第5話
帰り道の車内。
ユウニ先輩は尚も柳田先生の事を話し続けていた。
「今回、先生のロマンチストな側面ばかりを持ち上げてしまったけれど、それは柳田国男の持つ一側面に過ぎなくて。実の所、先生は相当なリアリストでもあったの」
救いの神を求めながらも、夢想だけに逃げるような人ではなかったらしい。
食糧難を撲滅して日本人を救うべく、農学を極めて農商務省の役人にまでなったのだから立派なものだ。
東北地方の農村の実態調査を行い、仕事柄多くの農民と接触を持ったそうだ。そうして築いた人脈が『遠野物語』を執筆する上で一助となったのも想像に難くない。
「先生が知りたかったのは『日本人が妖怪を信じるに至った理由』そこには自然と闘う農耕民族の歴史がある」
そう語る先輩の横顔は、流れ行く車窓越しの夕日に映えてとても美しかった。
なるほど柳田先生はリアリストでもあったのかもしれない。
だけど僕だってもう、現実から目を背ける気にはなれなかった。
ユウニ先輩の過去を聞いてしまったから。
この人を幸せにしてあげたい。それが出来る人間になりたい。
願わくば、新たな心の拠り所を与えてあげたい。
今の僕にはそれしか考えられなかった。
先輩はきっと気付いていないだろう。
ユウニ先輩が週刊誌で連載をしていた時分、熱心なファンレターを毎週送る酔狂な奴が一人だけいたこと。その送り主が僕であることを。
自宅付近で車が止まった時、僕は意を決して口を開いた。
「あの先輩、もしも僕が、教わったことを活かして先輩と同じプロの漫画家になれたら。なれたらですよ! 深い人生を描ける作家となれたなら。結婚を前提に付き合ってもらえませんか」
「ふぅん? いいよぉ。やる気になったんだ。じゃあ、もし連載を一年以上続けられたら、私の上を行く、それで食べていけるプロの漫画家として認めるから」
「それで構いません」
「……『故郷七十年』の中で柳田先生はこう述べているわ。両親が他界し、親戚や知人すらも居なくなったのなら、そこはもう故郷ではない。私にとっての茨城は、もう戻る必要のない
そう言うと、ユウニ先輩は顔を寄せて僕の唇にキスをした。
「なにごとも経験よ。他の女性はどうか知らないけれど、私は思い出となっていつまでも男性を独占するのって嫌いじゃないのよね。思い出ならば、ずっと美しいままだもの」
「……僕には約束を果たせないと思っているんですか?」
「素敵な顔ね。期待しているわ」
そして四年の歳月が流れた。
「入稿完了、おめでとうございまーす。いやぁ、今週も最高でしたよ!」
「それで、先週のアンケートはどうだった?」
「五位ですね。上位三作品は不動ですから大健闘ですよ」
「ううう、あの盛り上がりで五位かぁ」
僕はマイナー漫画雑誌で連載を持つまでになっていた。タイトルは『妖怪大魔境』妖怪に占領された故郷を救う為、地元の少年少女たちが立ち上がり、失われた家族の絆や仲間との友情を取り戻していく成長物語だ。
キャラクターの心情がリアルでよいと、案外好評を得ていた。
そして、今回でとうとう連載一周年。
僕の人生を決定付けた出来事は、星空の幻覚でもなく、柳田先生のお話でもなく、あの挑発的な接吻だったのかもしれない。
成程、大切なのは人生経験だ。
日々を生きる誰もが我武者羅で一生懸命。
肌でそれを学んでこそ、男は弱さや甘えを克服できる。
編集が帰った後、僕は机から出した指輪ケースを片手に、携帯へ届いたメッセージを確認していた。きてる、きてる、物見高い仲間たちからの祝福が。
「いよいよですね!」
「連載一周年、おめでとう」
「新浜ユウニが山野ウニになってしまうのか! おいおい、ウニは海の食べ物だぞ」
あのね、タニシ先輩。その言い方はないでしょ。
僕だって努力したんだから。
男、山野雄大。山野家の名誉にかけて彼女を幸せにしてみせます。
どうかご先祖様、これからも僕たちを見守っていて下さい。
いつか生涯を終え、僕らが星となって天に登る時……。
皆様に報告して恥ずかしくないよう、精一杯いまを頑張ります。
そして最後に届いていたのは先輩からのダイレクトメール。
『待ってる』
コウと決めた人生の、道が拓けた瞬間だった。
どんな妖怪も、超常現象も、僕たちの決心を翻すことなど出来やしないのだ。
人生の目的地を決めるのは、いつだって今日を生きる我々なのだから。
ROOTS ― 貴方の知らない柳田國男 ― 一矢射的 @taitan2345
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