第十一章 九州征伐
九州の下調べを頼まれ、できる限りのことを調べてきた官兵衛は、全てを秀吉に報告した。
「何、大友家の領地が島津軍によって攻められておるじゃと!?島津義久め、この敵、何としても許せん!本当かどうかを確かめる。誰か、宗麟を呼べ!」
そして、秀吉は聚楽第に大友宗麟を呼び寄せた。
「宗麟よ。お主の領地である豊後などが島津軍によって侵略、場所によっては奪われておるというのは真か」
秀吉は大友宗麟に真偽を問うた。
「はっ。島津義久が家臣たちの手によって、本拠地である豊後も今危機の中、秀吉様に呼び出されました故、当主である我が子、義統に許可を取って馳せ参じた次第でございます」
「左様か。そのような中、良う来てくれた。済まなかった。お主の忠節、良う分かった。早急に豊後国を救い、島津を攻める」
「有難き幸せにございます」
大友宗麟は平伏すると、少し嬉しそうに聚楽第を出ていった。
「官兵衛。お主には島津征伐の軍監を任せる。兵は、中国、四国の兵で何とかせよ。足りぬのであれば、大友の兵も最悪の場合使って良い」
「承知いたしました」
官兵衛は早速、吉田郡山城の毛利輝元、長宗我部元親、仙石秀久、十河存保に頼みこみ、島津征伐に向かった。毛利家からは毛利輝元自ら出陣し、毛利両川で毛利輝元の叔父である吉川元春、小早川隆景の二人、長宗我部家からは当主元親の嫡男である長宗我部信親が、仙石秀久、十河一存は軍備を整え、自ら出陣した。
その中でも、吉川元春は、鳥取城の戦いで一族である吉川経家を殺した秀吉を嫌っていることで知られていたが、このまま秀吉が嫌いだと我を貫くと、吉川の家のみならず、毛利家本体まで危うくすると、悪化し始めていた病を押して出陣していた。
豊臣軍合計十万を誇る大軍は、九州の国人たちを次々と降伏させた。
その話を聞いた島津義久は、三万の大軍を率いて、大友家臣の高橋紹運が守る岩屋城を攻撃目標に定めた。
「秀吉ごとき、何するものぞ」
三万人の島津軍が岩屋城に到着すると、高橋紹運は全ての城門を閉め、亀のように籠もった。
島津軍も思いの外ものすごく苦戦し、戦いは膠着状態に陥り、島津軍の兵の中に不穏な空気が流れ始めた。
だが、岩屋城の城兵の方にも不安は広がり始めた。
高橋紹運は、援軍は望めないとし、残った城兵七百二十一名で島津軍に突撃することを決め、翌日決行することにした。
その鬼の如き突撃によって、島津軍のうち数千人が討死、重臣の上井覚兼が負傷した。
だが、岩屋城主の高橋紹運も、城兵七百二十一名、島津軍の兵数千人と共に玉砕した。
その話を聞いた九州征伐軍は、島津方の武将を攻めることを決定した。
その戦いで、島津軍によって奪われた岩屋城、高橋紹運の子供の立花直次が守っていたが、同じく島津軍に奪われた宝満山城を奪還した。
こうして、九州征伐軍は、島津方の秋月種実の次男である高橋元種が籠もる小倉城を攻撃した。
だが、そこで高橋元種の伏兵や、秋月種実の攻撃に苦戦したが、ようやく陥落させた。
そして、九州征伐軍は仙石秀久を中心とする四国軍と、毛利からの派遣軍を中心とし、官兵衛を軍監とする本軍に分かれた。
本軍が休息に入ったとき、吉川元春の容態が急変し、急遽近くの拠点に連れて行くことになった。その時、供を務めたのが官兵衛であった。
「官兵衛殿。我が二人の子、元長も広家もまだまだ未熟。官兵衛殿のお力を借りたい。元長と広家には、官兵衛殿に困ったことは相談すべしと伝えておいてくれ」
「承りましてございます」
「儂も老いたの。武将というものは、勇猛果敢であることが売りであるのに、こうなってしまってはどうしようもないわ」
「・・・・・・」
官兵衛は、吉川元春の遺言のような独り言を黙って聞いていた。
「官兵衛殿、子供をお頼み申す」
こうして、吉川元春は生涯を閉じた。
鬼神の如し軍略を繰り出し、周辺諸国を我が物にした毛利元就の次男、吉川元春は、勇猛果敢な武将ではなく、子の行く末を心配する一人の父親としてこの世を去ったのだった。
