第6話
海底は一面の闇に包まれていた。だから、青髪の美男子と、それに抱かれるようにして眠り、
美女は、暗がりでも視界が鮮明なのだろうか。ある地点で
「人間を巻き込んで、いったい何をしているのです、あなた!」
「やっと来てくれたね、おまえ」
「あなた? おまえ?」
将の呟きは、水に溶けて消えていく。
「やっと来てくれたんだね、じゃありません。私、人間を大切にできない方は嫌いですと、かれこれ何百年も申し上げて来ましたわ!」
「だけどおまえ。家出をしてからもう何十年経つと思っているのだ。それにほら、この娘は無事だ。人間を傷つければまた、おまえが悲しむと思い、このとおり傷一つなく生かしている」
女は愛奈の頬を撫でて無事を確認し、安堵の息を吐いたようだった。
「良かった。……い、いいえ、良くないわ。芸能活動で目立っても私が姿を現さないものだから、騒ぎを起こせば、さすがに観念して帰って来ると思ったのでしょうけれど、あなたの行動のせいで、この男の子が命を落としかけたのです。私がたまたま助けられたから良いものの、そうでなければ、どうするつもりだったのですか」
水上竜助は端正な塩顔で将を値踏みするように観察し、やがて興味なさげに吐き捨てた。
「どうでも良い」
「いや、ふざけんな!」
思わず将は声を上げた。
「アイドルだか何だか知らねえけど、愛奈を騙して連れ去って。愛奈は、天女なんかじゃない!」
「天女?」
渾身の力で体当たりをして、愛奈の身体を奪い取る。激しい衝撃を受けても、愛奈の瞼はぴくりとも動かない。
敵意を全身に纏い、水上竜助を睨む。一方、美男子は虚をつかれたような顔をしてから一変、不快そうに眉根を寄せた。
「もちろん、天女などではなかろう。このような幼稚な娘、我が妻とは比べるまでもない」
「え?」
確かに、冷静になって考えれば、話の流れから、あの和装の美女は水上竜助の妻なのだろう。水上竜助が龍神だとすれば、妻である女性は天女である。天女を家出から呼び戻すために別の天女を探す、などということはないだろう。それならば。
「じゃあ、どうして愛奈を攫って?」
「遥か昔、人々は我を鎮めるために、子供を生贄に捧げた。それを思い出したのだ。あの頃の蛮行を繰り返せばきっと、我を諫めるため、妻がまた舞い降りるだろうと。それに」
水上竜助……いや、龍神の、無邪気にも見える真っ直ぐな瞳が、愛奈を一瞥した。
「この娘、我に攫われたいと言っていた。島の入り口辺りで」
将の脳裏に、数時間前、鼻の下を伸ばしていた愛奈の姿が蘇る。ついでに、気の抜けるような発言も一言一句違わず思い出せた。
『ああ、カッコいいなあ。竜助君はね、危なげでちょっと強引なところがあるタイプなの。ああ、攫って欲しい~』
つまり、望みは叶ったのか。将は、龍神ばかりか、軽卒な発言を零した愛奈に対する怒りすら湧いてくるのを感じた。
「とにかく」
気を取り直した天女が腰に手を当てて、怒りを露わにする。
「私は絶対に帰りません。あなたが、引っ繰り返った靴下を元に戻して洗濯機に入れるようになるまでは!」
「何を言う。靴下は、裏返しにして洗う方が、汚れが良く取れると聞く」
「いいえ、私は信じません。それに、次に履く時に裏返っていると大変じゃないですか。そうでなくともあなたは」
「あ、あの」
将は片手を上げ、口を挟む。何をどう突っ込んで良いのか判断できないのだが、全ての疑問を呑み込んで、頭上方面、水面を指差した。
「そろそろ帰らせてください。靴下とか、どっちでも良」
「「煩い‼︎」」
怒声と共に物凄い水圧が押し寄せる。水の塊の中、靴下が一枚漂ってきて、まるでお札のように将の額に貼り付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます