第3話

「顔の傷は兄上に斬りつけられてできたものだ。兄上はとかく私がお嫌いでな。王の宝剣を抜いてこの刃の雫となることを光栄に思えと仰せになったので、その通りにございますと頭を下げたらことほかお喜びになられた。もう半年ほど前のことだ」


 ぼろぼろの体で寝台に身を横たえているにもかかわらず、わずか十三歳の少年とは思えぬ落ち着き払った声であった。


 一同は本物の王弟を後宮の元の部屋に戻してから医者を呼んだ。

 医者の見立てでは命に障るようなところはないとのことだったが、青年はあまりの恐れ多さに震えていた。

 腹部や背中の赤黒い痣、革帯で擦れて血が滲み出ている手首、何もかもいたわしい。それらの全てが自分の罪咎つみとがであると思うと死をたまわってもおかしくない。今は寝衣と布団で隠れているが、目に焼き付いた肌の傷は頭から離れなかった。


「半年も前のお怪我でございましたか」

「人前に出る時は化粧で隠している。国王陛下がご乱心の末に弟の顔面に傷をつけたとなればさすがに体裁が悪い。しかしいつまでも隠し通せるわけではないから、いつか狩りでも行って事故を起こしたとでも言わねばならぬな」


 なるほど美しく聡明な少年である。この王子こそ真の王としてあおぐべきお方ではないか。


 本当の影武者であるところの、王弟と似た背格好だが顔に傷のない少年が、べそべそと泣いている。その膝を王弟は優しい手つきで撫で続けた。


「此度のことはよく分かった。気にするな、というのは難しいと思うが、兄上とその妃たちが無事だったのだからもうよい。本物の賊であれば応戦せねばと思ってああいう対応になったけれども、そのほうらの国を思う気持ちは分かったので、また別の形で何とかする。私も兄上を今のままにしておいてよいとは思っていないから、案ずるな」


 青年は小便を漏らすかと思うほど安堵し、床に両手をついて、また深くこうべを垂れた。


 だが自分たちは間違っていなかったという確信を得た。この方こそ自分たちの希望、まさにこの国の王たらん者だ。神に等しく我々の上に君臨する、崇敬すうけいするに足る大人物である。この方がここにいれば何も恐ろしいことはない。いつかまた別の形で今の王を排除し新たな世をつくられるであろう。


 自分たちの革命はらなかったが、王は王として覚醒したのだ。


「下がれ」


 そう命じられて、青年及びその仲間たちは再度深く礼をしてから立ち上がった。

 扉を開け、何度目かも分からぬ敬礼を捧げてから、部屋を出る。

 生き残った近衛兵が後宮の外まで案内してくれるというので、それに従って血に濡れた廊下を歩き出した。


 部屋に、王弟と影武者の二人が残された。


「殺せ」


 王弟が言った。


「そういう話ならば生かして宮殿から出すな。全員捕縛の上首を刎ねて河原に晒せ。くれぐれも兄上の言いつけであると添えてな」


 影武者がぺこぺこと頭を下げた。


「王が軍部に侮られたとなれば王家の威信に関わる。まして私の治世がこのように血塗られた事件から始まったものだと思われてはかなわぬ。このような乱れがあったことを宮殿の外部の者に漏らすな。軍部におかしな思想の持ち主はいなかった。それでいいな」

「はい、殿下の仰せのままに」

「顔に傷があることも知られてしまったしな。これを隠すために隠れて生活していたのに何もかも台無しだ。暴虐の王も弟には優しい兄であったという演出をしたい。民草には物語が必要だ。それに兄が愚昧ぐまいなら弟も愚昧かもしれぬと思われたら困る」

「はい、まことに、まことに」

「行け」


 王弟の命じるまま、影武者の少年が立ち上がった。そして、正面の扉ではなく隠し扉のほうへ向かった。


 隠し扉から出る前に、少年が主を振り返った。


「でも、本当によろしかったんですか?」

「何がだ」

「彼らを利用すれば今すぐ兄上様を排除することも可能だったのでは? 僕は殿下がこのように無様な生活を続けられるのが口惜しくてなりませぬ。このように、陛下や宰相の目を気にして、せいぜい貴族の子に過ぎない僕らの身代わりをせねばならぬとは」

「ならぬ。王権が軍隊に依拠いきょするものと思われてはならないのだ」


 顔に傷のある少年が、不敵に笑った。


「どうせ兄上は七人の妻を囲って十年になるのに誰一人はらませられない種無しで、しかもお若くして重度の飲水病だ。近々私に王冠が転がり込んでくる。必ずだ」


 影武者の少年がまたぺこりと頭を下げてから部屋を出ていった。




<了>


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顔に傷のある少年 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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