毛利輝元や小早川隆景が、毛利元就が死んだとき以来の悲しみに暮れているとき、仙石秀久率いる四国軍はどんどん突き進み、戸次川まで進軍した。そこに島津義久の弟、家久が率いる島津軍がやってきて、たちまち合戦となった。
「やれええええ」
「突き進めええええ」
仙石秀久は、島津軍相手に優勢だったが、島津軍の一隊を壊滅させて、奥深くまで侵攻し始めた頃、島津家久の軍略にはまり、完全に囲まれてしまった。
「支えよ、支えよ」
仙石秀久は必死に兵たちに命令したが、恐怖という悪魔に支配された兵たちは、言うことを聞かなかった。
「このまま押し潰せええええ」
島津家久の合図で、豊臣軍は蹂躙された。
「儂は死にたくない」
仙石秀久は、十河存保、長宗我部信親ら有力諸将のみならず、引き連れてきた兵たちまでもを見捨て、這々の体で本軍を目指して逃げていった。
「秀久殿」
「儂らを見捨てたというか」
二人は半分やけくそになって島津軍相手に奮戦したが、周囲に転がっている屍に足を取られ、足場を失い、その場に倒れ込んだ。そして力尽き、ついには首を取られた。
二人を見捨てて本軍に合流した仙石秀久は、戸次川での一件を全て官兵衛に報告した。
「情けない。恥じるべきよ。して、長宗我部信親殿と十河存保殿は今何処におられるのかな」
官兵衛は、言い訳は許さぬぞという目で仙石秀久を睨んだ。
「はて、生きておるのか、六文払って三途の川を渡っておるのかさえ、私には存じ上げぬ所でござる」
「ふざけるのも大概にせよ!お主は役に立たぬ!秀吉様のもとに帰り、頭を冷やしておれ!」
官兵衛は仙石秀久に怒鳴りつけた。仙石秀久は、そのまま本領の四国に帰っていった。
だが、ここで流石に秀吉にばれないだろうと思ってしまったことが、仙石秀久の悪いところだった。なんと、聚楽第に急いで秀吉に詫びを入れるなどのこともなく、本拠地四国で遊び呆けていたというのだ。
だが、それを危惧せず、見逃すほど官兵衛は甘くはなかった。官兵衛は、仙石秀久に心底呆れ、仙石秀久から聞いたこと全てを、秀吉に報告した。
その数日後、怒り心頭の秀吉は、仙石秀久を聚楽第に呼び出した。
「仙石秀久、島津軍に無駄な攻撃を仕掛けただけでなく、進退の時を見誤り、長宗我部信親、十河存保ら、兵たちをを見捨て、本軍に戻って汚名返上に戦に出たり、主君である儂に詫びを入れるわけでもなければ、一人四国に逃げ帰り、遊び呆け、今まで儂に黙っていたなどの悪行を積み重ねていたなど言語道断!よって、追放処分とする!」
仙石秀久は、秀吉に向かって平伏もせずに、無言で当たり散らすように、聚楽第を出て行った。
「仙石秀久は信用できんわ。官兵衛、軍監のお主に心がけてほしいことがある。兵を徒に死なせぬこと、しっかりとした統率を取ること。それさえ守れれば、九州は落とせよう。どうか、頼む」
秀吉から官兵衛に送られた手紙には、こういった内容が書かれていた。
「心がけねばなるまい。仙石秀久の二の舞いになるのは勘弁じゃ」
官兵衛は仙石秀久を切って捨てた。
仙石秀久のような者が二度目に出てくることを危惧した秀吉は、この数カ月後に、自ら九州に出陣することを決めた。
「儂自ら、島津を叩いてくれるわ」
秀吉はこう宣言すると、弟の豊臣秀長と共に聚楽第を出て出陣した。総勢二十万人という大軍勢であった。
関白が来るとの知らせを受けた未だ降伏していない国人たちを震え上がらせた。もっとも、戦の回数は減っていた。
降伏したうちの一人、宇都宮鎮房は、その子である宇都宮朝房をよこした。秀吉は、宇都宮朝房を肥後国討伐の一番隊に据えた。
肥後国は落ち、島津軍の士気は日に日に落ちていった。
「儂は、秀吉を見くびっておった。関白に逆らい、ただで済むものではないか」
島津義久は、豊臣秀吉への降伏を検討し始めた。
その頃、秀吉は降伏してきた国人たちに降伏許可というお墨付きを連発した。いや、乱発していた。
