第7話


まさる、眠たいの?」


 穏やかな潮騒しおさいの中、愛奈あいなの声がする。視線を向ければ、隣に座した愛奈は少し心配げな表情でこちらを見ていた。


 思考が追い付いて、将は思わず彼女の肩を掴む。「わ⁉」と驚いたような声を上げた愛奈。周囲から怪訝そうな眼差しが降って来た。


 見回せば、そこは岩屋へと続く橋の上。あの石造りのベンチの上である。空は青、海は穏やかで、磯釣りの小父おじさんも家族連れの無邪気な笑い声も、爆発して欲しいほど密着して歩く恋人たちも、皆この場所へ戻って来ていた。


「将?」


 再度呼ばれて、視線を戻す。至近距離で顔を突き合わせる恰好になる。愛奈の幼い顔立ちはいつもと何ら変わらない。先ほどまで、海の中で意識を失っていたはずだが、すこぶる元気そうな様子である。


「さっきの、夢か?」

「へ? やっぱり将、居眠りしてたでしょう。あ、も、もしかして、あたしとのお出かけつまらなかった?」

「いや……ちょっと疲れてたのかも」

「そうだよね。スタンプラリーでたくさん歩かせちゃったし」


 ああ、と将は唸る。そうだ。今日は愛奈の推し活に付き添って、スタンプラリーにやって来たのだ。水上竜助のグッズなど、抽選で当たっても海に投げ捨ててやろうと思う。将は上着のポケットからスタンプラリーの台紙を取り出して、腰を上げた。


「残りは岩屋のやつだな。これで無事、GOZゴズグッズを」


 言いかけて、紙面を凝視する。抽選の詳細が記されていた部分に目が釘付けになる。「クリスマス限定! 天女と龍神の靴下型縁結びグッズが当たる」。そんなこと書いてあっただろうか。


「ゴズ……、って何?」


 あろうことか、愛奈が首を傾けた。


「何って、おまえが好きなアイドル」

「ううん、あたしが好きなのは、レッドドラゴン☆プリンスだよ」

「何だそれ、ダサ」

「ひ、ひどい! 将の馬鹿!」

「馬鹿で結構。てか、スタンプラリーの景品、最初から縁結びグッズだっけ」

「うん。そうだよ。将、本当にどうしちゃったの。寝ぼけてる?」


 本気で心配そうに眉を曇らせる愛奈。将は、先ほどまで体験していた超常現象を思い起こす。


 天女と龍神の夫婦喧嘩のとばっちりを受け、愛奈がアイドルに攫われて、海の底へ。しかも、夫婦喧嘩の理由は洗濯物……? いや、天女も龍神も洗濯機などという文明の利器は使わないだろう。あれは夢だ。きっとそうだ。


 だけど、一つわかったことがある。愛奈を助け出すためならば、世界一苦手な水にだって飛び込める。年をとっても生まれ変わっても、ずっとずっと。


「こんなもん、いらねえだろ。天女と龍神、しかも靴下型なんて」


 夫婦喧嘩している奴等の縁結びグッズなど、ご利益がなさそうだ。そう思い、深く考えずに言ったのだが、愛奈は目を見開き口を閉ざし、いつもの物言いたげな瞳でこちらを見つめた。そんな目で見られると辛い。


「……まあ、欲しいならスタンプラリーくらい付き合ってやるけど」

「本当?」 


 一転し、愛奈は笑顔を浮かべ、欄干に駆け寄った。相変らず子供のような仕草だ。


 とんびが高らかに鳴きながら、蒼天を旋回している。世界は長閑のどかだが、いつまた美男が現れて、彼女を海の底へ攫って行くかわからない。いや、仮に海の底でなくとも、美男が愛奈を連れ去る日が来れば、それはとても気に食わないことのように思えた。


「愛奈」


 将は腕を伸ばし、幼馴染の手を取った。


「はぐれるなよ」


 自然と絡んだ指先から、温もりが流れ込む。驚いたように強張った小さな手はしかし、次の一歩を踏み出す頃には柔らかく緩む。やがて躊躇いがちに、将の手を握り返した。



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龍神様の靴下 平本りこ @hiraruko

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