色彩が移ろぐ前に手で掴み 言葉に変えて丁寧に開く

『衒学的』という言葉を良い言葉として捉えるか、それとも悪い言葉として捉えるかというのは難しい所ではあるが、ある意味で我を貫いていると思えばそれもまた良い事なのだと感じた。

 作者の地頭の良さはもう既に一話冒頭の時点でひしひしと伝わってくる。調べなければ分からないような描写が多々見られるが、それらが必須描写という事では無いという点に於いて、この物語がある程度難しい言葉で書かれつつも、読者に寄り添った文章だという事が分かる。

 そうであるならば、その難しさも含め、文章を彩っていると表現しても良いのではないかと思った。

「『真赭色』の林檎」の『真赭色』が分からずとも、その字を見れば青林檎では無い事くらい容易に分かる。

 その文章の少し前に出てくる『ドラゴンブラッド』という言葉についてもそういった林檎の銘柄があるかは分からずとも、強い赤であるという印象を持つ事が出来る。

「紙片の周囲に立方体に良く似た、『多胞体』と呼ばれる図形」についても『多胞体』とはこのような物なのだなと理解出来るように文章が作られているのだ。

「『棘上筋』を切断した。だらりと下がる狼男の両腕」という一文にある『棘上筋』が身体の何処にある筋肉かは分からずとも、読者はその後の文章で理解出来るようになっている。

 つまり、文章に彩りが加わっているが、自分自身だけが見える色彩だけで満足せず、その説明を怠っていないからこそ、本作は独り善がりの作品になっていないのだと感じた。

 そういった配慮のような文章達には、強い好感を持った。
作者は間違いなく地頭が良く、発想も良い。だがしっかりと読者の事も考えて書かれているだろう事が伝わってくるような気がした。