「ここまで来たら、そろそろ降伏せねば、ただでは済むまい」
島津義久は、心を決めて剃髪し、秀吉に降伏した。
だが、島津家が降伏してもなお、国人たちの一部は秀吉に降伏しなかった。
特に、秋月種実は、本拠地の城に亀のように籠もり、出てくる気配を見せなかった。
だが、周辺の城が落城、秀吉に降伏していくのを見て、遂に秋月種実も覚悟を決めた。
「関白の力、恐れ入りました。我が娘、竜子を秀吉様に差し出します故、どうか、本領安堵をお願いいたしたく」
竜子を一目見て気に入った秀吉は、秋月家を簡単に許した。
「良かろう。まだ儂に服従せぬ者は居る。その者たちを降伏させよ」
官兵衛は、関白ともあろう秀吉のその姿に呆れた。
「秀吉様も良くない意味で変わらぬの」
官兵衛は茫然自失していた。
秀吉は肥後国の領主として、佐々成政を配置した。
だが、その佐々成政が問題を起こした。佐々成政は肥後国の国人たちを搾取した。その結果、肥後国の国人たちがまとまりを作り、一揆を起こした。
この話は直ぐに、聚楽第や大坂城にて大規模な茶会を催していた秀吉にも伝わった。
「佐々成政、情けなし」
秀吉は直ぐにその茶会を閉会し、軍を編成、統率して肥後国の国人一揆の鎮圧に向かった。
なんとその一揆には、島津征伐の際に肥後国討伐の一番隊に加わっていた宇都宮朝房の父で、城井谷城主である宇都宮鎮房も参加していた。
宇都宮朝房は、父の行動を侮蔑し、沈黙を貫き、遂には絶縁も検討していた。その事について、官兵衛も宇都宮朝房から相談を受けていた。
宇都宮鎮房が参加している国人の一揆の方も意外と脆かった。秀吉が軍を差し向けたら、様々な国人が降伏を申し出たのだ。
だが、城井谷城に籠もる宇都宮鎮房は、降伏の意思すら見せず、ひたすら城井谷城で沈黙を貫いていた。
長政は、その状況に我慢がならなかった。そして、家臣たちを呼び寄せると、家臣たちに呼びかけた。
「良いか。今、城井谷城にて宇都宮鎮房が反逆を起こしておる。父がこの城を落とすのに失敗すれば、父の秀吉様での御奉公による努力も、水の泡と化すことになるであろう。そうなれば、お主ら家臣たちは、放浪し、明日をも知れぬ身となる。今こそ、儂らで力を合わせ、城井谷城を落とし、黒田の名を九州全土に轟かすときぞ」
家臣一同、鬨の声を上げ、城井谷城に進軍した。
長政は城井谷城に着くと、城外に出ていた宇都宮軍を攻撃、潰走していく宇都宮軍を追撃、城門まで押し寄せた。
「行け、このまま一気に落ち潰せええええ」
だが、長政に思わぬ攻撃が入った。
「な、何、伏兵じゃと!?いかん、退け!退けええええ!」
帰城した長政は、官兵衛から叱責を受けた。
「良いか、一揆というものはな、一つずつ潰していけば、いずれは収まる。早まらずとも良い。我らが必ず鎮圧する。案ずるでない」
そう言うと、官兵衛は長政の耳元で囁いた。
「宇都宮鎮房を討て」
長政はあまりのことに困惑した。
「必ず、あ奴は儂が居ないのをいいことに、お主が守るこの城を落としに来る。仮に平服で、供を数人連れてきた程度なら見逃せ。だが、軍を引き連れてくるようなら、ためらわず討て」
長政は、覚悟を決め、早速準備に取り掛かった。
官兵衛の予言通り、宇都宮鎮房は数千人の軍を引き連れて、黒田家の居城を訪れた。
「城井谷城主、宇都宮鎮房でござる。城主、黒田官兵衛孝高殿に、年賀の挨拶に参った」
だが、長政はこの態度に逆上した。
「お主、我が父官兵衛が不在の時に、しかも四月になって年賀の挨拶はいくらなんでも遅すぎる。もう少し早く来るのが筋であろう。まあ良い、通せ」
長政は、宇都宮鎮房に聞こえないように、家臣たちと小声で作戦会議を開始した。
「善助。お主は鎮房に酒を注ぐとき、わざとこぼせ。そして友信。お主は三方を用意して、控えておれ。そして、儂が急かして合図を出したら、入ってきて、三方を鎮房に投げつけよ。そして、怯んだところを儂がとどめを刺す」
