶき。突き刺したガラスが血の勢いで飛んでいくくらいには噴き出した。

 人間からこんなに血が吹きあがったところを、僕は見たことはない。

 あまりに凄惨な光景に、顔が青ざめていることが自分でもわかる。人を殺した『記憶』がない僕には、あまりに刺激的過ぎる体験だった。

 ガラスが刺さったその瞬間は、痛みに悶えたようだったけれど、すぐに動かなくなった。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・うっぷ」

 喉の奥まで出かけた吐き気を、何とか飲み込んだ。

 そうだ。こんなところでゆっくりしている時間はない。すぐにこの場を離れないといけないんだ。

 遅れているこいつのことを不安に思った仲間がここに来たら、今度こそ僕にはどうすることもできない。

 何とかしてこの場を離れないと・・・・それに、

「こっちだ‼」

 女の手を強引に引っ張り、火の手が少ない路地裏へと走らせた。

 この女を安全な場所まで連れて行かないと。なぜかそう考えさせられる。

 もしかしたらこの女を安全な場所まで連れて行かないと、またあの激しい頭痛に悩まされるかもしれないと、無意識のうちに考えていたのかもしれない。

 けれどそれは後日そう思った事であり、今は何も考えずただこの村から離れることだけを考えていた。

(カンナのいる場所なら・・・・カンナのいる住宅街には近衛兵がたくさんいる。そこに行けば安全なはずだ)

 幸か不幸か、奴隷の仕事をしていると、村の構造をより詳しく知ることができる。

 どこに何があって、どこがどんなところにつながる道なのか。人通りが多いメイン通路とは違う道で、ほかの村に出るためにはどの道を通ったらいいのか。

 余計な知識だと、どうせこの村から出られないんだと皮肉に覚えていた脳内地図が、こんなところで役立つとは思ってもいなかった。

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