第3話
彼女に想いを告げたのは同棲してちょうど二年が経った冬のことだった。具体的な言葉は思い出せない。それは僕の心に置き去りにされてきた何かをそっと取り出すような、ごく自然に飛び出た純粋な
人と同じように寄り添って、夫婦のように支え合える関係を、僕はいつの間にか求めることができるようになっていたのだ。
恥じらいつつも彼女は僕を受け入れてくれた。
特別それで暮らし向きが変わったということはないが、それでも日々の暮らしで感じる幸福は格別だった。
家を出て変えてきたときにかけられる言葉も、細かいところまで凝った料理も。
時間が過ぎ、口づけを交わした時も。両の腕に抱いた時も。
単純に幸せなだけでなく、新たに生まれ変わっているような心地を僕に与えてくれるものだった。
そして、僕ら二人の立場は対等であり、これからの時間を等速に歩むものだと、当初の僕は思っていたが。
「その実は与えられてばかりだ」
彼女が外に出るようになってからどれほどが経ったか。僕の中にはそんな自責にも似た念が芽生えていた。妖怪である彼女は食事を必要としない。子供を為すこともない。
ならば人の掟に従った僕との生活の中で、彼女は何を得て何を望んでいるのだろうか。
「……きて! 起きてって! お願いよ……!」
意識を取り戻したのと同時に、やけに痛切な声を耳にした。この数年の間で慣れ親しんだ、愛しい人の声だ。
「僕は……」
何が起こったのかを思考する間もなく、温かい感触が僕の全身を包み込んだ。
「よかった……! ひょっとして、もう目を覚まさないのかと……」
彼女に抱きしめられ、その言葉を聞いて、僕はようやく自身の身に何が起こったのか悟った。
「ああ、眠ってたのか」
「……馬鹿!」
本当に自分でも意外だったので、口から出る言葉がやけに現実離れした軽いものになってしまう。心配していたのだろう彼女から、珍しく罵倒の言葉が飛び出る。
死んだのかと思った、寒さが祟ったのかと思ったという旨の非難が、拙い
故意ではなかったのだが誤解させたのは事実なので、僕は暫くの間それを甘んじて受け入れた。
そして彼女が落ち着いたころ。ふとあることに気づく。
「君、涙が」
彼女の美麗な形の
「本当……女を泣かせるなんて、ダメな人だわ」
不満げな言葉は変わらないが、僕には全てが分かった。彼女の声が酷く優しいのも、困ったような笑顔を浮かべているのも、涙を流した理由も。
何を得て、何を望んでいるか。こうして考えればあまりに簡単すぎる。
「ごめん。君のために何かしてあげられないかと思って……夜なべしてこんなのを作ってたんだけど、どうやら無駄のようだね」
この状況では少し気まずいが、一応こうなった理由を説明するためにも言っておくべきだろう。
呆けた顔の彼女に懐から取り出したものを差し出す。
「なにそれ? 長い布?」
「襟巻、かな。外国ではマフラーといって街の方では寒さを凌ぐのに重宝しているらしくて」
僕の代わりを務める彼女に、与えてばかりいる彼女に何かを贈りたいと思って用意したものだが、結局勘違いも甚だしかった。
僕は見せるだけ見せてすぐに引っこめようとしたが。
「首に巻くの? よりによってそこを選ぶなんて、もしかして私への当てつけ?」
意外な言葉に目を丸くしてしまう。
「まさか、どうして?」
「だって首は、私を人外たらしめる最大の部分なのよ。私のことが嫌いなの?」
「嫌いなわけないだろう。それに人かそうでないかなど、本当はどうだっていいんだ。むしろ君が君だからこそ、僕は今の僕になれた」
「そ、そうなの?」
「ああ。君への贈り物を考えたときも自然とこれが浮かんだよ。君に合うようにとびきり長く作る必要があったけど、全く苦しくなかった」
彼女は顔を赤くして、僕が倒れたことを指摘する。それを言われると弱いが、それでも僕の言葉に偽りはなかった。
彼女はやがて諦めたように息を吐いた。
「……そう。あなたの気持ちは分かったわ。けれど」
マフラーを受け取った彼女は
「暖を取るのはあなたが先よ。火を付けずに寝たせいで、身体が冷えきってしまっているわ」
「あはは、本当だ。つくづく恰好がつかないな」
「ううん、そんなことない。あなたは私に何より大事なものをくれた」
それは僕とて同じことだが、今さら言葉にするつもりもない。
二人の間に広がる温かさが、何よりの証明だと思うから。
編むよりもなほ温かい 鈴谷凌 @RyoSuzutani2
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