長政は、栗山善助と母里太兵衛友信に命令を出した。
「いやあ、鎮房殿。お待たせして済まなかった。城主黒田官兵衛孝高が嫡男、黒田長政にござる」
「こちらこそ。年賀の挨拶には遅すぎましたな。某は、城井谷城主、宇都宮鎮房にござる」
「いやいや、まあ、いっぱい酌み交わそうぞ。善助、客人じゃ。鎮房殿に酒をお持ちせよ」
酒は、注ぐときに三回に分けるのがならいであった。宇都宮鎮房の分の三回目を注ぐとき、善助の手先が狂った。
「善助、客人に対して無礼であるぞ!もう良い。友信!新しく鎮房殿に三方をお持ちせよ!」
母里友信は中々現れなかった。
「何をしておるのだ友信!客人を待たせてどうするのだ」
その合図で、母里友信が出てきた。
「三方をお持ち致しました」
母里友信は、三方を宇都宮鎮房に差し出すと思いきや、宇都宮鎮房の顔面めがけて全力で投げつけた。
急なことに対処しきれなかった宇都宮鎮房は、三方を顔面に的確に投げつけられたことで視界がくらんだ。
その隙を突いて、長政がとどめを刺した。その切っ先は、宇都宮鎮房の喉元に命中した。
「逆賊が」
長政が刀を宇都宮鎮房の身体から抜くと、宇都宮鎮房は首を押さえながら絶命した。
「今じゃ」
近くに控えていた宇都宮鎮房の近習はもちろん、一緒に来ていた数千人の兵たちも、大将を失い、統率できなくなったため、突撃してきた黒田家の兵を支えきれず、殲滅された。
このことは、官兵衛によって宇都宮朝房にも伝わった。
「なんと愚かなことを」
宇都宮朝房は父の愚行に呆れた。
宇都宮朝房は、島津征伐の際に豊臣軍に付き従い、その強さを身にしみて感じていた。また、その兵に城井谷城を攻められたら、一ヶ月も持たないであろうと考えていた。
「父上が逝きました」
「どうするのだ」
「おわかりでございましょう。愚かな父の後を追います」
「そうか。いずれ、黄泉国で会うのだ。その時にまた話をしようぞ」
「はっ。では黒田様、お達者で」
翌日、宇都宮朝房は自裁した。父に運命を振り回された、青年武将の最期であった。
こうして、近畿地方より西は、秀吉の手に入った。
官兵衛は、何をしてでも有言実行をして見せる秀吉の姿にいつからか恐怖を覚えていた。
また、その秀吉がまた、官兵衛が恐れるようなことをしだした。
徳川家康を臣従させるために、秀吉は妹の旭を徳川家康と結婚させることを決めた。
だが、その決断に官兵衛は疑問をいだき、秀吉に直々に聞いた。
「関白様、旭様を徳川殿と婚姻させるということですが、旭様は既に副田吉成殿と婚姻関係を結ばれているはず。それでは、吉成殿が不満を口にされるかと思われまする」
「吉成の都合など誰も聞いておらぬ。良いか、天下を統べるためには人一人に固執しているわけにはゆかぬ。吉成も吉成じゃ。儂が詫びじゃと言って提案した加増を拒否し、隠遁してしまったわ」
官兵衛の前には、家臣をいたわり、一人一人の都合を気にして動いていた秀吉の姿はなく、居たのは権力に取り憑かれた亡者であった。
官兵衛は謁見の間を出ていくと、同じく聚楽第に居る秀吉の妻、寧々のもとに行った。
寧々は秀吉が関白に任じられたことで、寧々は従三位北政所を任じられ、聚楽第の奥でふんぞり返っていても誰も文句が言えない立場なのだが、寧々は全く変わらず、官兵衛に白湯を出した。
「今回の旭様の件、北政所様はどう思われますか」
「このままでは旭様があまりにお可哀想。徳川殿と婚姻関係を結ぶというのは名目で、実質は徳川家に人質に送られるようなもの」
寧々は大名同士の婚姻の実情を知っていた。
「私は義妹に手紙を送ったり、衣服などを送ったりして、精神面から旭様をお支えすることしかできませぬ」
寧々の言う事に官兵衛が首肯すると、官兵衛は聚楽第から出ていった。
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