鎖の切り方

 前置きとして、本編のみ全部読んだ。sideストーリーやエピローグ後の話は読んでないが、月ノ先生はそうしたことにはこだわらないだろう。

 さて。

 昔のヒッチコック映画に『サイコ』という作品がある。異常人格を示すサイコパスを一気に世間に普及させた傑作白黒(カラーではない)映画だ。その中で、序盤に殺害場面がでてくるのだが、殺しの瞬間や死体そのものはなんら明示されていない。にもかかわらず、『あんな凄惨な死体を見せつけるとはなにごとか』、『いくら創作とはいえ残虐な殺し方にもほどがある』との抗議電話がヒッチコックの事務所に殺到したそうだ。

 ひるがえって、本作では一人一人の奴隷や、主人公にさえ最低限ぎりぎりの描写・情報しか与えられてない。にもかかわらず、誰についてもいきいきとした躍動感や生命力を感じてしまう。主人公の本業は奴隷商人だが、彼の視点を通じて本作の背景に横たわる社会や価値観まで想像できてしまう。

 また、主人公が薄っぺらなお人好しでないのも素晴らしい現実味を感じさせる。『シンドラーのリスト』では、シンドラーは少なくとも最初の内は単なる金の亡者だったが物語が進むにつれ極限状況での人間性をいやでも意識させられていく。本作の主人公もまた、自分の命が惜しいという至って利己的な……かつ生き物としてこの上なくまっとうな……命題から出発して愛のなんたるかを知らず知らずの内に学んでいく。いささかのエロティシズムとともに。

 既にして十分な高評価を得ているようだが、それも納得の傑作だ。

 必読本作。

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