第4話



「かくして、民俗学者の父にして妖怪研究の第一人者、柳田国男が誕生したのです」


「めでたしめでたし……ですか。妖怪は零落れいらくした(落ちぶれた)神である。それが柳田先生の定説ですからね。神々を追い求めるのと、妖怪を追いかけるのは同義か。先生にとって」



 僕達は庭園の片隅に並び立ち、白木の看板を読み終えた所だった。看板は小さな社の前にあり、それこそが伝承にあった氏神のほこらで間違いなかった。



「神秘体験に幽霊や妖怪が出てこなくてガッカリした?」

「いや、まぁ、そうですけれど。それよりも、先輩がやたら詳しくてビックリしました。柳田国男が大好きなんですね」

「好きなんてものじゃない、引き込まれたのよ。先生は私と同じ境遇だからさ」

「え? 先輩と? どこか似てますかね?」


「似ているわ。もう根底から、家族のきずなが揺らいでしまった人間だもの、私も」

「そ、それって」


「言ってなかったっけ? 私の両親も最近離婚しちゃってねぇ。母は生まれつき体が弱いものだから、今は東京のマンションで私と一緒に暮らしてるわ」

「り、離婚って、どうしてですか?」

「さてね。母が外国人で、昔は水商売をしていたせいかな? 父方の親戚はみんな両親の結婚に反対していたらしくて。長年の間に溜まっていた不満がとうとう爆発した感じかな」

「……お気の毒に。何といえば良いのか」

「母の面倒を見なきゃいけないので、週刊誌の連載もお断りした。漫画家だったのはもう昔の話。今はしがない事務職なの。前から不人気だったもんね、私の漫画。アンケートに勝てず雑誌の掲載順も万年ドベ。しゃーなしよ」


「先輩が茨城に帰ってきたのは、もしかして、忘年会に出る為なんかじゃなくて……本当は お父さんに会いたかったのでは」

「別にいいよ。父にだって新しい生活があるだろうから。付け足すと、あの人、もう再婚しているんだ」

「そんなのって!」

「身勝手でしょ? 笑っちゃうわね」



 先輩は自らの手で両肩を抱くと、寒風に耐える鶴のようにうつむいた。

 その繊細なてのひらは小刻みに震えていた。

 あるいは手を載せたナデ肩が揺れていたのか。


 僕には何も声をかけられなかった。

 すると、先輩は横目でこちら一瞥し、お道化た調子で言ったではないか。



「どう? 若い女性が心のり所を失い、震えている姿は? ゾクゾクこない?」

「するわけないでしょう」

「ふん、君から見ればオバサンだものね。ただ、これだけは言っておくわ。人は心の拠り所を失くした時にこそ、自分が何者なのか そのルーツを気にかけるようになる」

「自分が……何者か?」

「国男先生は生涯に渡って『日本人とは何か』を研究し続けていたの。それが先生の民俗学。異国の血が流れる私にとっても、それはとても興味深い論文だった。これから語る内容は、先生がハッキリとそう書いたものではなく、多分に私見を交えたものなんだけど……」



 日本人は誰もが心に鬼を宿している。先輩はそう断言した。

 飢餓や口減らしという暗黒の歴史を経て現在を生きる日本人は、いつか不幸に見舞われた際にその鬼が根源的な眠りから目を覚ますことを知っているのだと。それは身内ですら傷つけることを躊躇ためらわない悪鬼。そんな鬼にフタを被せて心の奥底へ封印しても、深層心理に存在と怖れを刷り込まれているのだと。



「そして、そんな鬼から自分達を救ってくれる神の出現を待ち望んでいる。いつも。口では無神論者を気取っているのに。信仰にまつわる伝統儀式を止めたりはしない」

「ツンデレなんですね」

「そう! それが日本人の本質! なんて言ったら怒られるかしらん。しょせん混血の私が」

「ラフカディオ・ハーンだって外国人でしたよ。外から見なければ本質なんて判らないものですよ、きっと」

「ふふ、そうかもね。何だかスッキリしちゃった。貴方と一緒に此処へ来られて、本当に良かった。ありがとう」

「いや、そんな。御礼を言うのはこっちの方ですよ」


「それじゃあ、そろそろ おいとめしましょうか。私、管理人さんに声をかけてくるから」



 僕は一人庭園に残され、ぼんやりとほこらを眺めていた。

 ふと足元に目をやれば、そこで何かが光を放った。

 それは寛永通宝と書かれた穴あき古銭だった。


 まさか、そんな。こんなの出来過ぎだ。

 昨日の酒がまだ残っているだけだ。

 先輩の身の上話を聞いて、ショックを受けただけ。


 心が動揺しているからって、幻覚を見たりなんか ――。


 僕は、何かに吸い寄せられるかの如く、青空を仰いだ。


 そこには無数の星が輝いていた。

 僕にも見えた、昼間の星が。


 そして、肉体を離れた魂は天空へとどこまでも昇っていき ――。

 遂には「昼間の星」がなんであるか、その正体を僕の目で確かめたのだ。


 雲の上には光り輝く人の姿があった。

 和服、着物姿、白黒写真でしか見たことがない格好の人たち。

 軍服に身を包んだ男性。紋付き袴で丁髷ちょんまげを結った人たち。


 これは、いったい?


 無数の光り輝く人影たち。彼等は物も言わず、ただじっと僕を見つめていた。

 僕の意識は沢山の星々に見守られて、どこまでも青空を漂流していた。

 そしてとうとう僕は気が付いた。最も近い場所から僕を見つめている男性は、紛れもなく一昨年に亡くなったばかりの祖父だということを。


 ああ、そうか。

 人は死ぬと空で星になるんだ。

 そこからいつも子孫たちを見守っていて下さるのだ。


 だから、たとえ昼間でもこの星は目視できて ――。


 その時、遠くの方からヒヨドリの鳴き声が聞こえてきた。



「ちょっと、山野くん! しっかりして!」



 目を開ければ、そこにはユウニ先輩の心配そうな顔があった。

 管理人さんに挨拶して戻ると、庭の白州しらすで僕が倒れ伏していたそうだ。


 あれは二日酔いが見せた幻覚だったのか? 柳田先生のお導きなのか?

 はたまた超常現象だったのか?


 僕達には見当もつかなかった。



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